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月: 2013年6月

株主総会

DeNAの株主総会に行って来た。
株主総会は、株主に前期の報告や今後の見通しなどを説明する場である。
別の言い方をすると、株というもので会社と繋がっている人々との経営者との集いだが、
一般の株主からすると、経営陣を直接見る事ができる年に一度にイベントといった感じなのかと思う。
流れとしては業績の報告、質疑、決議。というシンプルなものである。
総会の醍醐味は、質疑応答で、株主からの質問、提案、クレームに経営陣がうまく受け答えする
という、部分なのかと思う。
ここに集まった人は、多かれ少なかれその会社にお金を出しており、経営者の発言や姿勢に注目している。
経営者は株主に対して一定以上の配慮が必要となる。経営陣には緊張感が漂っている。
しかし、発言する株主は様々で、
今回は、配当を増やして欲しいという株主もいれば、いやいや成長企業は株主還元より事業投資が厚くていいんじゃないかという株主もいる。野球ファン(横浜DeNAベイスターズ)としての意見を述べる人もいれば、同郷の先輩じゃという人や、モバオクのイメージ改善を意見する株主など。
どんな株主がいるかわからない。
ある意味アンコントローラブルな可能性に満ちた空間で、議長(多くの場合はCEOかと思う)が発言者を選び、株主との受け答えをする。
会場の雰囲気は、それぞれ一問一答により、展開・進行していく。
そんなあらすじの無いコンサートは、一通りの質疑を終え、決議に進む。
株主はそれぞれの決議事項に拍手を行い、承認が完了する。(実際の所は儀式的なものだが)
議長の閉会の宣言がなされ、経営陣は安堵する。
今回、個人的に興味があった事項として
commって最近どういうポジションなの?
という疑問があったのだったが、これは質疑で質問してた人がいた。
現時点では、それほど大きなリソースも使ってないし、ここで改めてCMとか出しても、
伸びそうも無いので、現時点大きく出る感じではない。というようなニュアンスを含んだ
回答だったと思う。
その他、成長企業は株主還元より事業投資が厚くていいんじゃないかという株主の発言にちょっと
ジーンと来るものがあった。
ともかく、株主総会というのは、株主が何を言い出すかわからないちょっとした緊張感と、
ときどき発せられる不協和音を、議長や経営陣、はたまたほかの株主がうまく調整しながら終了を迎える過程が面白いなと思った。

国とは何か

国とは何かふと考える時がある
私が思うには利害関係の共有グループのひとつである。
国として必要な要素、領土、国民、主権。
日本の場合、日本列島という地理的に連なった土地の中で主に同様の人種が生活して繁栄してきたので、
(近隣諸国に近い部分を除けば)視覚的にまあこの辺が日本かなと分かる。
しかし、陸続きの国のなると話はもう少し複雑だ。
国という単位である程度共通の宗教や言語を持っている場合もあれば、同じ民族や同じ言語を話す民族でも、分断されている国も存在する。複数の人種や宗教の人々が生活している国も多い。同じ民族でも戦争などにより、複数の国に分断されている国もある。
人種、言語、宗教が様々で、どこをその国の領域とするかだが。
主権が及ぶ範囲というのが一つのポイントなのかと思う。
日本で生活していると、国というのは、
ある面、税金を払うことで、軍事、医療、教育、などのサービスを提供する公共組織のようなもののように思える。
国とはどうあるべきなのだろう?
またはどんなサービスを目指すべきなのか?
ひとつは民主的であること。
これは大多数の人が支持できるものかと思う。
ただしそれを少し掘り下げ、国とは誰の為にあるべきなのか?
という事を考えると、これは人により意見が分かれる。
世の中に、善人と悪人がいるとして、両方を含めて民主的であるべきなのか?
それとも善人を中心として民主的であるべきか?
はたまたIQが高い人と低い人がいて、IQが高い人の意見を優先すべきだろうか?
あるいは身体的能力が高い遺伝子を優先すべきだろうか?
次に、大きな政府と小さな政府、どちらを目指すべきかというと、
これも人により考えが異なるだろう。
大きな政府は、政府が市場に介入し、国民を管理する。
小さな政府は、民間でできること。個人でできる事は個人の自己責任でやれというものだ。
私は元々はリベラル&小さな政府派なので、国の介入は最小限で、あとは自由に。を理想と考える。
ただこれには問題がある。
国民がちゃんと自己管理できない状況で、「はい、あとは自由にやってくださいね」という事にすると、そういう環境で力を発揮できる人がいる一方で、伸びない人もいるし、敗者も生まれる。
例をあげるなら、駄目人間をちゃんと受け入れる場所を社会として用意していないと、ダークサイドの組織が拡大してしまうという事である。
それをカバーする為には、社会全体で、保障やサービスを行う必要がある。
そこで、単純にリベラル&小さな政府だけではなく、その下に広く薄い社会主義の土台が必要だと思う。
そういう意味で言うと、昔、菅直人が言っていた
「幸福は個々人の価値観によって異なり、これは権力が関与するべきではない。
人の幸福とかに政治が関与するのは最低限でよい」 という「最小不幸社会」も、
表現がしっくりこないだけで実は同じなのかもしれない。
少しまたもどって、国とは何か。
映画ジャッキー・コーガンでブラッドピットが「アメリカは国家ではない、ビジネスだ」
という場面がある。
悪く言えばならず者が幅をきかせるビジネス主義の国だが
良く言えば、ビジネスが自由にできる社会とも言える。
例えば日本株式会社を考える。
とてもどん欲な組織 日本株式会社は、利益の最大化を中心に運営される。
世界中の資源を支配しようと企み、国民には重い税金、学習、労働、出産、移民の勧誘など様々な義務が課せられる。
主体は国民ではなく、国家という組織の繁栄という考えである。
さらに日本の繁栄ということで考えると、これまた人により意見が分かれる。
過去の日本(江戸、明治、昭和など)を残そうという人もいれば、自分が生まれた時点での環境に執着する人もいれば、進化にこそ意味があると考える人もいる。
で私の考えは国というのはその土地に歴史的に発生した利害関係の共有グループで、
以前書いた「個人と共同体」のエントリーように、個人は、国という所属に必ずしも固執せず、
思想的な共同体を選択するべきなんだと思う。
その上で、国というのは社会主義的なファンデーションをベースとしその上に資本主義的な枠組みを
提供するべきなんだと思う。