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資本主義はオワコンか

今、世界は物流こそ健在だが、コロナにより人の往来が急速に減少したコロナワールドの渦中にある。
中国の検査体制、封じ込め対策は、情報の信憑性に乏しい故、あまり参考にならない。それでも、コロナというゲームチェンジにおいて、従来の資本主義、民主主義ではない何かが存在感をましていることは確かだと思う。

アフターGAFA

「After GAFA 分散化する世界の未来地図」小林 弘人 (著)
を読んで、インターネットの過去の希望と、信頼を失った現在のインターネットについて。これからインターネットは、性善説より、信頼性を取り戻す事を優先するべきだと思った。

Twitterのトランプのアカウント凍結に関しても、現在多くのソーシャルメディアがかかえるフェイクニュースを含む、信頼性の乏しい情報の拡散、情報操作、分断を煽るメッセージの拡散を抑止するための一貫として考えるならば、企業が考えるガイドラインに沿ってそれを適切に運用するのは正しい方向性だと思う。

企業・国家・個人・共同体

国家という枠組みは、軍事的な境界線という意味では、運命をともにするので、有事には存在感を増す。一方、平時であれば、人やものが自由に行き来するので、必ずしも国境の枠組みに縛られる必要はない。

そうなると、国を越えた企業、国と国との共同体といった連携で、より大きな連携を築いた方が、ヒトカネモノを効率的に共有できるだろう。

なぜアメリカには大企業が生まれやすく、日本では生まれにくいのだろうか。
それは規模の原理である。
もしアメリカの人口が日本の半分、国土も日本の半分、標準語が独自の言語だったらどうだろうか。
アメリカンドリームは、おそらくかなり規模の小さいものになっていただろう。

企業と国家、人を幸せにするのはどっちか

国家は、税金(所得税、住民税)を払っているか否かにかかわらず、国民は国民であるのに対し、企業にとってのユーザは原則的にはお金を払った相手に、サービスを提供する(客=お金を払った人)という違いは大きいと思う。

国は富の再分配を行う力と役目を持っているが、多くの場合は、高所得者からより多くの富を回収し、再分配する。逆に企業は、ユーザーが払った金額に応じてサービスを提供する仕組みとなっている。

その点で考えると、「企業は高所得者」や、「多くの財産を持ちそれを使う人」にとって国と企業で比べるなら「企業」のほうが、リターンの多い存在だと言えるだろう。

多数決と分断

民主的な組織は、多くを多数決に依存している。多数決は圧倒的多数できまれば、多くの人が満足するに違いない。一方、半数で割れた場合は、どっちに転んでも半数近くが自分の希望とは異なる判断を下される事になる。しかも多数決で勝ったほうが、必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。となると僅差で負けて苦汁を飲まされた人々は、圧倒的多数で負けて、そうなるより、納得感も得られにくいと考えられる。

アメリカの大統領戦とか見てて思うのは、そんなにもめて半数に割れるんだったら、二人とも大統領やって、2つの政府にそれぞれ、予算を配分して政策も半々にするとか、あるいは州ごとに担当大統領を割り当てたらいいんじゃないかと思ったりする。

多数決共同体がダメなところは、能力の合計/人数=多数決共同体の能力 という図式にあると思う。
より高い能力を出したいのであれば、高い能力を合計して、平均化(意見の調整)をはからなければ、民主的(平均の能力)という呪いから脱することはできない。

ハイブリッド政府

私が提案する政府の構成は、資本主義と、公共主義の二階建て構造。
上の階は大企業が力を示す一方で、政府の介入は少なめの小さな政府。そっちを選ぶにはそれなりの納税もしくは、献身を社会に提供できる人である必要もあるが、こちらのプランを選んだ人の公共サービスをうけられる。
下の階は大きな政府。比較的国民の生活に政府があれこれ口を出すが、セーフティーネット的な要素に力を入れている政府。

どっちを選ぶかは、年単位で個人で選択ができるが、それにより選挙権や、税金も異なる。
上の階は誰でも無条件に選べるわけではなく、ある程度の要件を満たす必要がある。

イメージとしてなんとなく近いのは、富裕層なら外国人も受け入れるというシンガポールみたいな感じ。必ずしも資産のみで差をつけるという趣旨のものではなく、社会的規範だったり、個人の社会的貢献を得点に含めた参加要件とする事で、義務や責任とのトレードオフを含んだものにしたほうが良いと思う。

性善説の敗北を認めよう

とどのつまり、私のこの提案「ハイブリッド政府」というのは、性善説の敗北に他ならない。
我々は、富の再分配、知の再分配など公平や平等を理想を目指してきたが、今のホモサピエンスはただの夢物語。まだ早すぎるという話である。

それなりに高い知能、知識、正義でもって、正しい判断ができ、それなりに努力を行い、まあまあ運もよい人々がいくらか多めに自由を受け取る。

別に下の階の人々を大きな政府でもって搾取管理しようとか、格差を広げようという事ではなく、基本的には現在と大きな違いはない。1か0の世界に2を作ろうというぐらいの、ごく些細な調整案である。