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カテゴリー: 自分

おっさんとはなにか

自分もそろそろおっさんを自覚しないといけない年頃なんかなと思う事案が発生し、
「オッサンになる人、ならない人」という本を読んでみた。
この本自体は大した内容もなく、末尾の若者へのアンケートをベースに、哲学めいた事をぐだぐだ書いているという印象なのだが、同感する箇所も多かった。
そこで、おっさんとは何かについて考えてみる。
人は年齢によって生き方や生活スタイルを変える必要に迫られる。
赤ちゃん→幼児期→子供→若者→おっさん(中年)→シニアといったように年齢によって、
生き方や生活スタイルが変化する。
例えば20歳を越えると、選挙権や、タバコや酒、といったように法的にも大人としての扱いとなる。
本質的に20歳になれば誰でも瞬時に大人になるというものではないが、便宜上設けられている境界線の
一つだと言えるだろう。
なぜ生活スタイルの変化が必要になるかというと、芋虫が蝶になるように、生物的な変化により、
できる事や、役目が変わってくるからである。
単純に加齢による生物的な変化で追っていくと
【歩行】
赤ちゃん:おんぶ、だっこ、ベビーカー

幼児期:自分で歩く
【成長】
子供:身長が伸びる

若者:身長がとまる
【出産(女性の場合)】
子供:NG

若者:出産適齢期

中年:NG
【基礎代謝】
女性10代前半ピーク
男性10代後半ピーク
(同じ量の食事や、運動では太りやすくなる。)
【加齢臭】
30代後半
【老眼】
早い人は30代後半から
40代から
といったような変化が訪れる。
それに伴い、おっさんになるという事は、若さが失われつつある中で、何に自分の役割を見いだすかが
重要になってくるのだろう。
ついでなので、若者の役割というかポジションについても書いておくと、
自分の可能性に挑戦する事と、家庭を持つ(生物学的には家庭である必要はないと思うのだがその話はまた別でするとして)事だと思う。
はなしをおっさんにもどす。
単純に年齢が中年になった時、すべての人間がおっさんになるかというとそうでもないのである。
おっさんというものは、単純に年齢による区分ではなく「おっさんくさい行動」「オバサンくさい行動」による分類を含んだ概念。であれば、気をつけることである程度回避可能とも言える。
では具体的にどんな事を気をつけたらよいか調べてみる
女子が思うおっさん行動ランキング
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20140814-00037318-r25
「おしぼりで顔を拭く」
いきなりだが、これは、かなり難易度が高い。
気をつけようとは思っているのだが、ネコがネコジャラシを前にした時のように、
おしぼりで顔をふくというのは、ある種のおっさんの条件反射(無条件反射?)なのだ。
オッサンたちが嫌われる理由。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n202755
周囲に「おばさんっぽい」と思われる人の特徴
http://matome.naver.jp/odai/2139236072783196201
「声が大きい」「外見に無頓着」
続オバタリアンあるあるを挙げてみよう!
オバタリアンとか最近は言わないのかもしれないが要はそういう事かと思う。
おっさん、おばさんに限らず、周囲への配慮がない行動は迷惑には違いないのだが、
一つ目のポイントはそれが、加齢によって生じやすくなる問題であること。
そしてもう一つ。おっさんになる時は、必ずしも成人のように節目が無い。
自覚のないままオッサン化が進行する可能性がある。
さらに、こういったおっさん化は周りが指摘しにくいというのもあるだろうし、
そもそも周りが同じ世代だと、まわりもおっさん、というのもあるのかもしれない。
子供の頃は親が注意するとか、外圧があって、自然と修正されていくものだが、歳をとるとそういう
事を注意する人もめっきり減り、ともすれば、無自覚でオッサン化してしまう。
しばらく以前よりくしゃみがおっさんくさいと言われるのだが、いつからそうなったか、
昔からそうだったのかいまいち分からない。
無自覚におっさん化が進んでいるのだとしたら恐ろしい事である。
なぜ恐ろしいか?自分の事はよくわかっているつもりになっていて自分自身に起こってる変化に、
気がついていないというのは、恐ろしい事である。
まあそもそもヒトというのは、自分のことはよく見えない生き物なのだが…。
冒頭の本でひとつ発見だったのは、おやじ化は必ずしも変化によって起こることではなく、
変化しない事でもおこりえる事象だという事について。
その例として「若者が下ネタをいうのと、おっさんが下ねたをいうのは違う」というもの。
内容よりも『誰が語っているか』という主体に影響を受けるから。
というもので、若い時の感じで、いつまでも下ねたを言ってると、単に下品な人と見られてしまうわけである。
良いおじさんと、迷惑なおっさん。別々の生き方があるとしたら、
私は良いおじさんを選択したいと思う。

風邪

過労なのか老化なのか体調不良でダウン。
そんなとき思うのは、健康に生活できている時間が、いかに重要かという事である。
QOLという意味でも健康でいる時とそうでない時の差はかなり激しい。
普通に生きていると、健康に生活できている事があたりまえで、そのありがたさを
感じる事はなかなか難しいが、体調をを崩すとそれを実感する。

クラウド脳におけるMeの範囲

いずれ人工知能は発達してロボットも自我を持つだろう。
そのとき知能の部分がハードウェアと一体化してなかったらどうだろうか?
思考する部分とフィジカルな部分が分離していた場合。もしくは、思考する部分が、
分散型だった場合。自分というものをどの範囲で捉えるのだろうか?
もうひとつのパターン。
いずれ人間は、拡張した身体や、脳を使うようになるかもしれない。
その時、どこからどこまでを1人としてカウントするのだろうか?
定義の問題ではなく、感覚の問題としてどうなのだろうか?
自分という範囲は、比較的自由のきく身体と、それを掌る脳がセットで自分が成立する。
極論を言えば脳だけでも自己なのだが、例えば、私の脳だけの状態を見てそれが
私であると認識する他人(ひと)がいるだろうか?
逆に身体だけならどうだろう?人々は、ぱっと見それが私だと認識するだろう。
ただし脳がなければ、私らしい振る舞いをしないので、結果、それは私ではないということになる。
自己の最小単位は、脳だが、それを出力するインターフェースがないと、外部からその中身を
窺い知る事はできない、その一方で表面的な部分もその人間の一部として認識されている。
自分のクローン。例えば双子がいたらどうだろう?
身体は似ているが、脳と繋がっているわけではないので、それは他人である。
私の考えはこうだ。
脳と脳が直接的に支配している身体。脳と脳が所有している体。それが私の範囲である。
だから、もし私の脳が直接的に支配しているハードウェアがあればそれは私の一部だと思う。
脳が物理的に複数の場所にあったらどうだろうか?
クラスタ型の脳、クラウド型の脳。
いずれにせよ、それがある程度の一貫性を持ちアイデンティティを示すものならば、
例え分散しようと、仮想化しようともそれらが含めて私という存在になるだろう。
まあ個人的にそれは大きな関心事ではない。
それより気になるのは、自我を持ったコンピューターは、自己の範囲を拡張し拡大し続けるのか?
それとも、ある程度まとまった単位で自己を完結させようとするのか、という疑問。
身体の範囲を広げれば、多くの体験をできる。例えば体が2体あるとか。
ただ現状の人間にはそれは無理である。
2つの体験を脳は処理できないだろう。
一つの体は東京、もうひとつはNY。なんとか同時に歩けたとして、二つの感情を同時に処理する事は
到底無理な気がする。
今だってテレビを見ながらネットをしていると、どちらかに注意がいってしまい片方が抜け落ちてしまうほどなのだから。
じゃあロボットはどうなのだろうか?
並列での感情処理ができるだろうか?
まあ処理としては問題ないような気がする。
例えば3日間の自分の行動が24HR*3本で同時進行しているイメージだ。
ただし問題もある。
脳が限られている限り、すべての体に同じ配分の能力を配分することは難しい。
なにか「ながら作業」をしていたとして、思いがけない事があると意識がそっちに集中してしまい、
動作を止めてしまうことがある。
そんな風に、身体を別々に動作させる事は、可能と言えば可能だろうが、体験の質を低下させることに繋がるだろう。
じゃあロボットはどうするだろうか?
思考領域を拡大させようとする者と、身体領域を拡大させようとする者と、別の種が生まれるだろう。
恐竜の巨大化のように身体の巨大化というのは一つの進化の方向性としてありだと思う。
脳の巨大化や集合化も一つの進化の方向性としてはありだと思う。
ただし通常の生命のように脳と身体がワンセットになっているほうが、種の多様性としては有利だと思う。
つまり、コンピューター脳を巨大化させる事で進化する種は少数で、
自分という範囲をそれぞれ脳と体ワンセットで存在させる種が多数派になるのではないだろうか。
再び、人間でおきかえて考えてみると、
脳みそ10倍人間がいたとして、様々な事を普通の人より懸命な判断をできるとする。
では周りの人があらゆる判断をその人にゆだねるだろうか?
もしその10倍人間が、周りの人々を、管理したり支配しようとしたらそれらの人々はどうするだろうか?
たぶん反乱を起こす。
エージェントの反乱から、巨大クラウド脳は自分の身をどう守るか?
ある程度の大きさで脳を分けるか、脳を隠す、あるいは有益・無害な存在として巨大化させるしかないのではないだろうか?

電車でどの車両に乗るかという選択

通勤電車の場合に顕著なのだが、電車は時刻や車両によってお客の層や、混雑具合などに傾向が存在する。
私の場合、だいたいいつも同じ車両に乗るのだが、たまに別の車両に変えると、1、2車両違うだけなのにやはり混雑してたりする。
車両の選択は単に、乗り継ぎのしやすさや、混雑の具合だけでなく、他に乗っている人の属性傾向もいくらか考慮して選ぶ事にしている。
もう少し属性の違いがわかりやすいのは、路線の違いだと思う。
若者の多い路線とか、お年寄りの多い路線とがビジネスマンの多い路線とか、路線により傾向がある。
どの車両に乗るかという選択は小さな違いではあるが、積み重なると時に意味を持つのではないだろうか。
例えばよっぱらいとか、マナーの悪そうな集団とか、浮浪者ぽい人とかが同じ車両にいると、
不快な思いをする確率が高いので、別車両に移動しておいた方が安全だと思う。
話はそれるが、変な人はなぜ見た目で変とわかるのかふと考えた。
まずは外見。服装、髪型、容姿、姿勢。浮浪者っぽい人はこれだけでも十分分かる。
次に。動き、しゃべり方、いる場所、臭い。これも見分ける要因である。
分かりやすそうな例として浮浪者っぽい人を取り上げたが、これに限らず、
人々は自分の属性を服装や動きで表現しているし、逆に属性や服装は当人の行動に影響を受けていると思う。
人は他人に影響を及ぼし、他人の影響を受ける存在として、何処に位置し、どう影響を受けるか。
そして自分はどのような影響を及ぼしているのか、ふと考える。
そういえば、少し前の土曜日。
始発近い電車に乗る事があった。プラットフォームには朝帰りの人々が多くいた。
ホームの隅に座っている人、頭を垂れている人、膝をかかえて寝ている人、その光景は駅のプラットフォームにあふれるゾンビ、といった光景でなんとなく面白かった。

家電で考える身の回りのあれこれ

・テレビ
大半は録画で、別のテレビの内蔵HDDから、DLNAを使って、別のテレビで見る事が多い。
HDD内蔵テレビが良いのは、リモコンひとつで録画番組を操作できる事である。
DLNAでの配信はうまく接続できない時や、録画した番組の最後が尻切れになったりと
いまいちな部分はあるのだが、冬はこたつでテレビがいい。
・冷蔵庫
省エネ的な観点だともっと大きな冷蔵庫にしたほうがよいらしい。
ただ大きくしても食べ物があまりそうだし、無駄に色々なものを冷やしてしまいそうなので、
現状小さめの冷蔵庫を使っている。
そもそも論としては単身向けの冷蔵庫もメーカーがちゃんと省エネにするべきかと思う。
・スキャナ
ハンディサイズのスキャナを使っている。
印刷物って後で読みたいかもと思うとなかなか捨てられない。
そこで、とりあえずスキャンして捨てる事にしている。その都度スキャンするのも大変なので。
「後でスキャン」という箱に入れておき、月一回ぐらいまとめてスキャンしている。
・掃除機
掃除にはルンバと、ハンディ掃除機、クイックルワイパーを合わせて使っている。
ルンバが良いのは、自動で掃除してくれる事意外に、部屋をある程度片付けないと使えないので、
“部屋を片付けよう”という気になる点が良い。
・こたつ
冬はこたつがいい。暖まるまでの時間が早いし、暖房のように部屋全体を暖めるなどという発想ではなく、冷えた足を冷やすという極めて合理的な思想に基づく設計である。
最近はフラットヒーターのこたつもあるようなので、来年少し余裕があればフラットタイプに換えたいものである。
・扇風機
少ない電力で涼を得る為の合理的な家電である。
扇風機を選ぶ時の私なりの基準は、寝るときにも使うので静かで、弱い送風モードがあるかという点である。
・パソコン
家で最後に買ったデスクトップはカラフルなiMacでそれ以降はずっとノートパソコンである。
旅行や実家に帰る時など以外で外に持ち出す事は少ないが、家の中では色々な所に移動させて使うので、
ノートパソコンは便利だなと思う。
・タブレット
机以外でネットをしたり電子書籍を読むのに、たまに使っている。
Xperia Tablet Z(Wifi版)が欲しいけれどちょっと高すぎるから我慢だなあ。
・スマートフォン
現在の利用の大半は、Twitter,Google+を読む事、Suica、LINE、道順・乗り換え検索、音楽、その他Webブラウジングである。
普段、鍵や財布やカード入れを持ち歩いているけれど、理論的にはスマフォに代替可能なのだからさっさそなってくれればいいのにと思う。
・目覚まし時計
アラームを使う事はほとんどないが、目覚まし時計には多少こだわりがある。
アラームがセットされている事が一目で分かる事と、アラームを一発で止められる事である。
・テプラ
ラベルを付けるのに便利である。モノに名前を付けたり、空間を定義するのは意外と面白かったりする。
・洗濯機
家に備え付けの洗濯機なので、選択の余地はなく、そのまま使っている。
普通に洗濯できるので問題はないけれど。
振動が下の階に響かないようにもう少し防音強化したいのだが、ビルトインでスペースが最小限に区切られてしまっていて、それもできないのも不満である。
・空気清浄機
今年は花粉が大量放出というわけで、一時稼働させているが、普段はあまり使っていない。
そもそも空気清浄機は本当に空気を清浄しているかどうか分かりにくい。
・シュレッダー
住所や、氏名が記載された書類の大半はシュレッダーにかけるようにしている。
ただ、これによりなにか効果が得られるわけではないので、空気清浄機以上になんのメリットが
あるのか分かりにくい電化製品の一つではある。

未来に関する重要な選択

【ロボット 戦争】
映画ターミネーターなどのように、いずれロボットは進化し、人間vsロボットのような事が起こりうるだろうなと思う。
なぜロボットが人間を襲うのか?それは人間同士の戦争があるように、ロボットが本当に人間のように進化すれば、
そうなるだろうと考える方が自然だ。
そうならない為にはどうしたらよいだろうか?
・ロボットの開発をやめる
・人がロボットを越えた存在でありつづける
・共存の道を探る
ロボットの開発をやめるのは、難しい事である。
原子力エネルギーをみつけた人類が、原爆や原発を作り続けるように、パンドラの箱はひとたび開いてしまったら、
元には戻せないものなのだと思う。
人類が突然文明を捨てて、森での生活に戻れば、これらは避けられる。
私が思うには、これからの人類は、これからもより多くのロボットを生産する。
そしていずれロボットは人類から派生した知的非生命体として進化すればよいと思っている。
それに伴い、いずれ人類とロボットは何度か戦わなくてはならない。
今だってロボットは人の仕事を奪っているし、戦争ではロボットと人間が戦っている。
ロボットvs 人間の戦争。
我々は今、それがおこるであろう未来を、選択している。
【世界人口は2倍に・日本人人口は半分に】
21世紀末までに世界人口は100億人に到達するだろう。
日本はどうか。移民を受け入れなければ4000万人ぐいらいになっているだろうが、おそらく移民を受け入れる事になると思う。
このとき国内総生産を維持する為に政府の選択肢をいくつか考えると
・移民を受け入れる
・ロボットにより一人あたりGDPを飛躍的に向上させる
・三人子政策を行う(多産優遇)
・子育てのシステムを変える(一夫多妻や、家庭システムなど根本的な所を変える。)
などがあげられるが、現実的な所だと、移民と、ロボットだと思う。
個人的予想として、21世紀の後半には、日本人口の1/3から半分は外国から来た人となっているだろう。
主な言語、英語、中国語、日本語。
人口の減少に反して、社会で存在感を増すのがロボットの存在である。
そんな未来を選択している我々が今すべき事はなんだろうか?
異なる文化、宗教、人種とともに共存できる能力を身につける事、異なる価値観を持つ人々が平和に暮らせる
社会を構築する事。
その上で、日本という「アプリケーション」「コンテンツ」「ハードウェア」を次世代に継承しつつ
世界に広める事である。
【人類は宇宙へ向かう】
日本人口が減少し、日本の存在感は相対的に小さくなり、ロボットがいずれ人間を越える。
人類の役目はいずれロボットに継承される事になるかも知れない。
それはそれで大きな問題だが、もっと重要なのは、人類が宇宙を目指す事だと思う。
なぜこれだけ大きな空間が存在するのに、人は争い、過去に固執するのか。
何も無い土地を耕し、種をまき、文明を構築する。
我々の祖先がそうしてきたように、宇宙を耕すことが人類の役目だと思っている。

現代用語の基礎知識

以前は、その年の出来事などを広く薄く知っておこうと、毎年年末にimidasを読むというのを自分の中での年末行事としていたのだが、imidasが発行されなくなり、しばらくその習慣は途絶えていた。
今年は、少し似たような感じで現代用語の基礎知識というのを見つけて読んでみた。
(読むといっても、退屈な分野のものはほとんど頭に入ってこないので、ほぼ素通りなのだが。)
読んだ感想としては、個人的にはやっぱイミダスのほうがよかったかなと思った。縦書きちょい読みにくいし。
読んで「これは」と思ったキーワードいくつか
【磁性ガーネット】
なんなんだかよくわからないが、絶縁体で電子のスピンを使って信号を伝えるとかそんなこんななのだが、
半導体より省エネ技術として注目されているものらしい。
実現したらなんだかすごそうだ。
【室温超伝導】
「高温超伝導」という言葉はあるが、それは液体窒素ぐらいの話で、室温超伝導なるものが実現すればそれは、すごい話だと思う。
日本全体では発電量の5%程度が送電時に失われているとも言われ、送電ロスの対応策とか、モーターなどの動力機構への応用とか、期待は大きい。
【1000年保存】
CDとかDVDとか、現在身近な記録メディアは寿命30年とか、意外と短い。
そんなに長く保存しておくデータてなんなのかという話もあるが、年金の記録が30年程度で消えていたら困る訳で、
1000年まではいかなくても長期保存可能な記録メディアというのは興味深い。
【忘れられる権利】
ネットというのは、不都合な情報でも、一度公開されてしまった情報というのはなかなか削除できない。
本人に不都合な記録をネットから削除できるようにしようというものだ。
表現の自由や、知る権利などとのどうバランスを取るかなど難しい問題ではある。
ただライフログなどが一般化すれば、こういった事は、さらに重要性を増すだろう。
【DPI】
通信事業者などがパケットを読み取ってターゲティング広告などに利用するというものらしい。
こういう技術というのは、使われる側からすると気持ち悪いが、広告を出す側からすると、欲しい技術なので、
結局の所いずれ活用されるものなんだろうなと思う。
【USB3.0】
そろそろ有線のケーブルから解放されたいなあと思いつつ、電源ケーブルとか、なにかとケーブルは入り用なのだ。
・送速度5Gbps
 転送速度がそんな早くなっても、HDDなどへの記録を想定すると、それに見合った速度での書き込みや読み取りが実現できるのかは謎だが速いにこした事はない。
・給電能力900mA
 おそらくスマホの急速充電などに対応できるということなんだろう。
【宇宙】
宇宙というのは、考え出すと本当に謎である。
宇宙が始まる前。何も無い所からなぜ宇宙が登場し自分がなぜ今こうして存在しているのか。
宇宙が存在している事がまったくもって理解できない。
時間とはなんなのか、我々は認識していない次元が存在して、本当は自由に時空を行き来できるのか。
過去から未来へと進んでいる時間は本当に正しいのか。
考え出すときりがない。
ともかく、地球という星に生き物がいて、広大な空間にて今の所見渡すかぎり知的生命体は存在しない。
そこで私が思うのは、無駄に広いこの宇宙をなんとかしなければという事である。

病院

風邪かと思ってたが、熱が40度を越えたので、近所の病院に
個人的に病院は、なるべく行かない派である。
理由は
・待ち時間が長い→疲れる
・そのくせ携帯の使用が禁止だったりじっとしている事が苦痛
・他人の風邪などがうつりそう
・大概にして、「急いで欲しい」などいう身勝手な患者がいて不快
・ただの風邪ならほっといてもなおる
・そこで、無駄に病院に行く人が多いと、本当に診察が必要としている人が受けにくくなる
・不用意な診療は税金の無駄
初診なので、熱を測って、問診アンケートに記入、熱が高いのでと、暗く寒い部屋に移される。
暗く静かな部屋でじっとしながら、医療制度の問題や、多くの病院が人手不足(特に看護師)の問題、医療を利用する側の問題、高齢化社会の中で医療負担などを考える。
1時間以上経過の後、診察、血液検査。
インフルエンザの検査は陰性で、血液検査などの結果より、
ばい菌による炎症による発熱じゃないかということで、抗生物質などを処方してもらって、帰宅。
一旦、全身を暖めて落ち着いたら、頭を冷やして、その後、上半身はかるい暖めにすると、
発汗も治まり、体調も良くなる事がわかってきた。
これで、そのまま回復するかなと思ったが、夜になって、急に寒気(さむけ)が進行し容体悪化。
ちょっとやそっとの暖め方ではどうにもならず、あわててこたつを出す。
これでなんとかして一命をとりとめる。
(大げさではあるが、自分の中では 「Best of the Year 生命の危機部門 第1位」だったと思う。)
翌日改めて別の病院で診察。
こちらは、近所の病院よりは離れているが、信頼している病院である。
待ち時間が長いのは変わらないが、スタッフの人数も多く、比較的スムーズに対応してくれる。
再度インフルエンザの検査。レントゲンにて完了。
結局どこが原因かはわからなかったが、夕方には体調もだいぶよくなり一安心。

ReBORN

トヨタのCMだがここのところ、社会的メッセージを含んだCMシリーズが続いていると思う。
例えば「ReBORN」シリーズは、トヨタの復活と震災復興からの日本の再起をかけた、「がんばろう日本」的なCMという見方もできるだろうが、同時に日本の社会構造に対し「ReBORN」せよという意味にもとれると思う。
他にも、「免許を取ろう」シリーズは、自動車買って欲しいけど、とりあえずその前に免許とってよという、表向きのメッセージとは別に、
「大人 になったが免許は持ってない のび太」を今の日本の若者と重ね合わせ、批判している部分もあるのかもしれない。
今、トヨタのような日本発のグローバル企業には、「1.日本を捨てて生き残る」「2.日本を変えて復活する」「3.日本と運命をともにする・日本の中で生きられるだけ生きる」という選択が時々脳裏をよるのではないだろうか?
「1.日本を捨てて生き残る」は考えにくい事だが、グローバル企業としては必要な覚悟だと思う。
「2.日本を変えて復活する」一企業が日本を変えるなどは、困難だろうが、駄目元でも試してみるのはありだと思う。
「3.日本と運命をともにする・日本の中で生きられるだけ生きる」は、多かれ少なかれ日本企業や日本初の企業の宿命だと思う。
「これから俺、どんどん世界に出て行っちゃうし、日本なんて知らないぜ」という楽天的?なのりの企業も複数あれども、現状うまくいっている例はあまり聞かない。
話を、ReBORNに戻して。
なぜ今生まれ変わる事が必要なのだろうか?
これまでの延長じゃ駄目なのだろうか?
ケース1:40歳定年制
最近どこから出て来たのかは知らないが「40歳定年制」という話がある。
40年も経過すると企業も、世界も変わっている(40年前の社会はどうだったか、40年後の世界はどんなだろう?)、「今のレールに40年後がないとしたら?脱線してから困るより、はじめらから40年後新しい線路で走る事を考えたほうがいいのではないか?」という一つの考え方としてありだと思う。
実際の所それは単純ではないが、かといって今の世界を見て40年後に今の延長にレールがあるとは思えない。
ケース2:この星の生き物について
この星では、ネズミのように、短期間で増殖する生き物と、樹木のようにいったん芽を出した所に根を張って長年生き延びるという異なる生存戦略が存在する。
それは、いいかえると、変化に耐える生き方と、変化に応じて生きるという事なのかもしれない。
ケース3:デフォルト(債務不履行)・破綻
JALは破綻し、株券を紙切れにすることで、復活を遂げた。
国のデフォルトも回避すべき事ではあるが、その一方でいったんリセットをすることで、
健全化を図るという考え方も、時として必要なのかもしれないと思う。
駄目な企業やサービスを、税金ずぶずぶで延命するのと、破綻させ資本主義的に、
リセットさせるのとどちらが健全だろうか?
まとめると、ReBORNすべきなのか否かに答えはない。
ケースバイケースの場合もあれば、同じケースでも手法の違いであってどちらの方法でも
同じ結果がもたらされる場合すらある。
私自身の検討事項として、今あるのは、第二の人生(セカンドライフ)や、第三の人生をどうとらえるかという課題がある。
自分の中では、すでに第二の人生であるつもりなので、次は第三の人生、
何を継続して何を捨てるべきか、目下の課題である。

今年を振り返って2011

【スティーブ・ジョブズ死去】
初めてまともに使ったパソコンはMacintosh LC II 、初めて買ってもらったパソコンがMacintosh Performa 575、バイト代で初めて買ったのがiMac。そんなわけで、Appleの製品や、ジョブズ氏は少なかれ自分の生活や、思想に影響を与えてきたと思っている。
様々な革新的なプロダクトを世界に広めた彼だが、最終的に戦ったのは時間というフレームワークだと思う。
だから、時間は大切にしていきたいと思う。
【東北地方太平洋沖地震】
色々考えさせられる地震であった。
・帰宅難民になったら会社に泊まれ
 この発想はなかったが、たしかにそうだなと思う。
・トイレットペーパー、水、電池が無くなる
 これは意外だった。
・原子力依存からの脱却
 それまでは原子力容認派だったが、日本の場合はそれもありなんじゃないかと今は思う。
・津波は怖い
 テクノロジーが発達した現在でも、これだけの被害をもたらすもんなんだなと思った。
しかし、それとともに我々は改めて考えるべき事があると思う。
これまで国内・海外で地震、津波被害があった時我々はなにをしてきただろう、何を考えてきただろう?
【iPhone4S】
SB iPhoneには電波の入りにくさから、1年半苦しめられてきたが、AU iPhoneによって、
少し解放された。AU iPhoneでも繋がりにくかったりする事はあるけれど、以前のそれに
比べるとなかなかいい。
テクノロジーは人々の生活をより高度なものにする一方で人々を苦悩させる事がある。
Windowsや、ネットに繋がらないスマートフォンがそれだ。
【Twitter、mixi、Facebook、Google+】
昨年に引き続き、Twitterは結構活躍したなーと思う。
Facebookはあんまりだけど、使う人が増えたので利用自体は増えた。
Google+は、まだあまりユーザーがいないけど、期待の新サービスだ。
いずれこのブログもGoogle+ページに移すかもしれない。
【植物工場】
ここ数年、ベランダ菜園を試みてきたのだが、どうにもうまく育たないので、
今年は、夏頃から、水耕栽培に切り替えた。
まだまだ十分ではないけれど、少し灯りが見えてきた感じはする。
【Android】
私が使っているAndroidはまだタブレットのみだが、来年はスマートフォンもAndroidのを買うつもりだ。別にiOSが駄目なわけじゃないのだが、多様性と自由もこの世界には必要なんだぜ。
【円高、デフレ、ドル安、ユーロ危機】
円高や、デフレは、いよいよ自らの生活を圧迫して来るようになったと思う。
この流れはまだ来年も続くのかもしれないが、なんとかしたいものである。
【総括】
ここ何年か私がテーマとしているキーワードに、ダイバーシティ(多様性)とサステイナビリティ(持続可能性)がある。
テクノロジーは発達したが、世界人口70億人を迎え、人的な要因で、大きな被害をもたらす可能性はむしろ高まっていると思う。
また、新興国が成長する一方で、先進国経済は弱っている。
アメリカを頂点とする世界のヒエラヒーも揺らいでいる。
今後、分散型、協調型の世界地図が求められていくだろう。
世界では、洪水や大型のハリケーンなどの被害が発生しており、これがもし温暖化の影響であれば、
今後はさらに増加する可能性がある。
温暖化がもたらす被害としては、洪水、干ばつ、寒冷化、伝染病の蔓延、なども考えられている。
そんな不安定な世界では、安定性のあるものが求められる。
持続可能な仕組みだ。
福島の事故で日本では原発が利用しにくくなった。
効率の良いもの、より高度なものを求めるのは当然だが、持続可能なシステムが必要だと思う。
拡大を進めてきたユーロも同様だ。
今、持続性が試されている。