安倍元首相が凶弾に倒れ、お亡くなりになった。心からご冥福をお祈りいたします。
ともに、これは、ショッキングな出来事であり、いくつかの重要な課題を示している。
銃の使用
アメリカであれば、銃・ライフルは容易に手に入れられるだろうが、日本では、そこまで一般に流通しているものではない。
その気になれば手製のものをつくる事は可能だし、殺傷能力をもった道具はなにも銃だけではない。
そう考えると、銃の取り締まりをどうこうするという事で、今回の問題の改善につなげるのは難しいだろう。
監視
今回のような、テロに近い要素を含む事件をふまえて対策を行うのに、
もっとも強化すべき点はなんといっても監視かと思う。
今回の件に限らず、多くの事件というのは、例え5分前だとしても、事前に危険が把握できていれば、リスクを低減させる事ができる場合が多いと考える。
早期発見のためには、多少の不便さや、部分的なプライバシーの問題より優先すべき安全の部分をもう少し明確にしていく必要がある。
脱安全神話
かつて日本は安全な国だった。まあ厳密に言えば本当に安全だったのかといえば、そうではない部分は多々あったのだろうが、事件や事故の発生状況として、いまでも一定水準は保っているかと思う。
個人的には、どこからがアフターコロナかはわからないが、最近街でおかしな人いるなあというのを目撃する率は高まっていると思っている。
そこに関しては個人の感想でしかないが、少なくともマクロ的な視点でいえば、エネルギー資源の価格高騰と、戦争による流通の悪化、社会活動が人々のストレス上昇に影響を与えることは、明らかである。
それに向けて我々がすべきことは、過去の安全神話によって、本来必要な安全対策を怠る事ではなく、これからの環境で必要な安全対策を、新たに検討していく事だと思う。
安全安心はタダではない。