少し前に、SNSでみかけて、たしかにと思った投稿、「AIを使うと能力が下がるというけれど自分はいくらか下がったとして、影響があるほど高知能じゃない」というもの。
たしかに、アスリートが、いくらか運動能力が低下してしまう事であれば、大会出場などにおいて、クリティカルな問題かと思う。しかし、普通の人が、自動車をよく使う事で、多少運動不足を招いたとて、自動車(自動車に限らず電車でも、自転車でもよいが)のある生活の方がはるかに便利だと思う。
Youtubeの登場によって、いくつかの分野では、動画による学習コンテンツが登場したことにより、素人なのに、プロ並みに技能をつけたという話がいくつかあるようだ。同様にAIの登場は、専用のトレーナーもしくは家庭教師のように、個人の学習にとことん付き合ってくれるので、従来の学習にくらべるとはるかに、効果的に学べる領域がふえてきていると思う。
ビジネスの領域においても、AIを使っている企業が、少人数で大きな生産性に繋がっていたら、それを導入しない企業より、日に日に差をつけられることにつながり、非導入企業はいくつかの分野では淘汰されていく可能性はある。
AI脅威論の中で、AIにできない事、AIに奪われない仕事に目を向けようというポジショントークを時々みかける。
たしかに人間にしかできないもの、という観点は、あり得ると思う。
しかし、そこに需要が集まるのであれば、今度は人間同士が競合する事になるので、それはそれで取り合いになると考えられる。
それでも、そこを狙いたいと考えるのであれば、それは否定はしないが、私自身はまずAIは、利用できる部分をできるだけ利用し、なにができるか、それをどのようにしたら効率よく使えるか、どのような場合にデメリットがあるか、しっかり把握しておくことの方が、優先順位は高いと考えている。
claudeを1年ほど使って最近思うのは、AIが相棒的な存在になりうるという点。
AIはClaudeだけではないが、Grokとか急に使うとなんかこいつキモいなと思う。そこまで自覚はないが、今後AIがもっと自分にフィットしていくようになると、人間のように親しみが湧いてきて、なんかの拍子に使えなくなると、喪失感につながりそうな気もしている。
AIのデザインとして、キャラクターと、ユーザーの記憶という部分はやや大きなテーマとなりえる。
例えば、AIBOは飼ったことないが、aiboの記憶はクラウドに保存されていて、引き継ぐ事ができるという。
LLMに関しても、この部分については、配慮が必要かもしれない。
長くなったがそろそろ本題に。
検索に関しても、効率よく検索するキーワード指定があるようにLLMを使うのにも、効率の良いプロンプトというのが存在する。
私の場合は、文章作成での用途は少なく、AIが、だいたい察してくれるので、細かな設定はほとんど不要。
文章作成であっても、適度に例文をもらえれば、参考にして使う方が、AIの文章に「のまれなくて」よいと思っている。
人間でも、アレクサでも、相手がわかりやすい質問を投げると言うのは、効率良い応対を受けるためには重要な点だと思う。
検索エンジンも、使い方次第で必要な情報を得られるまでに、多くの手数を必要とするので、どのLLMにどんな質問をするのかは、相手をある程度知る必要があるし、その点で、AI時代のコミュニケーション能力というのは少なからず必要な要素だと思う。