Press "Enter" to skip to content

月: 2012年6月

地下鉄サリン事件

正直言ってその頃の記憶はあまり確かではないが、
当時はテロという言葉が一般的ではなかったように思う。
いまでこそあれは無差別テロであり、
ようやく最近捕まった指名手配の容疑者らは、テロリストなんだと認識できるが、当時は、9.11より前の話だ。
もし9.11以降に起きていれば「地下鉄サリン事件」ではなく「地下鉄サリンテロ事件」と呼ばれていただろう。
最近のNHKの特番などによると、オウム麻原がかなり早い段階で社会に対しテロを仕掛ける事を構想してたと言う。
今改めて思うのは、
日本という平和ぼけな国で、テロが計画され実行され、実際多くの犠牲者が出たという事実は風化させてはならないと思う。

自己複製と多様性

「働かないアリに意義がある」という本をよみ、そこでクローンを作るアリの話を読み、
人類や、生命体、知的非生命体の未来を考える。
我々や多くの生命がこれまで完全複製ではなく、遺伝子的に揺らぎのある交配によって進化してきた。
なぜクローンではだめだったのか。
多様性が、環境への適応をもたらし、結果として系列の種の保存や、同種の拡大につながってきたのだと思う。
つまり、逆に言えばクローンでは環境の変化に適応できず、生き残るのが難しいという事である。
そこで思うのが、では重要なのは、
1.自身を長生きさせる事
2.自己の複製をより多く、より長期にわたって存在させる事
3.自己+αな存在をより多く、より長期にわたって存在させる事
なのだろうか?
もしそうだとするなら、遺伝子的に近い存在を優先的に大事にする事になるだろう。
実際に生き物や、動物の本能として、その傾向はある。
だがしかし、人間というのは単に分子の集まり、細胞の固まりではなく、思想や哲学を持って生きている。
だから単純に遺伝的に近ければなんでもOKというわけにはいかない。
1.自己の思想を長く生きさせる事
2.自己の思想をより多く、より長期にわたって存在させる事
3.自己の思想+αな思想をより多く、より長期にわたって存在させる事
こういう考え方もできるかと思う。
このように我々は、自己の複製を理想としつつも、環境の変化の中でそれを行うために、
多様性という犠牲によって、自己を保存しようとしている。
でも、そもそも自己というのは複製すべき存在なのであろうか?
これは難しい問題だ。
生命の進化の過程でそれ(種の保存)を選ぶのは他者であり、環境であり
偶然性でもある。
種に正解はない。
個人的に自己のクローンは必要なのかと考えると、可能ならあってもいいと思う。
自己+α これは必ずしも子孫ではなく、家族などを含む系統という事になるが、
自分の場合は遺伝子的類似度より、思想的な共通性が重要だと思う。
もちろん、思想的な観点でも、共通点が多ければよい訳ではなく、
自己の思想+αな思想をより多く、より長期にわたって存在させるためには、
別の種の思想との交配も必要なのかもしれない。
そこで話は一気に飛躍して、冒頭の「知的非生命体」に戻る訳だが、
いずれロボットは、ロボット自体が複製を行うという、人工でも生命でもない、
人工生命のような存在が登場するだろう。
ハードウェア的に人類とは異なるそれらが、どのような発想や、倫理観を持つかは全くわからないが、
いずれ、宇宙の隅まで知的な存在が進出するだろう。
そして、「この宇宙がなくなるまでにはあたらしい宇宙を作りそこへ新しい知的存在を送り届ける」という役割は、いずれ彼らに受け継がれるだろう。
一方で、人類が存在する以降の生命が、現在でも不要ではないように、人類の存在はしばらく持続するだろうし、そうでなければならないと思う。
それは物質的な面からもある程度はそうだろうし、思想的にも彼らに受け継がれるべきだと思う。
何いっているかよくわからないと思うので簡単にまとめると
・人類はいずれロボットに次の知的存在の進化を引き継ぐ時がやってくる
・人類の思想は、彼らに受け継ぐべき
・この宇宙に誕生した知的存在の使命はこの宇宙がなくなるまえに新しい宇宙を作る事
という話でした。

軍艦島(端島)

先日、端島(はしま)に行って来た。
【交通】
東京からは、羽田-長崎空港を飛行機。
長崎空港から、長崎駅まではバス(高速バス)、
長崎駅から長崎港までは路面電車、
長崎港から端島まではツアー船で行った。
【宿泊】
軍艦島だけなら、日帰りでも行けると思うが、せっかく行ったのに天候不順で船がでない事もありえるので、
その場合は翌日に行こうと思い、長崎駅近くのビジネスホテルに1泊にした。
【軍艦島(端島)】
「元々は、南北約320メートル、東西約120メートル」(Wikipedia)の島だった。
炭鉱の開発により、埋め立てにより広げられ、コンクリートのアパートが建設され、多いときは島に5000人を超える人々が住んでいて、今から30年少し前に閉鎖された、現在は無人の島である。
天気もまあまあよく、波も静か、無事軍艦島に着く。
岸壁はコンクリートで固められていて島全体がちょっとした要塞のような感じだ。
陸に上がって、見学できる箇所はごく一部で、くずれかけの建物に入ったり、あまり近づけないのだが、
建物の多くが風化しているのがわかる。
30年と考えると、それほど長い歳月でもないが、雨風や、一部は波にさらされる事や、建築の問題で、
崩壊が進んでいるようだ。
建物の窓からは、植物が見えたりして、
無人となった建物にひっそり息づく植物の存在は、美しい。
廃墟と言えば、数年前に行ったカンボジアも
廃墟と言えば廃墟である。
カンボジアの場合は、寺院であったものが、自然倒壊したものや、
戦争により破壊されたものなどが見られる。
個人的に好きなのは、人工物が、長い時間をかけ、雨風により自然倒壊し、
尚かつ植物などが、新たな住人となっている姿。
(なので人工的に倒壊したものは、あまり関心が無い。)
簡単に言えば、盛者必衰、諸行無常 後の世界といったところであろうか。