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コロナ禍を通じてわかった事

先日新型コロナウイルス接触確認アプリがリリースされた。Twitterなどでのコメントなどを見ると、「個人情報が」「バッテリーが」「偽の申請が」などというものがちらほら出てるが、サイトに書いてあるように登録には個人情報は必要ないし、コロナの自己申告は、検査結果の処理番号を使うということで、いたずら申請はある程度ふせげそうな仕様となっている。

Google Appleが、APIを提供していて、一国、一アプリということで厚生労働省が出すことになったが、政府が国民を監視といった類のものではない事も付け加えておきたい。

コロナ終息にむけた主な対応項目

・効率の良い予防策
・重症化を防ぐための方法(検査/治療薬/ワクチン)
新型コロナを取り巻く環境は、様々な人々の取り組みで変化し、あと半年すればひとまず、マスクなしの生活は取り戻せる感覚はでてきたと思っている。まあ感染が増えていない地域であれば、既に手洗いに気をつけるぐらいでも良いのだが。

リテラシー

よくわからない問題に対応するのには、そこそこ高い情報リテラシーが必要となる。
不確かな情報に振り回されてしまい、ネットやメディアのコロナ情報から距離を置くことにした人も少なくないと思う。

政府への信頼とコロナ対策

「中国」「スウェーデン」を例に、国民の政府に対する信頼と、コロナ対策の成果を考えてみると、信頼できる政府であれば、いつも良い結果をもたらずわけではないことが見て取れる。
もちろんこの先、スウェーデンがコロナを収束させられれば、スウェーデン飛ばしを避けられるだろうが、今のところうまくいってないように見える。

デマ&陰謀論

正確な情報がわからない中で、たちが悪いのが、デマ。陰謀論にかんしては、一般のデマに比べれば見分けがつきやすい場合が多いが、即座に100%否定するのが難しい場合もあるので、それだけにたちが悪い。

・確かではないものは拡散させない、可能な限り事実チェックを行う。
(ソースが不明、データに信憑性がない。)
・陰謀論には気をつける。ほとんどが嘘で、反社会的活動の一貫である
・間違った情報を発信した人が、そのあと適切に訂正していないなら、信用しない。(メディアも含む)

などが対処法として挙げられるが、デマを発端とする、ティッシュトイレットペーパーの品薄などは、ただのデマにとどまらず、多くの人が影響を受けたと思う。

陰謀論2

今回のコロナ禍を通じて感じてもっとも感じた事は、この社会がいくつかのテクノロジー分野で後進国になったのは、陰謀論・個人情報の危険性を使って駄々をこねる人がいてそれに付き合わされていることにあると思った。キャッシュレスにしても、オンライン診療にしても、5Gにしても、それぞれ新しい生活様式に変える事に、全員の賛同を得ることは難しい。

重要なのは、専門家と一般の人(非専門家)との間で情報の正確さを担保しつつ8割(できれば9割の)人々に事実を共有し、残りの1割は強制アップデートで挑むこと。

一般の人々ももちろん、ある程度の科学知識、読解力は必要だし、先延ばし体質は改める必要がある。ただ、「専門家」「情報の橋渡し役」「一般人」「どうしようもない人」がいるとしたら「専門家」「情報の橋渡し役」「一般人」の部分の底上げが、極めて重要な部分だと思った。

知の再分配

「自らの感染を防ぐという目的のみではなく、感染爆発の初期段階における、感染対策の意味を理解したり、 医療崩壊の抑制するために、例え、強制でなくとも多くの人が、自粛だったりステイホームを行った」という点において、これは我が国の一つの成果だと思う。

一方で、接触確認アプリに寄せられているコメントのように、そこにはアップデートできない人々(システム的な意味ではなく)がある程度存在する事に気がつく。

緊急事態宣言解除後の世界

新型コロナウイルス。終息に向かいつつある国や、終息しているかどうか怪しいが、経済に余裕がなく、活動せざるをえない地域ではロックダウンが解除されつつある。

現在、コロナウイルス は、南米・アフリカなどに広がりつつあり、それがまた第2波をもたらすとも指摘されている。

段階的解除

個人的には、当初、素早く強力に封鎖、消えたら解除、また増えたら封鎖というイメージをしていたが、ややゆるやかな封鎖、緩やかな減少。という状況なので、段階的に解除し、度合いに応じて、段階的に制限のほうが、効率がよさそうだ。

とはいえ、過度な様子見は禁物である。世界で景気が悪化すれば、それはまた紛争の火種にもなりうる。

世界は元には戻らない

正確に言えば、大半のニーズは、そのうち戻っていくだろう。
とはいえ、例えばレストラン、居酒屋は、来月には客足が戻るかと言うと、そうはならない。既に持ち帰りや、家で食べると言うトレンドの変化により、失われた1、2割(正確でな数値ではない。)は、たとえコロナが終息しても戻らないかもしれない。
もちろん、その中でも伸びていく店舗もあるだろう。それでも、以前から限られていたパイを奪い合ってきた飲食業が、さらに縮小したニーズを奪い合うのは賢明ではない。

クラブ、スポーツジムなんかも、クラスタを発生させない仕組みづくりをうまく整えないと、パチンコ屋のようにある一定のニーズはあるものの、封鎖を余儀なくされてしまうだろう。


失敗もあるかもしれないが、新たに必要とされているニーズに向けて、チャレンジする企業や、個人を応援したいと思う。

コロナ以外にも、社会には様々な問題がある。中には、ビフォアコロナのように、我々はまだ十分な準備ができていない問題も複数抱えている。

我々が目先のことを考えずに、行ってきた多くの経済活動、先送りしてきた課題解決。一度立ち止まり、これから再度動き出そうとしている今、改めて考えてみたいと思う。

新型コロナを振り返る

まだ道半ばではあるが、先が見えないので一度、この2ヶ月を振り返ってみたいと思う。

この戦いに勝利はあるか。

既に死者、法人の死である倒産も複数出ている。多くの戦争が、そうであるように、完全な勝利はない。

他国と比べてどうか

欧米諸国に比べ、死者数は今のところ踏みとどまっているのは、事実である。
ただし、それがどのような理由で、このような結果がもたらされているのは謎だ。

経済対策

やるべきことは、一刻も早く必要な人に10万円を届ける事だと思う。必要な人かどうかを見極めるために、いちいち条件などつけていたら、すぐに支給できるはずもないわけで、ここは一律が最善だと思う。

余分な支給分があれば、後から回収すれば良いのだ。既に自粛で被害を被っている人々は多数いるのだから。

コロナは何が特別なのか

コロナ以外でも、毎日多くの人が死んでいる。コロナだけが特別ではない。

だからこそ、他の病気と正しく比較する必要もあるし、病気以外だったり、死以外の損失面についても比較する必要がある。
現在の都の、致死率0.019%を現在の日本の人口に当てはめると、240万人。メガデスである。ただし、現在のスピードだと、240万人死ぬまでに、57142年ということになる。

では今のスピードを保って、3年後に感染者が増えなくなると仮定したら、この2ヶ月の死亡者数×3年ということで900人である。
毎年国内では、137万人が死んでいて、うち、交通事故は3215人、自殺は2万人ということである。この試算から考えるならば、今と同じ自粛を3年続けるよりは、なにか別の策を考えた方が良いのではないだろうか。

テクノロジーにおける敗北

ここまでの流れを見てると、少なからず、コロナを早期に発見し対策すれば、大規模な拡大は防げる事が見て取れる。

また、人々の移動を制限し、一定の距離を保てば、飛まつ感染は防げる。

ここまで分かっていながら、イギリスの首相でさえ防げないのか。

オンライン化できません

我々が自粛によって不便を強いられたり、多くの産業がダメージを受けているのは、別の何かに代替できないからである。

VRやロボット技術が徐々に進歩しつつある、現代において、いまだに竹槍で戦わされている感が、自分に敗北感をもたらしている思う。とはいえ、これはあくまでも個人的な感想だ。

ローテクで挑む感染拡大防止

花見とか、ライブ・スポーツ観戦とか。換気と一定の間隔を確保できれば、本来は、実施可能なはずである。だから、防護服(簡易版なら、レインバイザー )を着てでも、実施できる方法を模索して欲しい。

学校・授業に関しても、全員マスクすれば大丈夫というんだったら、花見、ライブも同様の条件で感染拡大は防げることになる。

ハイテクで挑む感染拡大防止

一つはサロゲートのように、アバターで生活するスタイル。

もう一つは、高度なトラッキングにより、接触者を正確に把握。コロナの行方を辿れるようにする事。スマホや落とし物タグの技術を使えば、ある程度可能なはずである。

前者は今のテクノロジーでは、難しいが、後者に関しては、ある程度の賛同を得られれば、実現可能かもしれない。

テクノロジーサイドの人間としては、テクノロジー面でのアップデートを社会に対して実施していきたいと考えている。

観光・飲食

観光はVR化、もしくは防護服着用、飲食はラーメン一蘭のように(パーティション化)と換気、連絡先の登録を義務化したらなんとかなるんじゃないだろうか。

マスクの3人ルール

マスクは完全ではないが感染拡大を減らす効果がありそうだ。

例えば、自覚はないがコロナに感染していたとして、「風通しの良い場所で数分程度の会話によって、相手に移してしまう可能性」に関してであれば、マスクありと無しでは違いが出るだろう。

そこで、新しいルールを勝手に作ってみようと思う。
1日あたり、不特定多数3人以上と面会する時は、マスクを必須とする。
そうすれば、感染拡大はある程度防げると考える。

逆に、国会とか、マスクしないで3つの密をしているとか、いずれ自滅するのは時間の問題だろう。テレビ番組も複数人で行う場合はマスクをすべきだと思う。

コロナとの戦い方を効率化する

終息は1ヶ月後なのか、1年後なのか、数年後なのかはわかないが、その間に、爆発的な感染が起きる可能性もある。ただし、現状の自粛は、経済へのダメージが非常に大きく、我々は、自粛ではなく、できる限りの代替と復旧を模索するべきだと思う。

ティッシュペーパーの作り方

前回挑戦したトイレットペーパー の作り方だが、もう少し柔らかなものを作れないかと、再挑戦してみた。

基本的な流れと道具は前回と同じだが、今回はグリセリンを追加。厚さももう少し薄めにしてみた。

グリセリンは保湿ティッシュなどでも使用されているようだ。

漉く前のパルプ水に、グリセリン少々(小さじ1以下)。


できたのがこちら。

前回に比べると、透過性が増し、質感もティッシュに近づいた。
体感としては、ペーパータオルとティッシュの中間ぐらい。

水溶性に関しては、無添加の状態と大きな違いは見られなかった。

薄く作るためには、パルプ水の濃度を薄くするか、すくい始める分量を加減すれば、薄くできる。薄くしすぎると、穴ぼこだらけになったり、金網から剥がしにくくなるので、加減は必要。

トイレットペーパーの作り方

デマを発端とする謎の買い占めで品薄が続いている、ティッシュペーパーとトイレットペーパー。

無いものは作ろう

というわけで、トイレットペーパーを作ってみることにした。

調べてみると、牛乳パック6パック分で、トイレットペーパー1ロールが作れるそうだ。
とはいえ、それはリサイクル工場での話でのパルプ換算の話。
少し探した限り、自分でトイレとペーパーを自作している人の情報は見当たらなかった。


トイレットペーパーも紙なので、普通の紙の製造方法と大体同じだろう。
しかし、実際に自分で作るとなると、どの程度のクオリティーのものが、どんな材料とどんな道具で、どんな工程でできるのかは、やってみないとわからない場合が多い。
わからないことを、考えてもしょうがない、まずはやってみよう。

てことで、レッツトライ〜♪

流れとしてはこんな感じ、

1.パックを適度なサイズにカット
2.煮る
3.表面を剥がず
4.ミキサーにかける
5.パルプを水にまぜて漉く(すく)
6.乾燥させる。

完成

注:とはいえ、実際やってみてトイレをつまらせても当方は関知しないので、トイレットペーパーとして使うのはおすすめしません。てことで、これをトイレットペーパーとして使うのは、自己責任でお願いします。

尚、トイレットペーパーの溶けやすさは、JIS P 4501 で規定されており、大雑把に言えば、かきまぜて100秒以内にほぐれるというものだそうです。参考までに。

もう少し具体的に解説

1.牛乳パックを適当なサイズにカット
鍋からはみ出さない適度なサイズにカットするのだが、これはあとの工程で、表面のコーティングを剥がすので、細かくしすぎると面倒である。
また底の、部分も剥がしにくいので、この時点で除いたほうがやりやすい。

2.煮る
水1リットルに対し、スプーン1杯ぐらいの中性洗剤(食器洗い洗剤)を入れて30 分〜1時間ほどパックを煮る。パスタを茹でるような感じだが、時間は意外とかかる。

しばし放置する。
他のサイトで見た作成手順だと、容器を移し換え、漂白剤を入れて一晩つけておくとか、かかれていたが、今回はあまり漂白する必要性を感じないのでこのステップは省略。

ともかく、パックのコーティングが剥ければよいので、適度に茹でて適度に、水につけておけば、大丈夫だと思う。人によっては、茹でずに、水に4日間つけて置くというパターンもあるようだ。時間があればそっちのほうが省エネだと思う。

3.両面のコーティングを剥がし、中身(パルプ)だけ取り出す。
ゴミ(表面の破片など)が入ると、トイレ詰まりの原因になると思うので要注意。
軽く水洗いする。

4.ミキサーにかける
取り出したパルプを、軽く洗う。
ちぎったものに、適度に水を足し、ミキサーにかけてドロドロな状態にする。

5.パルプを水にまぜて漉く(すく)
適度なサイズの容器に水を入れ、パルプを適量投入。入れた水の量にもよるが、すくった時に適度な量網にのるぐらいの分量、濃度に調整するのが良いと思う。
よくかき混ぜ、満遍なくパルプが分散している状態で、ゆっくりゆっくり、網を持ち上げると、パルプが網にのってくる。薄すぎると後の工程で穴があく、厚すぎると、葉書みたいに分厚くなる。
その辺りは何回かやればコツは掴めるかと思う。

ここで肝心なのが網。
最初は、油をコスための紙を、割り箸で木枠っぽくして作ってやってみた。
これでも、一応できたのだが、そんなに目の細かいものじゃなく、通常のザルぐらいの比較的目の荒い金網でも十分、掬える(すくえる)ことがわかった。
そこで、10cm×20cmぐらいの板状の金網を東急ハンズで買ってきた。
これだとティッシュの半分ぐらいのサイズだし、木枠もいらない。

6.乾かす
風通しの良い場所で1日干しておけば良いと思うが、もうちょっと早く作りたいので、フライパンで焼いてみたり、オーブンで焼いてみたり色々試してみた。しかし意外とうまくいかず、結局ドライヤーを使うと、少し早く乾くという所にたどり着いた。

でもって、半乾きの状態でゆっくりはがして、クッキングペーパーに乗せ、さらにその上からクッキングペーパを乗せて、上からアイロンをかけると比較的早く乾燥できた。

完成物はこちら。

まあ見栄えはよくないが、ちょい硬めのティッシュぐらいな感じにはなった。

水溶性や、柔らかさに関しては、いまひとつな部分があるので、なにか良い方法や添加物が見つかれば、追記したいと思う。

以上、ティッシュペーパーの作り方でした。

買い溜めをするべからず

ティッシュ、トイレットペーパーの品薄に関しては、デマによって一気に購入が増え、その後、現在徐々に供給されている。にも関わらず、それが、開店して早々に店頭から消えていくのは、転売の存在も多少はあるかもしれないが、それ以上に、必要な分が既にあるのに、まとめ買いしていく人の存在によるのだろう。

非常時に備えて、平常時にストックを確保しておくのは結構だが、こう品薄な時に必要以上にまとめ買いをする人は、人としてどうなのよと思うわけである。

今回の新型コロナの拡大で、トイレットペーパーが品薄になるのは在る程度予想していたが、まさか海外でも、そんな買い占めみたいなのが起きるとは意外だった。

マスクに関しても、そのうち供給されていくだろうが、気がかりなのが、アメリカ人とか、普段マスクとか全然しないし、いざマスクが必要だって思ったとき、どのぐらい供給できるのか。物流が越境する今日、そういった需要や供給がどの程度グローバルに影響するのか、やや心配ではある。

新型コロナ

新型コロナの存在が、経済や社会に影響を及ぼしている。
未知のウイルスに対し、医学的、薬学的、疫学的な部分での対策が対策のメインではあるが、巣篭もり消費や、テレワークなどのオンライン活用を促している側面が興味深い。

その集いは必要か

学校、職場、病院、イベント、日々多くの人々が様々な形で集っている。
今回それぞれの優先順位が再検討され、不要と判断したものは、中止、ものによっては延期、あるいはオンラインなどで代替されている。

我々の日常というのは、過去の延長で考えたがるので、いくらオンラインシステムがあるからといって、なかなか面倒くさくて、移行しないというのが現実である。
テレワークを例にすれば、やろうと思えばできるケースは多々あると思う。しかし、企業としては「テレワークに変更したから収益が増える」という感覚を持ちにくいので、実施してないという企業も少なくないだろう。

遠隔医療なんかも、過疎化する地域が増える国内事情も含め、もっと一般化すれば、多くの人がそのメリットを享受できると思う。

適切なコロナ対策とはなにか

今回、中国では、外出禁止など、やや過激な封じ込め対策が講じられた。
さらに今、世界に感染が広まる過程は、いわば新型コロナ万国封じ込め大会ともいうべき状況とも言える。

ご存知の通り、日本でも、イベントの自粛、テレワークの推進、入国制限などが実施されつつある。経済を優先させるならば、イベントの自粛や、入国制限などは、直接的にはマイナスだと思う。

とはいえ、個人的には、冒頭にあげたように、この騒動が、巣篭もり消費やオンライン活用とリンクする部分を持っており、テクノロジー活用の観点でのチャンスだと思う。

なので、多少なり各国や、政府の対策がいくらか過剰であっても、今後の備えや、今回の変化によってもたらされた気づきを、今後の社会に取り込む機会としては良い事なんじゃないかと、やや肯定的に考えている。

コロナ対策による経済的マイナスを防ぐには?

回答としてはシンプルである、別のもので代替できれば良いのである。
リアルのイベントを、オンラインで開催し、同じ収益が得られれば、収益的の部分では完全に代替できたことになるだろう。コロナは、感染する速度(新たな感染者数)より、感染後の回復者数が上まれば、鎮静化に向かう。そのピークがどの規模で、いつになるかが今は肝心だが、どちらにせよ、ピークは訪れる。
だから、イベントを先伸ばしても、よい同様の効果が得られるなら、先延ばしというもの一つの選択かと思う。

とはいえ、3日間大盛りを食べなかったら、その後3日分を一気に食べれるかというと、そうではないように、先送りが利用できるものは、限定されている。

という事で、
新型コロナは、災いではあるが、それにどう取り組むのかは、興味深い。
少しばかり過剰な対策も、そこでもたらされた気づきを、今後の社会にうまくフィードバックさせるという意味においては、ありなんではないかと思った。

2020予測

ややマンネリ化しつつあるけど、今年も1年を予測。

まずは昨年の予測から振り返り


キャッシュレス
大方の予想通りキャッシュレスは一歩普及が進んだ。
個人的にも、身近に利用する多くの店舗が対応するようになったので、現金を利用する回数は月数回とめっきり減った。

とはいえ、歯医者の保険診療など、未対応な分野も多々ある。
ペーパレス、キャッシュレス、ハンコレスは、今年一年で一気にすすめるべき。
現金は災害時の非常手段ぐらいに早く持っていかないと、この国はいつまでたってもIT化すら進まず、労働生産性どころではないだろう。

また、パルプは多くが輸入に頼っており、災害とかちょっと事で急に品薄になる。環境破壊の抑止、ペーパーレスの一環としても、キャッシュレスは重要なステップだと思う。

人工知能
どのぐらいの人が実感しているかは別として、ディープラーニングは、いろいろ場面で活用されるようになってきたと思う。一方で、問題点も浮上してきており、その点は、一般の人の理解(技術理解)の向上が必要だし、開発者側の注意も必要である。
とはいえ、この分野は潜在的ニーズが高いので、安全を十分に確認しながらゆっくり進めていきましょう、なんてことにはならない。爆速で理解して、爆速で対策するぐらいの、スピード感を持った方が良いと思う。

・TPP、イギリスのEU離脱
EU離脱が延期となったのは予想外だったが、離脱するなら早いとこ離脱してよと思う。
TPP亡国論の人がどこへ行ったか気になる。

ということで、本題の2020

大地震
昨年末ごろから各地での地震活動が活発化している。
個人的には、東海から関東にかけてのあたりに大地震が来ても不思議はないかと思っている。

バブル崩壊
何バブルかはわからないが、オリンピックというプラス要因はあれども、それ以上に影響が大きいのは、アメリカ、中国の動向。
それに加えて、人口減少、災害、気候変動、などが不動産価値に影響を及ぼす事もありえるだろう。

エコロジー
この分野は、あまりに社会的な反応が鈍く、これまで大きなテーマになることもなかった。ただし、昨年書いたように、気候変動が一般の人でも、「あれ?もしかして?」と思う程度になってきたので、もう少し問題意識をもたないとやばいんじゃ?。と思いはじめている人が少しずつでてきたと思う。
水没する島や、砂漠化ぐらいだと、比較的安全地帯にいる人々は、のうのうとしてられると思うが、これが、テロや紛争レベルに発展してくると、やや風向きも変わってくるのではないだろうか。例えば軍事費に莫大な費用をかけるのは結構だが、むしろそっちをケアした方がよいのではないかという発想も必要だと思う。

サイバーセキュリティ
とかく近年、サイバーセキュリティに関連する問題は、潜在的にリスクが増している。
セブンペイとか、HDDの持ち出し転売事件などにみるように、まあ日本の自治体や、企業はそんなレベルなんだから、大きな問題が発生するのは、時間次第といった所だと思う。
国防という意味でも、政府ももう少し力を入れてもらいたいし、国民ももう少しITに明るい、候補者を選んだ方がよいと思う。

ネット上のクローズドコミュニティー
インターネット老人会ではしばし、昔のインターネットはよかったなあ。という話題がでる。
最初はアンテナの高い一部の人々が使用していたので、多少なり意識の高いコミュニティだった事が理由のひとつだったと思う。
閉じたコミュニティというのは、今後のインターネット上のコミュニティを活用する上で再度見直されるテーマだと思う。



少子化

20世紀の名残で、多くの人が、世界人口は今後も増え続けるようなイメージを、いまだに持っているかもしれない。しかし近年、世界人口増加はいずれ横ばいになると予想されている。

日本の出生率は現在1.4とのことなのだが、政府が子育て支援をうまいことすれば、これが3とか4になるかと考えると、そんなことはない。

少なくとも、自由意志で結婚したり、出産を抑制できるようになり、それでいて、さほど死が身近ではない、現在の日本の出生率は、多少の改善の余地はあるにせよ、著しく変わる事はないという事である。

そういう点に於いて、高齢化問題を、少子化対策(多子化政策)で補おうと考えるのは、まったくの大間違いだと最初に言及しておこう。

やはり高齢化による社会負担は、いますぐ、同年代で調節するよう政策転換するべきだし、労働力不足の面では、海外人材やロボティクス、デジタル化をすすめるに尽きる。

国内政治はさておき。人類はこれから30年後より減少に転じ、2100年世界人口は60億人になってるかというと、個人的にはそうは思っていない。2100年の人類は90億人と予測する。

人口増の要因をSF的に考える

マンボウ人間
マンボウは1匹で数千万個の卵を産むという。
バイオテクノロジーの進化により、一気に多数の子供を産めるよう(というよりは培養?)になったら、一気に人口が増える可能性はあると思う。

養殖人間
映画マトリックスでは、電池として人間が培養されている。
人類とは別の意思によって、大量に養殖が行われれば、人口増となる可能性はある。

地球外進出
宇宙ステーションなり、月面基地、火星へと人類が進む事になった場合、やや強制的な人口増が必要とされるだろう。

人口減の要因をSF的に考える

一方、人口減はどうだろう、伝染病、隕石衝突、核戦争、まったくないとは言い切れないが、世界人口を2/3にさせるような、リスクというのは、かなり小さく、100年、200年で考えれば、極めて小さいと考える。

新知性による侵略
SF好きとしては、人工知能とかトランスヒューマン、宇宙人、その他、新知性が、旧人類を駆逐するという話は興味深い。

まあ、2100年の人口、かつて後進国とよばれた国も、経済水準がある程度になれば、出生率も2未満になるのだから、そこで頭打ちになればあとは、横ばいか減少という事になると予想するのが妥当な所だと思う。

とはいえ、地球上の動植物やペット、畜産などの個体数の増減を考えると、人類が介在によってその個体数を大幅に変化しているものもあれば、人間とは関係なく、大幅に増減しているものも多数ある。

ある程度テクノロジーが進化し、そろそろ予測可能とも思える人口増加。しかし、自然界を見渡して考えるならば、これは、まだまだ不確かな要素なのかもしれない。

消費税10%

消費税増税から一ヶ月がたつ。数年たてば、また13%とか言い出しかねないので、メモしておこうと思う。

法人税

法人税を下げて、消費税から徴収する。
これは、グローバルな経済を念頭におくなら、妥当な判断だと思う。

低減税率

始まる前からわかっていたが、低減税率は、わかりにくいし、面倒すぎだし、直ちに廃止するべきだと思う。
直ちに廃止が難しければ、対象品目から、食品を減らすだけでも実施すべきだと思う。
ベーシックインカム的に考えるなら、その代わりに、国民全員にお米券でも配ったら良いと思う。

消費税の使い道

国の借金が増えちゃったので、増税してそれを賄いましょう。なので、消費税増税は仕方がないんです。と国民は説得されたはずだが、現状、消費税の用途をみる限りそんな感じではない。
ま、よく言われるように、日本の国債発行による借金は、大きな部分が自国民と連動しているのでバランスさえ、とれていれば、大きな問題ではない。

消費税は下げられる?

国の財源は消費税だけではないし、さらに言えば税金だけでもない。
消費税を減らして、別を増やすでもいいし、税金を減らして、その分公共サービスを減らしてもよいのであって、消費税を減らす事を目的化すれば、別に難しいことではない。
とはいえ、それが、国民に広く良い影響を及ぼすかといえば、全くそんな事はない。

消費税を下げるなんていう、キーワードで国民を釣って、カモリストを作る、国損政治団体の片棒をかつぐような、政治団体にはくれぐれも気をつけなければならない。

さらなる税率アップを阻止しよう

人口が減少する中、従来の人口規模での社会インフラを維持しようとすると、社会負担が、急速に増大することになる。
国にあれこれ面倒をみてもらおうとするのではなく、自治体規模で、なにを重視するか考えて、必要な公共設備を、選択することが大事だと思う。

そのためには、優秀な市長、県知事を選ぶか、市民のレベルアップが必要である。

命の値段、自由の価値、選択の価値

高齢者の運転する自動車の事故に若者が巻き込まれたり、殺傷事件などのニュースをみると、制度を変えれば、ある程度抑制できるものもあるのになあと思う。

高齢者の運転に関しては、踏み間違い防止装置と、高齢者の免許改正、両方行えばある程度対応できるだろう。将来的には自動運転技術などで、事故防止なども進むだろうが、それまで放置すると、あと十年ぐらいはこんな状況を続けることになる。

殺傷事件に関しては、防犯カメラなどに、自動認識の機能をつけて、自動検出していくべきだと思う。

テクノロジーの発展により、誰でも簡単に、大きな事件を起こしやすい社会が実現しつつある中、理由はなんであれ、それに見合った武器や、防ぎょ策が社会になければ、社会は徐々に悪に支配されるだろう。

一方で自由とは、そもそもどうあるべきなのだろうか。
最も重要なのは生存権だと思う。

好きなことをして、誰からも文句を言われない自由というのはどうだろうか。
おそらく、そういう意味での自由というのは、共同社会には存在し難いものであり、共同社会における可動性というのは、個々の努力によって、徐々に確保すべきものなんだと思う。

命を尊重するためには、法制度を変える事が必要だが、法制度を変えるのは、議員などである。そういう意味で投票率の低い日本では、自由の価値、選択の価値を国民があまり理解できているとは言えない。

年金2000万円もそうだが、国民には本当に自由があり、自分の意思で考えて判断し、動いているだろうか。テレビや、スマホで流れてくる情報に操作されているのではないだろうか。

そいう点では、一人一人が社会の中で、地上に重力で固定された部品のような存在なのかもしれない。

もし個々が本当に物理的にも精神的にも自由あれば、空気の分子のように宇宙いっぱいに個々が駆け回るに違いないのだが、そうではない。

本当の自由を得るためには、自分で考える力と、推進力が必要である。
そうでないなら、社会の良き部品として、人生を全うすれば良い。