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カテゴリー: 企業

未来の企業

現在、政府では、
労働賃金をあげよう
労働時間を減らそう
非正規雇用をなくそう(正規・非正規格差の是正)
という事をすすめようとしている。

労働賃金をあげる
たしかにそれは悪いことではない。
企業が利益をあげ労働者に還元されるのは結構な話である。
ただし、実際のところ、現代社会の多くの仕事はそんなに重要度が高くない。
みんなの金儲けのために、より多く浪費する社会を目指すより、
少ない賃金で、より豊かな生活を送れる社会を実現させたほうが、良いと私は思う。

労働時間を減らそう
これはその通りである。
今の日本の企業は、他者との小さな差別化のために時間を費やしすぎであり、
生活者自体も、コスパの悪い製品やサービスにどっぷり浸かりすぎである。

非正規雇用をなくそう
正規雇用の位下げと、非正規雇用の位あげどちらも必要だが、これは法律もあるし、
企業の取り組みもあるし、労働者側の意識も変える必要があるだろう。
企業が労働生産性をあげるためには、極端な話、無人で、利益が生まれるように
目指すことであり、そういう意味でいうと、未来の企業は雇用を生まないのである。
従来の企業であれば、企業は、労働者に報酬を出すことができたが、未来の企業は、
労働者に報酬を出すことができない。
なぜなら、労働は不要なのだから。

じゃあどうすればよいかというと、
企業は労働者をもっと自由にすべきだし
一方で社会は、生存に必要な企業は社会システムの中に取り込み
テクノロジーの進歩に重要な企業は、資本主義システムで残すという、
使い分けが必要だと思う。

生活者も企業が利益を得るための仕組みではなく、
社会の進歩に貢献するための場となる事が理想だと思う。
雇用の創出装置としての企業の役目はすでに限界に達しつつあり、
そこに国民を割り当てる事で、国家を維持するというシステムの継続には問題があると思う。
我々は価値観を共有できる利害の共有グループに対し無報酬もしくは、低報酬で生活できるための
モノ、サービスを提供すべきだ。

一方で、より高度化するテクノロジーの管理と、進化も支える必要があり、そこには貢献度合いに応じた
報酬という、資本主義的な要素も残すという2本立ての社会構造が当面の理想形なんだと思う。

日本のサービス業は労働生産が低い

よく言われる話に、日本のサービス業は労働生産性が低いというものがある。
日本のサービス業、そこそこITとかロボットは導入されているし、生産性が低いと言われてもいまひとつしっくり来ないので、いくらか調べつつ掘り下げてみる。
一人当たりの労働生産性は、
付加価値÷平均従業員数
というわけだが、付加価値とはなにかを掘り下げると、
売上高 − 外部購入価値
ということなのだが、この「付加価値」の部分から給料が支払われる。
要は仕事に対して生み出されるお金が少ないということになるが、
はたして原因はなんだろう?。
一つ確かなのは、お金(報酬)に結びつかない仕事が多いということだ。
商品で考えるとわかりやすいが、1時間かけて作った料理と、3時間かけて作った料理。
準備に10分かかったものと、準備に1日かかったもの。
回転率の高いものと低いもの。
手間をかけたり、丁寧に作ることで、多くの場合品質が向上するだろうが、それをその分、価格に転嫁できるかというとなかなかそうもいかない。
わかりやすいのが、サービス業。
近年日本は、サービス業のウエイトが大きいが増えている一方で、サービス業の賃金は安いので、
労働生産性が低くなっている。
つまり労働生産性というのは、生み出されるサービスが高くても、支払われる価格が安ければ、
下がってしまうのである。
なぜ品質やサービスが良くても、支払われる価格が下がってしまうのだろうか?
今度は、製品をイメージして考えてみる。
日本の場合は、より高機能、高付加価値という方向で商品の向上が図られる場合が多いが、
これだと、工数も拡大するし、製造コストも増加してしまう。
それに打ち勝つためには、次のような発想が必要だ。
・ほぼ同じ品質で製造コストを半分にする。
・ほぼ同じ品質で工数を半分にする。
・不要な機能を削って価格を減らす。
・広告宣伝費を削減して同じぐらい売れるようにする。
・供給が過剰な分野からは撤退する
・石橋を叩き過ぎない(過度なチェックを省く)
日本は、引き算の製品づくりが苦手と言われる。
これからはサービス業においても、引き算のサービス提供、サービスをコンパクトにするという考え方も必要なんじゃやないかと思う。
そこで、日本の企業ににありがちな、風習をあげてみたい。
【残業】
疲れている状態での仕事は生産性が低い
日本の企業は残業時間が長いと言われている
無駄な残業が労働生産性を下げている。
【年功序列、終身雇用 】
どちらも生産性とは異なる基準軸でのシステムであるがゆえ、生産性は低下する。
ある程度転職しやすい環境を作り、生産性に応じた給与体系が必要。
【スペック過剰】
日本のサービス全体として、価格に対してのクオリティは高い水準にある。
一方で、多くの場合はクオリティを向上させるために、原価や、時間をより多く必要とし、高品質では
あるが、収益率が悪いという結果につながっている。
ただし、これはサービス提供側の問題なのかというと、かならずしもそうではなく、消費者の要求レベルが高すぎるというのももう一つの問題なのかと思う。
【需要不足・供給過剰】
都会の店舗(飲食店や、デパートなど)をみると、人通りは多いが、店内はガラ空きなんて事がよくある。
人口の増減が横ばいで需要は増えてないが、供給は継続されている。
企業はあの手この手で需要を喚起しようとするが、結局のところみんなお腹いっぱい。
まとめると、日本の企業が生産性を上げるために
企業レベルとしては、ロボットやITによる、作業の省力化や、効率化、教育の充実が必要だが、
消費者側も、品質に直接影響が少ない部分での過剰サービスを求めないか、その分の費用を払う必要がある。
さらにマクロ的な観点からすると、需要に対する供給自体を減らす必要があり、それを調整するのは政府の役目なのかもしれない。
ただ現実問題、政府にその調節能力があるかというと微妙だし、資本主義の競争原理にまかせておけば、いずれ調整されるかというと、それも疑問だ。
最近のニュースをみていると、競争のあるところには不正ありという感じで、別に競争は悪い事ではないが、カードが限られている世界で、延々とババ抜きを繰り返すようなゼロサムゲームにどれだけ意味があるかはわからない。
そもそも労働生産性の低さは誰にとって損なのかというと、労働者にとって損なのだが、
その損が、時間をかけて、生活者にも回ってくるわけで、これは社会全体で是正していく必要があると思う。

労働とは何か

資本主義が支配する社会において、賃金を得る為に行う行為。
それが労働である。
共産主義的な観点からすると、それと同じ行為を無報酬でやるべきなのだが、
それはあくまでも理想論だ。経済というのはお金というニンジン(馬人参)がある事で、
近年発展してきた事も事実である。
資本主義社会において、生きる為にはお金がいる、しかしお金の為に
生きているわけではない。
だから、お金を得る事を目的化してはならない。お金は手段であって、
目的ではないからである。
では生きる目的とは何だろうか?
イエスは「人はパンだけで生きるものではない。」と言った。
生きる為にはパンも必要だが、パンの為に生きているわけではない。
ミドリムシぐらいなら生きる事が当面の目標かもしれないが、人間は
「人間らしい生活」「豊かな生活」を目指して生きている。
「人間らしい生活」「豊かな生活」とは何か?を考える前に、
日本国憲法 健康で文化的な「最低限度の生活」とは何か考える。
「三度の飯」「風呂に入る(できれば毎日)」「ネットをする」この3つははずせないなと個人的には思う。その上で、文化的な生活として、音楽、美術、旅行、哲学、創作などを楽しんだりしつつ社会や人類の発展の為に働く事が人間らしい豊かな生活だと私は思う。
話は一歩戻るが、人が働ける期間は限られている、多くの場合生まれた頃(幼少期)と、老年期には
働く事は難しい。国は「労働に関わらず」 健康で文化的な最低限度の生活を保障すべきであり、労働というのは+αであるべきというのが私の持論である。

株主総会

DeNAの株主総会に行って来た。
株主総会は、株主に前期の報告や今後の見通しなどを説明する場である。
別の言い方をすると、株というもので会社と繋がっている人々との経営者との集いだが、
一般の株主からすると、経営陣を直接見る事ができる年に一度にイベントといった感じなのかと思う。
流れとしては業績の報告、質疑、決議。というシンプルなものである。
総会の醍醐味は、質疑応答で、株主からの質問、提案、クレームに経営陣がうまく受け答えする
という、部分なのかと思う。
ここに集まった人は、多かれ少なかれその会社にお金を出しており、経営者の発言や姿勢に注目している。
経営者は株主に対して一定以上の配慮が必要となる。経営陣には緊張感が漂っている。
しかし、発言する株主は様々で、
今回は、配当を増やして欲しいという株主もいれば、いやいや成長企業は株主還元より事業投資が厚くていいんじゃないかという株主もいる。野球ファン(横浜DeNAベイスターズ)としての意見を述べる人もいれば、同郷の先輩じゃという人や、モバオクのイメージ改善を意見する株主など。
どんな株主がいるかわからない。
ある意味アンコントローラブルな可能性に満ちた空間で、議長(多くの場合はCEOかと思う)が発言者を選び、株主との受け答えをする。
会場の雰囲気は、それぞれ一問一答により、展開・進行していく。
そんなあらすじの無いコンサートは、一通りの質疑を終え、決議に進む。
株主はそれぞれの決議事項に拍手を行い、承認が完了する。(実際の所は儀式的なものだが)
議長の閉会の宣言がなされ、経営陣は安堵する。
今回、個人的に興味があった事項として
commって最近どういうポジションなの?
という疑問があったのだったが、これは質疑で質問してた人がいた。
現時点では、それほど大きなリソースも使ってないし、ここで改めてCMとか出しても、
伸びそうも無いので、現時点大きく出る感じではない。というようなニュアンスを含んだ
回答だったと思う。
その他、成長企業は株主還元より事業投資が厚くていいんじゃないかという株主の発言にちょっと
ジーンと来るものがあった。
ともかく、株主総会というのは、株主が何を言い出すかわからないちょっとした緊張感と、
ときどき発せられる不協和音を、議長や経営陣、はたまたほかの株主がうまく調整しながら終了を迎える過程が面白いなと思った。

株主総会

今年もDeNAの株主総会に行ってきた。
私の場合、今は、投資、資産運用としての株はほとんどやっておらず、唯一保有している株である。
株主総会の参加者は高齢の人が多い。
株主の質疑応答の内容を聞くと事業の内容とか、
よくわかってないんだろうな、と思う株主も少なくない。
株価が上がって株主が儲けたり、株主配当を受け取ったりするのは結構な事なのだが、
個人的には、その会社を知り、その会社を応援するために株式を保有していたいなあと思う。
現在日本も含め、世界には多数の企業が存在し、それらの企業は社会に様々な影響を及ぼしている。
良い会社が増えれば、良い社会の実現に繋がるだろうが、悪い会社が増えれば、社会も悪くなるだろう。
どうしたら良い会社が増えるだろうか?
よい会社は、良い経営者、良い従業員、良い顧客、良い企業パートナー、良い株主が育てるものだと思う。
だから、株主を含めステークホルダーは、会社を良い方向へ導く事を心がける必要があると思う。