仕様だけで見ると、iPadは、よく肥えたiPod touchにすぎない。
しかしiBooksや、今後登場するであろうこの端末に向けたアプリケーションやサービスを含めて考えると、新たな潮流につながっていくだろう。
個人的にではあるが
以前からタブレット型のMacを望んでいた理由は、
マウスを使うより画面で直接操作できるほうが直感的で自然だと思っているからである。
AppleのNetbookを望んでいた理由は、
最近のMacのノートパソコンは大きすぎるからである。
そして値段的にもNetbook的な価格の商品がでたらいいなあと思っている。
そういう意味で考えると、iPadはある意味待ち望んできたものではあった。
しかしその一方で、パソコンとしてはいくつか物足らない部分がある。
OSがMacOS Xじゃない、CPUがインテルじゃない、USBポートがない、といった点がそれだ。
それでもiPadが日本で発売されたらすぐ買うつもりだ。
今後iPadは一人1台持っておく事をおすすめできるような端末に進化していくだろう。
現在のノートパソコンは使い方が難しすぎる。
みんなが使えるパソコンでなんだろう?
多くの人にとって家で使うパソコンは、ネットができ、ネットを通じたサービスが利用できれば、それでいいのではないだろうか。
iPadはだれでも使えるパソコンというものに少し近づきつつあるパソコンだと思う。
学校なども含め、この端末がどんどん活用され普及するといいなあと思う。
月: 2010年1月
ある問題に対して答えを出すのにしばしば多数決という方法が用いられるが、多数決が有効なのは、
その問題に対して投票する側がある程度の知識を持ち合わせている事と、正しい判断ができる状況にあるかが、
重要である。
たとえば、赤と白どちらかがあたりで、それをどっちにするか多数決で決めても、だれも答えをしらなければ、意味がない。
選挙にしてもそうだが、何人投票に参加しようが、解決しようとしている問題に対し何の知識もない人が参加しても、正しい解は得られない。
特に専門知識を多く必要とする問題を、知識を持たない人の集団で多数決をとると間違った方向へ進む可能性が強いと思う。
答えが深いところにあるのに、表面的な部分でしか捉えられないからである。
厄介だと思うのは、このような専門知識を必要とする問題が、浅いところで議論され、答えが出され、それが既成事実として広く浸透してしまう事である。
いったん根付いてしまった結論というのはそれが誤りだとしても覆しにくいものである。
問題の全体が見えているようなものは、みんなで議論すれば正しい答えにつながると思うが、
内容をよく知らないで表面的な所でみんなが勝手に答えをだして、それがあたかも正しい判断だと思うのは危険だと思う。
ポピュリズムが有効な場合と、誤ったポピュリズムの差はその違いなんだろうな。
読んである程度気に入った本は、メモとしてmixiのレビューとして残すようにしている。
そこで、ふと同じ本のレビューを書いている人の他のレビューから面白そうな本を探してみることにした。
同じ本に関心を持っている人は、他の本に関しても自分が関心をもちやすい本を読んでいる傾向にある。
ただし、レビュー数が多いものは単に流行った本なので、あまり役には立たない。
レビュー数がそれほど多くなく、ある程度同じような感想を持ったユーザーのレビューを見て、気に入ったものをひとまずクリップに移動させる。
作業が一段落したら、もう一度クリップした本のリストを見て、特に読みたいものをピックアップ。
Amazonの評価なども少し参考にしながら、カートに追加していき、予算の範囲で購入。
結局やっていることは、これを買った人はこんな本も買っていますという事なのだろうが、
この方法だと、関連性の枠を越えやすい所に面白味がある。
レコメンドの場合関連性が高いものをレコメンドしてくるはずだが、この場合一人の人の中の多様性の中から面白そうなものを見つける事ができる。
ただやってみてわかったのだが、多くの人は、かなり傾向が存在していて、意外と狭いカテゴリーの中で生きているという事である。
自分としても、特定のカテゴリーにとどまらず、もうちょっと広い範囲に目を向けないといけないなあとちょっと反省。