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月: 2017年3月

日本

日本はとても良い国である。
人口1.2億、GDP5兆ドル。
海に囲まれた島国で、経済が発展している。
たしかにカロリーベースの食料自給率は39%と低めだが、野菜などは、
国産が多く流通している。
比較的教育水準も高く、大学進学率を50%を超えるなどと、そこそこの教育水準だと思う。
日本に生まれていれば、そこそこの生活と教育が受けられ、食べ物も比較的美味しい。
ざっくり言えばそんな国だ。
では、日本は世界一住みやすいところかというとそうでもない。
地震、津波、台風などのように、天災による被害は時々発生する。
年間3万人が自殺、年間3千人が自動車事故で死ぬ。
とまあ、世界的に見れば、そこそこ良い国ではあるけれど、国まるごとユートピアではない。
日本人にとって、日本が住みやすいのは、比較的格差が小さく、均質だからであり、
普通であってもそこそこ居心地が良い社会なんだと思う。
海外に行って、「あ、こういう点は日本より住みやすいな」と思う事がある。
もちろんどこに住むかとか、その環境によるが、いろんな事が大雑把に成り立っているという点である。
日本だと、些細な事でクレームになるような事が、海外だと普通だったりする。
もちろんこのオーバースペック気味な、サービスが日本全土に行き渡っているのが、
良い点でもあるが、それらは自らを疲弊させている原因にもなっている。
一方で、外国の人が日本に来て、住みやすいと思うのは、どんなところだろうか。
治安が良く、食べ物がそこそこ美味しく、衛生的、物価もそここそ安く、自然環境豊かな場所もある。
ただしダイバーシティーという観点で言うと、日本は比較的均質で、異質なものに対する距離感という点で、
馴染めない部分もあるかと思う。
日本という国が今後も住みやすい国であるためには、
海外にいって、現状の日本の社会に求めらているサービスのプライオリティを考え直し、
無駄な部分を削ることを知ることだと思う。
もちろん、医療、教育、経済、福祉など、より進めていかなければいけないものも多数あるが、
不要な品質要求を減らすというのが、人口減少の中での住みやすい社会を維持するための
ポイントだと思う。

アメリカとは何だったのか

トランプ政権が発足して1ヶ月以上が経過し、移民政策がある程度国民に支持されているのを見ると、我々が今まで思い描いてきたアメリカ像がゆらぎつつある。
というより、我々がもっていたアメリカのイメージはやや間違っていたと考えるほうが正しいのだろう。
アメリカの経済成長は、これまで多くの移民によってもたらされてきており、そのことが、外人の存在を
ある程度許容していたが、
実際のところは、自国主義的な思想が、都市部を除く全土に根付いていて、それが、今回の選挙により表面化したって事なんだろう。
アメリカの自由や、多様性のイメージを取り繕って来たものとはそもそもなんだったんだろうか。
・都市部の社会
・移民
・グローバル企業による宣伝活動
・マスメディア
この辺りが、そのようなイメージを広めて来たのだと思う。
では今それらに何がおきつつあるのだろうか。
・都市
勝手に想像するところ、地方都市が成長しつつあり、従来のように突出したメガシティが牽引役という、
社会構成はすでに崩れつつあるのだろう。
これからは、あるいみ地方都市の時代なんだと思う。
・移民
たしかに移民の方が増えちゃうと、先住民(何世代が先に住んでいた住民)からすると、
気に入らなかったりするのだろう。
移民は先住民より少なくなければならないという事はないのだが、比率が拮抗すると反発が
表面化しやすいとは思う。
・企業による宣伝活動。
企業にとって幅広い人材は重要だ。
だが、均質な組織も、特定の分野においては効果的に働く場合もある。
日本が分かりやすい例だ。
・マスメディア
既存のマスメディアは、その力を利用して大衆を時々コントロールしてきた。
もう少し正確に言うと、権力者が、マスメディアを利用して、大衆に影響を与えて来た。
しかしマスメディアは、インターネットの台頭によりインフルエンサーの主役ではなくなりつつある。
SNSの投稿やその拡散により、カオス的なうねりの中で、ブームや、注目のトピックが生まれる。
これらの変化の中で、今後アメリカはどういう方法へ進むべきだろうか?
個人的に思うのは、トランプ政権の登場は、シリコンバレーの敗北でもあったと思う。
「ウェブはバカと暇人のもの」という残念なインターネットではなく、
インターネットは、社会から貧困をなくし、地球上の知と財をあまねく共有するツールとして活用されるべきだ。
銃規制、人種差別のない社会、貧困のない社会、自由度の高い社会を実現させつつ、それらを
今後勢力を増すであろう、アジアやアフリカなどの手本となるような、良い国家を目指して欲しいものである。