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カテゴリー: 旅行

ニューヨーク

初めてのニューヨーク旅行のメモ
よく目につくのがコーヒー片手に歩いている人。
職場に持って行って飲むのか、移動中に飲むのか、公園などで飲むのか不明だが、コーヒー片手に
歩いている人は多い。

東京にあって、ニューヨークにないもの
トイレ
とにかくトイレがない。
トイレがある場所は結構混んでいるので、こりゃ不便だなと思う。
公衆トイレ増やした方が良いと思う。

逆に、ニューヨークにあって、東京にないもの
ゴミ箱
東京はゴミ箱があまりない。
ゴミ箱が少ないのに東京には、道にゴミが少ないのはある意味すごいが、
ゴミ箱ぐらいはあったほうが便利だと思う。
ニューヨークもテロ対策は重要な課題となっているが、ゴミ箱は意外なほど普通にある。

歯ブラシ
歯ブラシをもっていくのを忘れたので、買ったのだが、歯ブラシがでかい。
建物とか、なにかとでかいアメリカだが、歯ブラシもこんなにでかいのはちょっと謎である。
子供用として売られているぐらいのでも十分なサイズの気がする。

渋滞
滞在日数が少なかったので詳しくはわからないが、道路は渋滞するし、
地下鉄も満員電車など、交通状況はなかなか問題がありそうだった。
東京都内も、大きなな駅周辺は、渋滞ポイントが多いし、まあそんなもんかなとは思う。

道路から湯気
映画とかでも、道路から湯気が出ているシーンを見かけるあれ。
なんなのか調べたところマンハッタンの地下には、セントラルヒーティング的な、暖房システムがあり、
それが壊れたり、蒸気をなにかの理由で逃している場合があるらしい。
日本でも、六本木ヒルズとか先進的な建物で一部導入されているが、
東京の場合は気候の面から考えると、ドライミストとか、水冷的なシステムを導入したら良いんじゃなだろうかと思う。

チップ
カード支払い時に、記入欄があったり、支払い時に3択ぐらいで、チップ額を選択できるように
なっていたりするのだが、評価システムとしては面白いが、面倒なシステムだなとは思う。
チップというのは、特にサービス業で賃金が低いためそれを補うものとされるが、
それだったら、サービス業の労働賃金のほうをちゃんと上げたほうがよいと思う。

治安
もう少し殺伐としている感じなのかと思ったが、テロ対策も含めて近年治安が
向上したのかもしれない。大通りであれば、夜歩いてさほど危険な感じではなかった。
とはいうものの、日本ほど安全ではないので、旅行される方には注意が必要だと思う。

パリとニューヨーク
個人的には、パリのほうがリベラルな印象が強いのだが、ニューヨークのほうが差別感は
少ないような感じがした。

パリ旅行

9月にパリ旅行に行ってきた。
パリへは何度目かで、正確には不明なのだが5回以上は行っている。
個人的にフランスが好きなのは、気候、人、文化・歴史、名所などで気に入っているからだと思う。
パリというところは、歴史があり、都市でもある。
日本でいうと京都みたいな面もある。
フランス人は、ラテン系の人や、ラテン系ではなくてもラテン的な人も多く、
ドイツやイギリスほどかたくはないが、かといってスペインやイタリア人程、
軽い感じじゃないというのが個人的な印象である。
海外旅行が、国内旅行とやや違うのは、
周りの人の尺度が違うという事だと思う。
本当の旅の発見は新しい風景をみることではなく、新しい目をもつことにある。
マルセル・プルースト
別の価値観からみることで、それって意外と不要だったんじゃ?
とか、逆にここが良いとか、思うことができる。
ただ、価値観が違うというだけでは、心地よくないわけで、
フランスもしくは、パリの人々が持つ、尺度に共感できる部分があるという事だと思う。
そもそも、フランスにも日本かぶれ(ジャポニズム)という流行があったり、
フランスにも日本的な部分があったり、日本にもフランス的な所がある。
例えば、東京タワーは、フランスのエッフェル塔を意識した建築物である。
フランスも多くの原子力発電所を保有している。
具体的な例を色々出していくとキリがないので、とにかく
フランスには、日本の未来と過去があって、個人的にはそれが心地よいと感じるから、
フランスが好きなんだと思う。
9月のパリは少し観光シーズンからずれていて、混雑もそこそこで、暑くもなく、寒すぎず、なかなかよい時期だと思った。

富士登山

富士山を登って来た。
富士登山は過去に2回挑戦しているのだが、中学生時代に1回
登頂中、自分が高山病で断念。もう一回は家族が高山病で断念。
というわけで、3度目のチャレンジとなる。
今回は、吉田ルートで八合目に一泊、山頂でご来光というツアープランに参加した。
吉田ルートは比較的初心者向けとされており、尚かつ急いで登るより、ゆっくり登った方が、
高山病になりにくいとされているのがこのプランを選んだ理由である。
そもそもなんで富士山に登るのか。
かつて2度登れずに残念だった事。もっと年を取ってから登るのは大変だし、そのうち噴火でもしたら、
登れなくなるし、今のうちに登っておこうというのが主な理由である。
他にも、静岡で生まれて育ち、富士山というのが、比較的身近な存在だったのも理由かと思う。
早朝、新宿を出発、バスにのり、富士スバルライン五合目に到着。
いよいよ富士山を登る。
装備としては、
・リュックサック
・水2L
・アクエリアス 1L
・おやつ(チョコや、キノコの里)
・靴(登山用)
・ズボン(登山向けの半ズボンにもなるタイプ)
・長袖
・セーター
・日焼け止め
・雨具セット(レンタル)
・ヘッドライト(レンタル)
・ゴミ袋 3枚
・軍手
・トイレットペーパー
・ウエットティッシュ
・タオル(首に巻ける感じのもの)
・携帯酸素(あまり役にはたたないとされている)
ざっとこんな感じ。
妻は上記に加え
・サングラス
・登山ストック
・マスク
といった装備だった。
天気は良好、半袖で登る。
背の高い木々が生えているエリアはすぐ終わり、低木が生える景色へと移行する。
所々、上がるのが高い一段があり、勢い良く上がりたくなるのだが、
多少空気が薄い所では呼吸に影響を及ぼし高山病になりやすいといわれるので、呼吸を乱さないよう慎重に登る。
七合目 やや疲労感。
ゆっくり休憩を取りたくなるが、長く休みすぎても疲労感が増すそうで、ペースを保ちつつ登る。
宿泊する山小屋少し手前で渋滞。
かなりの行列。
近年の登山ブームもあり、かなり多くの人が富士山を登っている。
富士山は、高さこそ日本一ではあるが、道などはある程度確保されており、所々山小屋もあるので、もっと険しい山に比べれば、比較的簡単な装備で挑める山かと思う。
八合目山小屋到着。
だいぶ疲れて来たし、とにかく眠い。山小屋で夕飯を食べ、つかの間の就寝。
20時ぐらいに寝て23時ごろに起き、頂上に向け再び登山。
個人的には、一眠りしてからの登山はすこぶる快調。
ただし、暗いし、寒いし、岩場で足場も悪い上、風も出て来た。
頂上に近づくにつれ再び息苦しい登山となる。
ようやく山頂に到着、とにかく寒い。
山小屋がまだ開いてないので店の前で30分程並ぶ。
店があいて、ちょいかるく食事をとり、ご来光を見る。
風があって砂埃もつらいし、寒いし、とりあえずなんとか登れたので、あとは
早く帰りたい気分だ。
火口をちらっとみて、そそくさと下山開始。
大変なのはここからである。
半日ぐらいかけて登った山を、一気に降りるわけなのだが、滑りやすい砂利道で、砂埃が目に痛い。
日光という部分でサングラスは特に要らなかったが、土ぼこりよけという点では、眼鏡や、マスクが
あったほうが良かったなと思った。
ちなみに日焼けと防寒と言う意味では、首に巻いたタオルが結構重要で、これが無かったら
結構大変だったかなという気がした。
帰りはひたすら赤い砂地を、滑りそうになりながらひたすら下山。
富士登山のイメージは黒い岩地を登って行くイメージだったが、ふと火星に来たような気分になった。
登りよりはくだりの方が、運動量的には少ないと思うが、砂地の斜面を滑りそうになるのを気をつけながら
下るのはそれなりに足への負担は大きいし、なによりも既に疲労の蓄積により、じょじょに標高はさがってくるものの、まだ5合目までには付かず、こんなに降りたのにまだ半分かという感じで、
特に残り3kmぐらいがかなりしんどかった。
それに増して、アブやハチなどがまとわりついて来て、虫除け忘れた事に気づく。
無事下山し、バスの集合時間まで30分。
急いでソフトクリームを食べ、レンタルの雨具を返却。
帰りは、温泉によって帰るというプランで温泉によったが、
気分的にはさっさと帰りたい所ではあった。
とはいうものの、富士山では砂埃で顔や耳の中まで黒くなった。
ひとっ風呂浴びて帰るというのはまあよい選択肢なのかもしれない。
帰りのバスは途中渋滞にもはまりつつも予定通りの到着で、無事家路につく事ができた。
で富士登山はどうだったか。
山頂もしくは、7合目付近から雲海の様子。
下の方と上の方の気温差とか、それぞれに生きている植物。
ほぼ火星な帰り道。
一つの別世界を体験でき、尚かつ三度目にしてようやく頂上までいけたというのは、
とてもよかったと思う。

ヴェルサイユ宮殿

久しぶりに、ヴェルサイユ宮殿に行って来た。
といってももうしばらく前の事だが。
ヴェルサイユ宮殿というのは、パリから少し離れた場所にある無駄に豪勢な宮殿(建設当初は離宮)である。
王制による、富と権力の集中というものが、ヴェルサイユ宮殿には見て取れるが、その後、フランス革命が起こる。
貴族の反乱により絶対王政が倒れ、ナポレオンにより統制された。
フランスの絶対王政というのがどのように成ったのか、歴史に疎く、よくわからないが、
王が権力を持っていた時代があって、特別な権利や富を、王族や、貴族が持っていたんだろうなと思う。
なぜ王制は崩壊したのだろう。
ヴェルサイユを見ると、無駄遣いしすぎたから崩壊したんじゃないかと思ってしまうが、
大飢饉により当時の国民が苦しみ、政権を打倒する必要性が生じた事や、
商人が商業を営む上で、貴族の貴族特権を廃止させる働きかけによる影響であったようだ。
贅を尽くしつつも、このなんとも居住性の悪い建物で暮らした当時の人々の事を考えると、
これだけの富をもちつつも、それを誇示する為に不便を強いられ生活しなければならない、
富とはなんなのだろうか?

軍艦島(端島)

先日、端島(はしま)に行って来た。
【交通】
東京からは、羽田-長崎空港を飛行機。
長崎空港から、長崎駅まではバス(高速バス)、
長崎駅から長崎港までは路面電車、
長崎港から端島まではツアー船で行った。
【宿泊】
軍艦島だけなら、日帰りでも行けると思うが、せっかく行ったのに天候不順で船がでない事もありえるので、
その場合は翌日に行こうと思い、長崎駅近くのビジネスホテルに1泊にした。
【軍艦島(端島)】
「元々は、南北約320メートル、東西約120メートル」(Wikipedia)の島だった。
炭鉱の開発により、埋め立てにより広げられ、コンクリートのアパートが建設され、多いときは島に5000人を超える人々が住んでいて、今から30年少し前に閉鎖された、現在は無人の島である。
天気もまあまあよく、波も静か、無事軍艦島に着く。
岸壁はコンクリートで固められていて島全体がちょっとした要塞のような感じだ。
陸に上がって、見学できる箇所はごく一部で、くずれかけの建物に入ったり、あまり近づけないのだが、
建物の多くが風化しているのがわかる。
30年と考えると、それほど長い歳月でもないが、雨風や、一部は波にさらされる事や、建築の問題で、
崩壊が進んでいるようだ。
建物の窓からは、植物が見えたりして、
無人となった建物にひっそり息づく植物の存在は、美しい。
廃墟と言えば、数年前に行ったカンボジアも
廃墟と言えば廃墟である。
カンボジアの場合は、寺院であったものが、自然倒壊したものや、
戦争により破壊されたものなどが見られる。
個人的に好きなのは、人工物が、長い時間をかけ、雨風により自然倒壊し、
尚かつ植物などが、新たな住人となっている姿。
(なので人工的に倒壊したものは、あまり関心が無い。)
簡単に言えば、盛者必衰、諸行無常 後の世界といったところであろうか。

山よ

先日長崎に旅行。
初めて国内線の飛行機に乗る。
見下ろす景色の中で思ったのは、
緑の山々について。
山が緑なのは、普通と言えば普通だけど、
それらが、単に緑色で塗りつぶされているわけではなく、
木々の凹凸が見え、それぞれの多数の生命によって構成されている事に
不思議な感覚を得た。
都会にいると、周りの多くは人々が住む建物ばかりで、
それは一見どこまでも続いているように見える。
だが飛行機で上空から見てみると、建物の見えない山々が続いていた。
そして、無数の樹木(生命体)が山々を覆っている様子は、
我々人間が築いてきた人工物の痕跡とは対照的に思えた。

インド旅行

3泊5日で、インドに行ってきたのでメモ。
なんでインドにしたのかというと、行った事がないし、とりあえず一度は行っておきたいと思ったからである。
まず行く前に誤算だったのは、
・4泊のつもりだったのだが、予約後フライトがなくなり一日短くなった事
・インドのスケール(地理的な幅)をあまり理解してなかった事
・初日の到着時刻が朝頃だと勘違いしていた事
行く前に行こうと思ってたのは
・タージ・マハル(アーグラー)
・ガンジス川(ガンガー)
実際に行った所は
・スィカンドラー(アーグラー)
・タージマハル(アーグラー)
・GALTA JI TEMPLE
・シティパレス(ジャイプール)
・ジャンタル・マンタル(ジャイプール)
・風の宮殿
・アンベール城(ジャイプール)
・インディア ゲート (ニューデリー)
以下内容。
【インド1日目】
まず空港に到着、地下鉄でニューデリーに移動。
この地下鉄は日本が資金や技術を一部支援したようだ。
定刻通りには動いていないようだが、運行はちゃんとしてるし、かなりハイテクだ。
改札機はSuicaのように非接触カードで利用するのだが、カードタイプの他、トークンという1回限りのタイプのものがある。
トークンでは、乗る時は普通にSuicaのようにタッチして、降りる時は自動改札で回収され再利用されるらしい。
電車はきれいで、落書き等もない。ちなみに駅構内はセキュリティが厳しく、写真撮影も禁止、入るのに荷物チェック、ボディーチェックがある。
車内の壁には次の駅がディスプレーに映しだされていて上には、現在地がLEDで示されている。
空港からの電車は空いていた。
せっかく優れた、交通システムなのだから
・定刻通りに運行する事
・せっかくの自動改札なのに、いちいちセキュリティで人がチェックしていてるのって無駄なんじゃね
と思った。
話は戻ってニューデリーに到着。
ツアーデスクで翌日の鉄道等の手配をしようと思ったのだが、駅をでてからツアー案内が見当たらず、
きょろきょろしている所で、バイクタクシーの運ちゃんにつかまる。
その流れで、ちょい、うさんくさい旅行代理店事務所らしきところにつれて行かれ、
そこで3日間のツアープランを薦められ、悩んだ末申し込む。
予め予約したホテルに行きたかったのだが、ホテルまで遠いし、
翌日朝早いのでと、近くの安宿に泊まる事になる。
既に飛行機で疲れていた事に加え、旅行代理店のおっちゃんとの交渉やら、
支払いが現金でと言われATMに言ったり、その後のホテルがあんまりだったので数件回ったりと
かなり疲れた。
あんま食欲もないので、ビールでも飲んで寝る事に。
その後、ホテルのスタッフ(ページ・ボーイ?)がやってきて、何か食べるものをオーダーしたらという事でチキンカレー的な何かを頼んでみた。
骨が食べにくかったのと、あんまり美味しくなかったので以降チキンカレーはやめておく。
【2日目】
翌朝迎えに来てもらう予定の時刻の前に少し周辺を観光しようと歩いていると
今度は、青年(学生)につかまる。
その流れで今度は政府の観光案内(本当かどうかは定かではない)という所に行き、そこで前日申し込んだツアープランは危ないよと言われ、たしかにと思い、悩んだあげく変更。
その頼んだ所に普通にキャンセルするのは危ないよと言われ、予定の時間前に、ばっくれることにした。
ここが一番難関だったのだが、チェックアウトしてないのにキャリーバッグを持って外にでるのは変だし、チェックアウトすると止められるかもしれないという事である。
チェックアウトした所で案の定、昨日の旅行店に連絡が行って待っててねと言われた。
フロントにすぐ戻るからちょっと出かけてくると言ったら、再度電話され、すぐ行くから待っててと言われた。仕方がないので、わかったふりをしながらそのまま脱出。
近くで待っててもらったバイクタクシーにて再度ツアーデスクに戻り、そっちのプランで観光再開。
まず紅茶専門店へ連れて行かれる。
観光代理店とお店が契約しているとかなにかでバックマージンがあるのだろう。
ふつうのちゃんとしたお店のようなので、いくつかおみやげを購入。
ただ荷物になるので、商品はお店にキープで、帰りに寄る事にした。
アーグラーに向けて出発。
今回移動は全部、自動車だ。電車がいいなと思ったのだが、正確に運行しないし自動車のほうがよいそうだ。自動車は確認はしなかったが、Tata Motorsだと言っていた。
タタモーターはインドの自動車会社で、実際に走っている車はタタモーターが多い。
勿論、スズキ、トヨタ、ホンダ、ミツビシ、日産などの日本ブランドの車も走っている。
お昼は、カレー的な何か+チャパティを食べる。
味はふつう。いっしょについて来たタマネギは辛かったので少しだけ食べて残した。
移動の途中、石油工場(っぽい建物)があって、塔の上から火が出ているのがかっこ良かった。
アグラーに到着。
スィカンドラー
あまり有名な感じじゃなさそうだが、塔が4本建ったかっこいい建物である。
中に入ると、入り口にたっていたおっさん(ガイド?)が頼んでもいないのに案内を始めた。
言っている事は大体分からない。後で請求してくるパターンの押し売り系のガイドなんだろう。
それでも別に困るもんでもないし、案内してもらう。
メインのタージマハルを見る。
まあよくこんな巨大な墓作っちゃったものである。これは見に来た甲斐があったなと思う。
ちなみにタージマハルは、土足禁止になっていて、素足か靴カバーをする必要がある。
タージマハルは、駐車場から少し離れていて、帰りに別ゲートから出てしまい戻るに苦労する。
入ったゲートがどこだったのかは完全に忘れてしまったが、写真のGPS機能より、メモ用に
撮影しておいた写真の位置情報を元になんとか戻って来れた。
この写真の位置情報による迷子からの帰還はピンクシティ(ジャイプール)でも役に立つ。
地図で出発地を記録しておくだけでもよいのだろうが、知らない土地で観光すると、戻ってくるのが一苦労である。
とにかく外は暑いので、相当体力を消耗する。
興味は全然なかったが大理石屋に連れて行かれ、大理石のコースターを買う。
たしかに手作業で作るのには時間がかかるだろうし、相場的にはそんなもんなんだと思うが、
興味ないし、素人目でみてもお土産品クオリティだ。
それでも店主の押しに根負けして結局購入。
大理石の工芸品(象嵌)は、けっこういい値段するのだ。
ぱっと見2、3千円ぐらいにしか見えないのだが、ある程度工数がかかるのだろう1万円以上する。
機械で作ったほうが精巧に短時間でできると思うのだが、そのあたりの価値観はよくわからん。
ともかく要らないものは1円でもいらないし、比較的高いものは尚更である。
続いて宝石店。
ますますいらない。
さすがにここでまともに宝石の指輪なんぞかわされたらたまったもんではない。
とりあえず、おれ学生だからと言って、難を逃れたが、最終的には根負けで安い石を買って完了。
途中、店内が2回程停電になる。
お店の人は、大手企業の電力を融通するために、一般世帯の電力をカットするのだというような事を言っていた。
その後、高価ではない、なおみやげ物屋さんに寄って買い物。
ここは高いお店じゃないし、香辛料とか、適当に買って完了。
夕飯はターリーとチャパティ。
味はまあまあ。
飲み物は、ラッシーを頼んだが、ストローが薄過ぎて飲みにくい。
最後はあきらめてコップ飲みだった。
店を出ると夕立外は大雨だった。
ここでも帰りがけに停電に。
ホテルにチェックイン。
初日の宿にくらべると少し良いが、バスタブ無し。
何よりも困るのはWiFi無しである。
仕方ないのでケータイでネットにつなぐが、ケータイも電波が入りにくい。
キャリアを変更したり試してみるも全然だめだ。
そうこうしていたら、なぜか急に電波が入ってくるようになった。
どういう理由かはわからないが、ともかくかろうじてケータイでネットに繋がってよかった。
【3日目】
朝食は、部屋に運んでくれるタイプで、パンとオムレツにコーヒー。
日本のオムレツは黄色いが、白いオムレツだった。
調べたところでは、インドのオムレツは白いらしい。
そもそも日本の黄色いのは、飼料によって黄色を濃くしているだけだ。
栄養とか、新鮮さには関係ない。
ジャイプールに移動。
ホテルにチェックイン
今日の宿は時間限定ながらWiFiありの宿だ。
ただWiFiが使えると言っても、各部屋用ではなく、ホテルのフロントから部屋が近くて
かろうじて入ったようだった。
バスタブもあったし初日や二日目の宿にくらべるとかなりよかった。
らくだに乗る
せっかくなので乗ってみる事に。
道路を歩いて往復してくれるというものだ。
馬にも乗った事はないので分からないが、そんなに乗り心地は良くない。
通りの自動車などから注目されるので、すこし恥ずかしい感じだが、視線は高いので見晴しはよい。
【4日目】
朝食は地下のレストランでバイキング方式。
でもあんあり食欲はないので、昨日と同じく、トースト&コーヒー。
アンベル城(ジャイプール)へ。
中に入ると象が歩いていた。
ガネーシャ門は色合いと装飾が奇麗だ。
ジャイ マンディールの天井は銀色にピカピカしていて、銀食器のような感じ。
ジャイプールからデリーへ移動。
マサラドーサを食べる。
中にはマッシュポテト的なものが入っていて外は揚げたてでぱりっとしている。
スープ的なカレーがついている。
人気店で地元の人がお店の周りに人も行列 自動車も複数駐車してるのだが、店の前で後から止めた車でふさがって出られないと、戻って来た車の持ち主とでしばしもめていた。
まあとにかく人気で行列のできるお店らしい。
ツアーデスクに戻って、今回のツアープランを担当してくれたおじさんにチップを払う。
出かける前にも払ったので、2重取りな気もするがその辺は気にしない事にする。
2日目の朝に行った紅茶専門店に行って紅茶を取りにいく。
再度オフィスに戻って、今度は今回の3日間の車での運転をしてくれたドライバーにチップを払う。
現地相場にしたら、かなりいい値段を払ったと思う。ドライバーのおじさんはかなり喜んでいた。
因にそれでも2割ぐらいは事務所にマージンを取られてしまうらしい(T_T)
その後ドライバーのおじさんにスイーツ屋に行って饅頭的ななにかをおごってもらう。
帰りは最寄りの地下鉄駅より、空港へ。
地下鉄は行きと同じく空いていた。地上は混んでいるだろうに、こんな空いててよいのだろうかと
思ったが、空港行きだからなのだろうか。
駅内のポーターは規定の料金があるようでそれ以上はうけとらなかった。よいシステムである。
【総括】
・インドは一人で観光する事はおすすめしない
・とりあえず観光客はぼられる
 次のポイントまで、一瞬の迷いもなく直進できるかが生死を分ける。
 2回程迷ったが、日本の街中で迷うのとでは桁違いに怖い。
 ものの数分でハイエナが寄ってくる。
・時には適度にぼられることも必要だと思う。
・停電は毎日のようにある。
 いっその事自家発電したほうがいいんじゃないかと思う。
(実際自家発電装置を置いているところもあるようだ。)
・道脇でタッションしている人を時々みかける
・自動車はクラクションを鳴らしまくる。
 はじめはそんな鳴らさなくてもと思ったが、信号もあまりないし、車線変更が激しく、
 その上大型トラックも多く走っていたりと、かなり危険。
 トラックが寄って来たりすることもあって、クラクションを鳴らしまくるのはしかたないのかも。
 とりあえず信号を増やした方がよいと思う。
・赤く塗られた店や看板を良く見かける。Vodafoneと書かれている。
 他にもコーラや、ペプシ、Airtelの看板だったりする事もあるのだが、そんな広告をべたべた街に貼るのはどうなんだろねと思う。まあ日本も広告だらけなわけですが。
・携帯電話は比較的どこでもつながる雰囲気だったが、通信のほうは著しく遅い。
 もう少し早ければ、これちょっと高いんじゃ?と思った時にネットで探せて良かったのだが。
・インド料理は私の場合 1割美味しい、1割まずい(口に合わない)、その他まあ普通に食べれる
 ぐらいな感じだった。
・1、2日目はとにかく、食べ物と衛生面に気をつけたし、香辛料も少なめで頼んだが、
 3日目からは、ラッシーとか、野菜も多少食べてみたので、帰りの飛行機では
 かなり腹痛だった。(帰りの機内食での緑の唐辛子的ななにかも原因だと思うが。)
 生水とか、野菜とかそういう次元じゃなくて、お札とか、人が触れるあらゆるモノに、ばい菌が
 ついていて、免疫がない我々ではハライタになるのは避けられないんだと思う。
・建物などの施行があやしい
 ドアの建て付けが悪いとか、壁の塗り方が雑とか、エレベーターの扉が閉まりきってないとか、
 そういうのもあったが、それ以上にコンクリート製の建物の建て方もあやしい。
 (インド・プネ紀行10)建設現場の衝撃
 コンクリートを張って、その上にコンクリ乗せて乾いたら木のつっかえ棒(しかもよれよれしている木)を外すみたいな建設中の建物を良く見かけた。
・今回訪れた所では、たいがい英語が通じたが、逆にめんどくさいなと思った。
 分からないのは分からないで困る事もあるのだが、「何言ってるかわからん」ぐらいでスルーできるほうがありがたい。
 相手の押し売りを、英語で言いくるめられるほどの英語力ないし。
【日本に戻って、日本について】
・停電がない日本てすごい(最近あやしいけど)
・どこでも水道水が飲める日本ってすごい(最近あやしいけど)
・呼び込みに邪魔されず街を歩けるってすばらしい(場所によっては注意)
・様々な食べ物があって、それなりに美味しい
というわけで日本ていいな、と思うのだった。
【最後に】
とかまあ、色々だったわけですが、現在インドは12億人。
もっとのんびりやっているのかなと思いきやそんなじゃないし、今後急激な成長を遂げるだろう。
とりあえず、水、衛生環境、電力、携帯(データ通信のほう)をもう少し改善して欲しいのと、
観光客から金巻き上げようとするのは、なんとかして欲しいところだ。

仙台観光

ゴールデンウィークを利用してボランティアとか行ってみようかと思ったが、これと思ったものが見つからず、今回は仙台に観光に行ってきた。
観光といっても、歴史とかあんまり興味ないので、食べる、ぶらり、買い物程度。
新幹線で東京から仙台へ。
仙台への新幹線は先日復活したばかりだが、そこそこ空いている感じだった。
東北新幹線に乗るのは記憶の限りでははじめて乗った。
トンネル内でもケータイの電波が入る箇所がありこれはなかなかいいなーと思った。
東京でもトンネル内とか地下鉄の駅間とか電波入らないし時々不便だ。
仙台駅に近づくと屋根のに青いシートがかけられている家が目に付く。
瓦の屋根は地震に弱いんだなと思う。
仙台駅到着。
仙台駅自体は外壁がシートで覆われており修復工事が行われているようだ。
ただ中は普通に明るく、道も普通である。
震災前に来たことがないから比較はできないが、ありふれた都会の光景である。
少し違いがあるとすれば、がんばろう東北などの看板があちこちに掲げられているぐらいである。
たまにガラスのショーウィンドウが新聞で覆われている建物があったがこれは検索で調べたところでは、
防犯上の理由らしい。
駅周辺を散策。
お昼に牛タン定食を食べる。
これで早くも今回の旅行の目的の半分を終了。
あとはラーメン食べたり、
翌日 るーぷる仙台※(仙台市内の観光スポットを回っているバス)に乗ったり。
寿司食べたり、買い物。
※仙台城跡などが一部の区間を運行休止していた。
旅行を終えて思ったのは、
ひとつは牛タンてうまいなということ。帰りも牛タン弁当を買って帰りの電車で食べる。
もうひとつは、東京って供給過剰だなという事。

カンボジア(その2)

カンボジア旅行より、カンボジアについていくつか調べてみた。
カンボジアは東南アジアに位置する。
日本からはベトナム経由の飛行機で5時間ぐらい(乗り継ぎ除く)という近さである。
【血に塗られた歴史】

1975年、極端な共産主義を掲げるクメール・ルージュの独裁者ポル・ポト政権が成立。1979年までに、旱魃、飢餓、虐殺などで100万人以上とも言われる死者が出た。

http://ja.wikipedia.org/wiki/カンボジア
※ちなみに、広島の原爆投下直後の推定死者は、14万人と言われている。(諸説有り)
【地雷・不発弾】
戦争後(といってもタイとカンボジアの国境付近では今でも銃撃戦があり緊張状態が続いてる)の現在でも、地雷や、不発弾が存在する。

MAGカンボジアにおける地雷・不発弾撤去の実績
2008年 対人地雷:4,538 残留不発弾 :19,813

http://www.data-max.co.jp/2009/03/vol19.html
【労働賃金の格差】
今日のWBSより。
カンボジアの1ヶ月あたりの賃金(一般工職)は7,200円だという。
一方日本は29万300円。つまり人件費に関しては日本と比べると40倍の格差が存在する。
【アンコールワット観光】
http://www.angkor-ruins.com/restoration/index.htm
アンコールワットの遺跡を回っていると日本、フランス、ドイツ、インドなど多くの国が修復に携わっているのがわかる。
観光客としては、日本人、中国人、韓国人、フランス人などを多く見かけた。
ガイドさん曰く、日本人の場合は、連休に集中すると言っていた。
【思う事】
自分が生まれた頃、東南部ではこんな惨劇がおこっており、それが今でも重い影を残している。
とはいうものの希望はある。
地雷や不発弾の処理は徐々に進んでいる。
中国より安い生産拠点を求めてカンボジアにも生産工場は増えるだろう。
それに伴い、都市部と農村部との格差も徐々に改善されていくだろう。
グローバル化と、各国の新たな民主化によって、世界の格差は是正されていくだろう。
ただしそれらは、なにもしなくても勝手に是正されていくわけではなくて、
問題をみつけて、全体で共有し、世界の一人一人がでその問題に関心をもち、
ひとつひとつ解決する努力が必要だと思う。

カンボジア(準備→出発→観光→帰国)

3泊5日でカンボジアに一人旅行してきたメモ。
カンボジアを選んだのは、そんなに長い休みじゃないので、近場がよかった事。
それとアンコールワットを一度見てみたかったなと思ったからである。
【準備】
別にツアーで行けばよかったのだろうけど、まずH.I.S.のカウンターに行って、
アンコールワット見たいんですけどって言ったら、航空券だけ案内してくれたので、
その流れで航空券だけ買った。
で、カンボジアは、ビザの取得が必要だというので、用紙に記入しようと思ったら、
宿泊先の欄があったので、じゃあ宿泊先はさっさと決めちゃおうというわけで、
これもH.I.S.から予約。
(ホテルはH.I.S.のWebサイトから予約。)
ホテルは別ににそんな高い所じゃなくて良いけれど、部屋でインターネット使いたいし。
極端に安い所にはしないほうがよいと思い、一泊 7000円程度のホテルにした。
ともかく初めて行く所だし、観光名所はガイドさんに案内してもらったほうがいいので、
1日は、日本語ガイドさん+tuk tuk(バイクタクシー)にする事にした。
これも、申し込みはネットより。
「クメールアンコールゲストハウス」
http://www.e-hotelcambodia.com/
2日目、3日目はまあ適当でいいやというわけで、決めてなかった。
【出発】
まず成田エクスプレスに乗って成田空港へ。
ちょい家を出るのが遅れたので、駅につくのに遅れてしまったが、運良く成田エクスプレスが
遅延して到着したので、ぎりぎりセーフ。
成田エクスプレスは新型車両。
飛行機はベトナム経由で、ベトナム(ホーチミン)まで4時間ちょい。ベトナムからシェムリアップまで1時間程。時間にするとすぐだが、意外としんどかった。
機体はベトナム航空で、座席毎にモニターはついてるのだが、システムの故障との事で使えなかった。
帰りの飛行機も使えなかったので、たまたま使えなかったわけじゃなくて、経費とかそっち系の問題なんじゃないかと思う。
(座席シートも倒せなかったり、設備に老朽化が進んでいるのかも。ちょっと怖い。)
ともかくまあ、朝出発で夕方到着。
ホテルまでタクシーで。
タクシーは空港出口のすぐの所にタクシーチケット売り場がある。(夜はしまってるかも)
ホテルに到着。
まずはインターネット。ホテルのフロントでWiFi接続を、2時間購入。
今回のホテルでは、無線LANにつなげると、ログイン画面がでてIDパスワードを入力するという仕組みのものだった。
メールをチェックすると、次の日の「日本語ガイドさん+tuk tuk」の返信が来ていた。
ちょっとぎりぎりに申し込んだ関係で、出発までに予約の確認がとれてなかったのである。
これがちょっと失敗だったのだが、
タクシーの運転手さんに、明日一日チャーターお願いしてしまったのである。
【観光】
◆観光一日目
まず、タクシーの運ちゃんにご謝って翌日にしてもらう。
それから「日本語ガイドさん+tuk tuk」にて、アンコールワット、タプロムなど主要な遺跡を案内してもらう。
・tuk tuk
3輪車型のタクシーなのだが、シェムリアップで見かけたのは、2輪(バイク)に台車をつなげた形のもので、タイヤの数で言うと4輪である。
タクシーに比べると速度は遅いが、近くの移動にはこのtuk tukのほう安いしお手頃である。
・日本語ガイドさん
現地の人で、女性のガイドさんだった。日本語は完全じゃないが個人的には問題無し。
・アンコールワット
遺跡の上に上がれるのだが階段が急でびっくりする。
気温が高いのもあるが、階段をよじ上ったりで汗だくだった。
※階段が急だったり石が滑りやすかったりするので、観光はサンダルじゃない方がよいと思う。
・タプロム
タプロムは、洪水の影響で道が水没していた。
途中サンダルに履き替える必要があった。
水の中を歩かないといけなかったので、ガイドさんもちょっと大変だったと思うけれど、
廃墟好きとしてはやっぱここははずせないでしょ。
・昼食
カレースープっぽいものを食べた。
普通においしかった。
・物売りの子供
観光名所付近で絵はがき買わないかとか、アクセサリーとかしつこいのだが、たしかに昔遭った、ジプシーとかにくらべたら、東京にいる客引きとそんなに変わらないような気もする。
とにかく要らないと断る。
◆観光二日目
・朝アンコールワット
夜明けのアンコールワットが奇麗だというわけで、朝5時、ホテルからタクシーでアンコールワット遺跡へ。
昨日の断った、物売りの子に遭遇、特に欲しいというものでもないが、別に高い訳でもないし、記念にひとつ買う。
今日も、アンコールワット前の、付近のお店で昼食。
魚のアンモックを食べる。
・クバールスピア
シェリムアップの川の源流にある山なのだがこんな所にも遺跡がある。
タクシーにて1〜2時間ぐらい。離れていて遠いし、山道はちょっと険しいし40分程登る。
登り始めた時にはほとんど人気(ひとけ)もなく、信頼できるガイドさんがいないと無理だと思う。
よくこんな物をこんな所にこんな所に作ったもんだなと感心してしまう。
滝が好き+山奥の遺跡が好き+山が好き という条件がそろわないと、そんなに楽しめないかも。
個人的には、タクシーの運ちゃんと、滝にうたれて楽しかったですw。
・トンレサップ湖
湖に家が浮いていてそこで人々が暮らしている。
乾季には、水がなくなるので、それに伴って水上生活している人たちも移動するのだという。
水上レストランでなぜかヘビとワニを見る。
茹でエビをつまみにビールを飲む。
◆観光三日目
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・ベンメリア
天空の城ラピュタがモデルにしたという遺跡。
12世紀頃に作られたというもので、かなり古い。
タプロムの様に遺跡の上に木が生えている。
ただ、この遺跡かなり破壊されている。
自然に崩壊したのではなく、ポルポト(ポルポト軍)が破壊していったのだというので、これは残念である。
※クバールスピア同様に遠いし、自動車&ガイドが必要だと思う。
・オールドマーケット
 時間があったので、ぶらり買い物。
・バライ(西か東か?)
 人工的に作られた巨大な池らしい。
 とくに大きな見所ではないけど、時間があったので。
・アンコールバルーン
 これは行ってみたら朝しかやってないよという事で、乗れなかった。
 旅行客が多いときはもっと頻繁にあげられているのだろう。
・シュリムアップ空港
 二日間案内してくれた、タクシーの運ちゃんとコーヒーを飲んでお別れ。
 飛行機の発着まで4時間程あまってしまい暇すぎる。
【帰国】
予定の便が遅れた影響で、別便で帰国。
外国の人に、成田空港(空港第2ビル駅)で、成田空港駅はここで待ってたらよいのかと
尋ねられ、次の便で大丈夫と答えてしまった。
そっちは反対方向だった。電車にのる前に気がついてくれたか心配。
そもそも表示が分かりにくいのがよくないのだと思うが。これはちょっと失敗。
というわけで、今回のカンボジア旅行は、1日目よいガイドさんと、2日目、3日目、いいタクシーの運ちゃんに案内してもらえてとてもよかった。