日本人口は2011年以降、徐々に減少の一途を辿っている。
予測では、2050年には1億人を割り込むとされる。
このような状況下で、政府は経済成長とGDP上昇による国の発展維持を掲げているが、これは現実的とは言い難い。
確かに、移民の受け入れ拡大や生産性向上という、掛け声は聞かれるものの、現実的には困難だろう。まあ移民に関しては受け入れの意思があろうがなかろうが、独立性が薄まれば、生存競争というなかで、消極的な受け入れにつながるだろうと考えている。
しかしより本質的な問題と考えるべきは、国家という名の布教活動が幸福の条件ではないのだから、個々の人生であったり、自らが支持する集団が、この生存競争の中で、持続しつつも、成長・繁栄にあたって必要なアップデートを実施する事こそが重要なのである。
イギリスのブレグジットにに見る民主主義の課題
現代の民主主義システムには、優先順位に基づいた段階的な改革を実施する仕組みが十分に備わっていない。
これはブレグジットにおいて顕著に表れた問題だが、同様の課題は世界各地で見られる。
皮肉なことに、一部の独裁的または中央集権的な統治体制の方が、より効率的な政策実行を実現している例も存在する。これは民主主義の不都合な真実と言えるかもしれない。今後は「すべての民意が等しく正しい」という幻想から脱却し、平等ではないが公平な社会、全員の合意ではなくとも、より正しい「We」の判断に重きを置く制度設計が求められる。
新たな知性の創造へ
日本の人口減少は、平和と豊かさがもたらした結果とも解釈できる。
仮に極めて厳しい生存環境下であれば、出生率は自然と上昇するだろう。
しかし、先進国で最も手厚い子育て支援を実施するフランスですら、出生率2.0には到達していない事実は、現代社会における自然な帰結とも言える。
このような状況下で、新たな発展の方向性として、AIの発展や、人間以外の知的生命体の創造という選択肢が浮上してくる。
例えば、知能を強化した類人猿や、高度な知性を持つ頭足類を宇宙開発のフロンティアとして活用するという構想は、技術的にも倫理的にも検討に値する可能性を秘めている(社会的な議論は必要だし、普通に炎上するだろうけど)。
結論として、人口減少への対応は、単なる人口維持や経済成長という従来の枠組みを超えて、新たな知性の創造と共生という、より広い視野で検討されるべき時期に来ているのではないだろうか。