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投稿者: tsubute

teppay発表に見えるSuicaの焦燥感と、本当にやるべき3つのこと

teppay発表が示すSuicaの焦燥感と現実

2025年11月25日、JR東日本はモバイルSuicaの新たなコード決済サービス「teppay(テッペイ)」を2026年秋に開始すると発表した。PASMOも2027年春から対応予定で、合わせて約3500万のモバイルユーザーを擁する巨大決済サービスの誕生となる。

しかし、この発表に対する世間の反応は冷ややかだった。

「鉄平?人名なの?」「Suica Payじゃダメだったのか」といったネーミングへの困惑。そもそも「鉄」にこだわっている時点で、交通インフラから脱却できていない。Suicaが目指すべきは「生活インフラ」としての決済手段であり、鉄道に縛られた名称では自ら可能性を狭めているようにも見える。高輪ゲートウェイ駅の命名騒動を思い出した人も多いだろう。

発表の背景には、Suicaの焦りがある。経済産業省のデータによれば、電子マネーとコード決済の決済金額は2〜3年前に逆転し、その差は広がり続けている。7100万人以上のユーザーを抱えるPayPayが市場の6割以上を占め、楽天ペイ、d払い、au PAYが続く。Suicaを含む交通系ICは、2万円の上限や全国展開の困難さもあって、決済手段としての存在感を失いつつある。

そもそも交通系ICがSuica、ICOCA、TOICAと地域ごとに分かれているのは、国鉄分割民営化の帰結だ。当時の判断には合理性があったかもしれないが、キャッシュレス決済が国際競争の時代に入った今、各JRが別会社という枠組みのままでは限界がある。一企業の努力では解決できない構造的課題であり、交通系決済インフラの再定義に向けて、政府が後押しすべき時期に来ているのではないか。
そうした構造的課題を抱えながらも、JR東日本はteppayで独自に活路を開こうとしている。しかし、その船出には不安がつきまとう。

驚くべきことに、teppayはバックエンドのシステムもアプリの作り込みも「これから」の状態で発表された。記者発表会で配布されたスマートフォンはデモンストレーション用で、実際のサービスはまだこれから。

大規模なシステム改修と聞くと、やはり頭をよぎるのは「みずほ銀行のシステムトラブル」だ。そして今年9月のアサヒグループHD、10月のアスクルと、大企業へのランサムウェア攻撃が立て続けに発生している。アサヒではビールや飲料の出荷が止まり、アスクルでは無印良品やロフトのネット通販まで巻き込んで停止した。決済インフラへの攻撃は、サプライチェーン全体に波及する。teppayが同様の標的にならない保証はない。

JCBとPASMOとの提携がまとまったこのタイミングで発表しなければ、PayPayとの差はさらに開く。かといって1年後のサービスインまで何も言わないわけにもいかない。苦渋の決断だったのだろう。しかし、その焦りが空回りしているようにも見える。

teppayの設計を見ると、いくつかの制約が目につく。teppay残高は現金として引き出せない。モバイルSuicaに一度チャージした残高はteppayに戻せない。残高上限は30万円。これらは「資金移動業者」ではなく「前払式支払手段」という金融カテゴリでサービスを展開することに起因する。本人確認なしでの送金を可能にするためのトレードオフだが、使い勝手の面では既存のコード決済サービスに見劣りする部分も多い。

そして何より、「なぜPayPayではなくteppayを使うのか」という問いへの答えが見えない。モバイルSuicaユーザーがそのまま使えるという導入ハードルの低さは確かにあるが、それは「積極的に使いたい理由」にはならない。JR東日本のエキナカ施設で少し便利、という程度では、PayPayの牙城を崩すことは難しいだろう。

とはいえ、モバイルSuicaにせよ、Suicaにせよ電子マネーというものを国内にもたらした先駆けであり、長年の愛用者の一人として、Suicaがこれから本当に取り組むべき課題は何かを考えたい。

コード決済市場でPayPayの後追いをすることが、果たしてSuicaの進むべき道なのか。

Suicaが本当に取り組むべき3本柱

1. 交通系ICの統合・共通化

日本の交通系ICカードは、Suica、PASMO、ICOCA、manacaなど全国で10種類近くが乱立している。相互利用が進み、どのカードでも全国の改札を通れるようにはなった。しかし、チャージ残高は各カードで別管理のままだ。東京でSuicaを使い、大阪でICOCAを持っていれば、残高は分散したまま。これが「キャッシュレス疲れ」の一因でもある。

teppayでSuicaとPASMO間の残高移動が可能になるのは、確かに一歩前進だ。しかし、これはあくまで首都圏の話に過ぎない。関西のICOCAユーザー、中京圏のmanacaユーザーは、現時点では対象外だ。

JR東日本は「キャッシュレス疲れ」を理由にteppay導入の意義を説明した。多くの生活者がキャッシュレスの多様化・複雑化にストレスを感じており、馴染みのサービスにまとめたいニーズがあるという。その主張自体は正しい。しかし、それならばコード決済を新たに増やすより先に、交通系IC同士の壁を壊すべきではなかったか。

全国の交通系ICが一つの残高で使え、どの地域でも同じようにチャージできる。そんな統合基盤こそが、本当の意味での「キャッシュレス疲れ」の解消になるはずだ。各社の利害調整は困難を極めるだろうが、JR東日本がリーダーシップを取るべき課題はここにある。

2. インバウンド対応

訪日観光客にとって、Suicaは「日本旅行の必需品」として広く認知されている。空港でSuicaを購入し、電車に乗り、コンビニで買い物をする。そのシームレスな体験は、日本のおもてなしの一つとして評価されてきた。

しかし、課題も山積みだ。帰国後に残った残高はどうするのか。海外発行のクレジットカードからのチャージは限定的で、Apple PayやGoogle Payの国際連携も十分ではない。せっかくSuicaを気に入っても、帰国後は使い道がなくなってしまう。

JR東日本は2024年12月に発表した「Suica Renaissance」構想で、多言語対応やクラウド化を謳っている。しかし、今回のteppay発表ではインバウンド視点がほぼ欠落していた。国内のPayPay対抗に目を奪われ、グローバルな視点を見失っているように見える。

訪日観光客は年間3000万人を超える規模に回復しつつある。この巨大な市場に対して、Suicaはもっとできることがあるはずだ。海外のApple Payとのシームレスな連携、帰国後も使えるオンラインサービスとの接続、残高の国際送金対応。PayPayとの国内競争に勝つことより、Suicaを「世界で使える日本発の決済手段」に育てることの方が、長期的には重要ではないか。

3. 決済コストの低減

店舗側から見たとき、決済手段の選択で最も重要なのは手数料だ。PayPayが中小店舗に急速に浸透した理由の一つは、初期の手数料無料キャンペーンだった。QRコードを印刷して貼るだけで導入でき、専用端末も不要。この手軽さとコストの低さが、個人商店や小規模飲食店への普及を後押しした。

一方、交通系ICは端末コストも決済手数料も高止まりしている。FeliCaリーダーの導入費用、決済ごとの手数料、月額の固定費。これらが中小店舗にとってはハードルとなり、結果として「Suicaが使える店」は大手チェーンや駅ナカに偏っている。

teppayはSmart Code加盟店(約160万カ所)で利用可能とされているが、加盟店手数料は「未定」のまま発表された。「コード決済として端末などは原則不要なので、安価に抑えたい」とのコメントはあったが、具体的な数字は示されていない。

JR東日本が本気でteppayを普及させるなら、ここで勝負をかけるべきだ。PayPayに対抗できる水準の手数料設定、導入支援キャンペーン、中小店舗向けの優遇措置。加盟店が増えなければ、ユーザーにとっての利便性も上がらない。3500万人のユーザー基盤があっても、使える場所がなければ意味がない。


守るべきもの:Suica固有の安心感

ここまでteppayへの懸念と、Suicaが取り組むべき課題を述べてきた。しかし、忘れてはならないのは、Suicaには他の決済手段にはない固有の強みがあるということだ。

子供がランドセルに横にぶら下げておいても安心。この一言に、Suicaの本質的な価値が凝縮されている。

Suicaは堅牢性が高い。センターサーバー方式への移行後も、障害時に備えた冗長構成が維持されている。そして何より、操作が不要だ。タッチするだけ。アプリを開く必要もなければ、QRコードを表示する必要もない。

この「安心・シンプル」こそがSuicaのブランド価値の核心であり、子供から高齢者まで幅広い層に支持される理由だ。スマートフォンの操作に不慣れな人でも、Suicaなら使える。

ところが、teppayはこの強みを希釈するリスクがある。コード決済を使うにはアプリを開かなければならない。QRコードを表示し、店員に見せるか、店舗のコードを読み取る必要がある。これは従来のSuicaの「タッチするだけ」という体験とは根本的に異なる。

モバイルSuicaユーザーの多くは普段アプリを開かない。スマホのウォレットにSuicaを入れて、改札でタッチするだけだ。この行動パターンを変えさせることは容易ではない。

むしろSuicaが追求すべきは、「タッチ」の進化形としての顔認証やミリ波ゲート認証ではないか。

JR東日本は改札という「毎日数千万人が通過するゲートインフラ」を持っている。QRコード決済でPayPayの土俵に上がるより、この固有資産を活かした「Suicaにしかできない進化」を目指すべきだろう。


今後の懸念

名称公募のドタバタ劇

teppayという名称への批判は収まる気配がない。このままでは、JR東日本が「皆様の声を受けて名称を再検討します」と言い出す可能性もあるのではと思ってしまう。

高輪ゲートウェイ駅の時を思い出してほしい。あの時も駅名公募が行われたが、1位の「高輪」や2位の「芝浦」を無視して「高輪ゲートウェイ」が採用された。署名運動が起き、批判が殺到したが、JR東日本は押し通した。

今回も同じパターンになるのか。あるいは批判を受けて公募を実施し、結局また微妙な名前に落ち着くのか。いずれにせよ、名称問題でドタバタすることは、サービス本体への信頼を損なうことにつながる。名前を変えれば解決するような問題ではないのだ。

システムトラブルへの懸念

より深刻な懸念は、システムトラブルだ。

前述の通り、teppayはバックエンドもアプリも「これから作る」状態で発表された。2026年秋のサービスインまで約1年。3500万人のユーザーを抱えるサービスを、この期間で安定稼働させられるのか。

みずほ銀行のシステム障害を思い出してほしい。2021年から2022年にかけて、みずほ銀行は11回ものシステム障害を起こし、金融庁から業務改善命令を受けた。複雑なシステム統合を急いだ結果、品質管理が追いつかなかったことが原因の一つとされている。

teppayも同様のリスクを抱えている。モバイルSuicaという既存の巨大システムに、コード決済機能を追加し、PASMOとも連携させ、JCBプリカの発行機能も持たせる。さらにJRE POINTとは別の「teppayポイント」という新しいポイントシステムも導入する。これだけの要素を1年で統合するのは、相当な難易度だ。

サービスイン直後に大規模障害が発生すれば、Suicaブランド全体への信頼が揺らぐ。「突貫工事」の代償を払うことにならないよう、願うばかりだ。

サイバーセキュリティの課題

決済サービスである以上、サイバー攻撃への備えは必須だ。

teppayは「前払式支払手段」として本人確認なしでの送金を可能にしている。これは利便性の面ではメリットだが、セキュリティの面ではリスクでもある。30万円の上限があるとはいえ、送金機能が悪用される可能性は否定できない。

2020年に発生したドコモ口座の不正利用事件を覚えている人も多いだろう。本人確認の甘さを突かれ、他人の銀行口座から不正にチャージされる被害が相次いだ。teppayが同様の攻撃にさらされない保証はない。

JR東日本は「必要な監視を行ってセキュリティを高める」としているが、具体的な対策は明らかにされていない。3500万人の決済情報を守るセキュリティ体制がどこまで整備されているのか、ユーザーとしては不安が残る。


ここまでteppayへの懸念を述べてきたが、最後に少し話題を変えて、キャッシュレス決済全般について感じたことを書いておきたい。


あとがき

GoPayで気づいたレシートレスの価値

話は変わるが、最近タクシー配車アプリ「GO」のGoPay機能を使って、ちょっとした発見があった。

降車時に自動決済されるのは便利だと思っていたが、後から領収書をアプリ内で発行できることを知らなかった。乗車履歴から必要な領収書を発行できるので、それを経費精算にもそのまま使えるようだ。これは地味だが画期的だ。

私は昔、タクシーに携帯電話を置き忘れたことがある。それ以来、どこでどの会社のタクシーに乗ったかを確認できるよう、レシートは必ずもらうようにしている。キャッシュレス時代になっても、この習慣は変わらない。

しかし考えてみると、キャッシュレス決済の多くは「お金を払った記録」は残るが、「何を買ったか」の詳細は残らない。クレジットカードの明細には店名と金額しか出ない。Suicaの履歴も同様で、駅名は出るが、物販は店名程度の情報しかない。コンビニで何を買ったか、後から確認する術がないのだ。もちろん不要な場合もあるのだが、基本的にはオプトアウト方式で良さそうなもんである。

GoPayのように、決済と同時に詳細な記録がデジタルで残り、必要に応じて取り出せる。これこそがキャッシュレスの本来あるべき姿ではないか。紙のレシートをもらって財布に突っ込み、後で整理するという行為自体が、本来は不要になるべきものだ。

Suicaも、この辺りはまだまだ改善の余地がある。乗車履歴や物販履歴をもっと詳細に、もっと使いやすい形で提供できれば、ユーザー体験は大きく向上するはずだ。


がんばれSuicaペンギン

Suicaには、PayPayにはない固有の強みがある。20年以上かけて築いた交通インフラとの一体性。タッチするだけのシンプルさ。子供から高齢者まで安心して使える設計。これらを活かした「Suicaにしかできない進化」こそが、目指すべき方向ではないか。

交通系ICの全国統合、インバウンド対応の強化、決済コストの低減。これらの本質的な課題に正面から取り組むことが、結果的にSuicaの競争力を高めることになる。

teppayが単なるPayPayの劣化コピーで終わるのか、それともSuica復権の足がかりになるのか。それは今後1年間の開発と、サービスイン後の機能改善にかかっている。

突貫工事でシステムトラブルを起こさないこと。セキュリティを万全にすること。そして何より、ユーザーに「teppayを使いたい理由」を示すこと。課題は山積みだが、3500万人のユーザー基盤は確かに存在する。

QR対応はもちろん重要だ。しかし、Suicaにしかできない価値を見失わなければ、道は開けるはずだ。

動かすのは理念か仕組みか?

チームみらいが示す新しい政治の視点

「誰が、何を」より「仕組みをどうするか」

彼らの注目すべき点は、単に政策(ポリシー)を掲げるのではなく、仕組み(システム)そのものを見直そうとしているところにある。

チームみらい率いる安野さんには、投票こそできなかったものの、2024の
都知事選の出馬から注目している。

従来政治の限界:「誰が」「何を」

これまでの政治は、「誰がリーダーか」「どんなマニフェストを出すか」という文脈で語られてきた。
もちろん、それ自体が間違いではない。
政治は人が動かすものであり、理念や方針を示すことは不可欠だ。

だが、そもそもその政策を動かす仕組み自体が壊れていたら?

どれだけ優秀な人がいても、どんな立派な政策を掲げても、現実はなかなか動かない。
まるで、壊れた歯車にどんな新しい部品を入れても、結局噛み合わないように。

理念さえ正しければ、壊れた船でも目的地に辿り着くことができるかもしれない。

リーダが変われば、大きく変わることはもちろんある。

しかし、仕組みや構造というのは、それ以上に大きな力を持っていて、地球の重力のように、あらゆるものに作用している。

仕組みを見直す政治

チームみらいが面白いのは、「人」や「政策」を超えて、システムそのものに焦点を当てている点だ。

たとえば行政の透明化、意思決定プロセスの共有、テクノロジーを使った参加型ガバナンス――。
こうした「仕組みの設計」を先に考えることで、政治が個人の力量に依存しない状態を目指している。

これまでの政治が「船長」「目的地」を選ぶことに集中していたとすれば、
彼らは船そのものから見直しているようなものだ。

話は少し脱線するが、安野氏、議員定数の比例削減に反対

というニュースの見出しを見た時に、少し意外な印象をうけた。

それは、チームみらいがテクノロジーの力で無駄を減らすという理念とギャップを感じたからである。

実際には、定数を削減すると、小さな政党はあふれてしまうということなので、これもまた仕組みとして、定数削減が正しいとは言い切れないからである。

政治家の歳費に関しても同様のことが言えるだろう。

歳費を削れば日本が豊かになるかというとそうはならず、お金集めがうまい人が有利になるという意味で、金額だけでの正解はないのが実際である。

成長か衰退か -日本が取るべきテック産業集中戦略

日本は、遠くない未来人口は1億人を切り、1割は外国からの流入となる。
おそらくこれが、既定路線である。とても日本的な成り行きであり、当然の帰結かと思う。

少子高齢化はさらに進み、GDPは今より下がるかもしれない。しかし、本質的に重要なのは「国全体の数値」ではなく、「個人として豊かに生きられるかどうか」だ。国籍や人種に関係なく、人類がどのように生き、どんな役割を果たすべきかを考えることのほうが、長期的には意味がある。

とはいえ、テックサイドの人間として、今日本がとるべき方針として、言っておきたいことはある。

政治の中枢に、深い技術理解を持つ人材を配置し、日本のテック戦略を前進させるべき。

行政のDX化も必要だが、「既存の仕組みの改善」にとどまらず、

  • 日本がどの分野で戦略的に勝負するのか
  • 何に投資し、どう育てるのか
    を明確に決め、集中と選択は当然だが、「テック産業の育成視点」を持った政策を展開するべきだ。

これは、韓国が日本をGDPで追い抜いた事や、台湾が発展した理由を考えれば、自ずと見えてくる道筋だ。逆に言えば、そこに活路を見いださなければ、日本が再び成長軌道に乗る具体的な策はほとんど残されていない。

AIや半導体は、その中核を担う分野になるだろう。だが、これらを狙う国は多く、競争は激しい。
だからこそ、正しいタイミングで正しいステップを踏み、競合にどう勝つのかという勝算を描ける人物に、大きな権限を委ねることが不可欠だと考える。

PLAYLIST

最近聴いている曲のプレイリスト

Daniela Pes – “illa-sera”
Sardinianのアーティスト、Sardinianはイタリアの地中海に浮かぶ島との事。
イタリア語とも少し違うような気がする。(たぶんサルデーニャ語)なんと言ってるかはわからないが、AIで翻訳するとなんとなくわかる。


DE DE MOUSE – “Summer ever”
日本のアーティスト、夏っぽいサウンドって特に意識して聴くことはないのだが、
まあ夏かなあと思う一曲。

okgiorgio – “ok </3”
途中、雑音とメロディがぶつかり合いながらも調和している、不思議なサウンド。
ノスタルジックなのにスピード感があり、まるで雪の中を時速300kmで駆け抜ける特急列車のよう。
懐古主義的な感傷と、未来に突き進む疾走感が同居している。



Ji Phonk – “Skibidi Bop Bop Yes Yes Brazilian Phonk”
Skibidi Toilet甥っ子が少し前にハマっていて、影響をうけた。
ロシアのショートCGアニメらしいが、“トイレは落ち着く場所”というのは、
意外と万国共通の価値観かもしれない。
監視社会で、唯一落ち着くのがトイレ、そこに「Skibidi Toilet」が現れて邪魔するというのが
ロシアっぽいなという所で興味を持った。


Radiohead – “Everything In Its Right Place”
2000年リリースの懐かしいナンバー。
レディオヘッドがバンドとしての方向性を模索していた時期であり、混沌とした時代感が音に表れている。今聴いても深いなと思う。


椎名林檎 – 「いとをかし」
椎名林檎らしい歌詞。人生はどうせ美しい。

AI時代のコミュニケーション能力

少し前に、SNSでみかけて、たしかにと思った投稿、「AIを使うと能力が下がるというけれど自分はいくらか下がったとして、影響があるほど高知能じゃない」というもの。

たしかに、アスリートが、いくらか運動能力が低下してしまう事であれば、大会出場などにおいて、クリティカルな問題かと思う。しかし、普通の人が、自動車をよく使う事で、多少運動不足を招いたとて、自動車(自動車に限らず電車でも、自転車でもよいが)のある生活の方がはるかに便利だと思う。

Youtubeの登場によって、いくつかの分野では、動画による学習コンテンツが登場したことにより、素人なのに、プロ並みに技能をつけたという話がいくつかあるようだ。同様にAIの登場は、専用のトレーナーもしくは家庭教師のように、個人の学習にとことん付き合ってくれるので、従来の学習にくらべるとはるかに、効果的に学べる領域がふえてきていると思う。

ビジネスの領域においても、AIを使っている企業が、少人数で大きな生産性に繋がっていたら、それを導入しない企業より、日に日に差をつけられることにつながり、非導入企業はいくつかの分野では淘汰されていく可能性はある。

AI脅威論の中で、AIにできない事、AIに奪われない仕事に目を向けようというポジショントークを時々みかける。

たしかに人間にしかできないもの、という観点は、あり得ると思う。

しかし、そこに需要が集まるのであれば、今度は人間同士が競合する事になるので、それはそれで取り合いになると考えられる。

それでも、そこを狙いたいと考えるのであれば、それは否定はしないが、私自身はまずAIは、利用できる部分をできるだけ利用し、なにができるか、それをどのようにしたら効率よく使えるか、どのような場合にデメリットがあるか、しっかり把握しておくことの方が、優先順位は高いと考えている。

claudeを1年ほど使って最近思うのは、AIが相棒的な存在になりうるという点。

AIはClaudeだけではないが、Grokとか急に使うとなんかこいつキモいなと思う。そこまで自覚はないが、今後AIがもっと自分にフィットしていくようになると、人間のように親しみが湧いてきて、なんかの拍子に使えなくなると、喪失感につながりそうな気もしている。

AIのデザインとして、キャラクターと、ユーザーの記憶という部分はやや大きなテーマとなりえる。
例えば、AIBOは飼ったことないが、aiboの記憶はクラウドに保存されていて、引き継ぐ事ができるという。
LLMに関しても、この部分については、配慮が必要かもしれない。

長くなったがそろそろ本題に。

検索に関しても、効率よく検索するキーワード指定があるようにLLMを使うのにも、効率の良いプロンプトというのが存在する。

私の場合は、文章作成での用途は少なく、AIが、だいたい察してくれるので、細かな設定はほとんど不要。

文章作成であっても、適度に例文をもらえれば、参考にして使う方が、AIの文章に「のまれなくて」よいと思っている。

人間でも、アレクサでも、相手がわかりやすい質問を投げると言うのは、効率良い応対を受けるためには重要な点だと思う。

検索エンジンも、使い方次第で必要な情報を得られるまでに、多くの手数を必要とするので、どのLLMにどんな質問をするのかは、相手をある程度知る必要があるし、その点で、AI時代のコミュニケーション能力というのは少なからず必要な要素だと思う。

人類の進化と多様な知性の可能性

日本人口は2011年以降、徐々に減少の一途を辿っている。
予測では、2050年には1億人を割り込むとされる。


このような状況下で、政府は経済成長とGDP上昇による国の発展維持を掲げているが、これは現実的とは言い難い。
確かに、移民の受け入れ拡大や生産性向上という、掛け声は聞かれるものの、現実的には困難だろう。まあ移民に関しては受け入れの意思があろうがなかろうが、独立性が薄まれば、生存競争というなかで、消極的な受け入れにつながるだろうと考えている。

しかしより本質的な問題と考えるべきは、国家という名の布教活動が幸福の条件ではないのだから、個々の人生であったり、自らが支持する集団が、この生存競争の中で、持続しつつも、成長・繁栄にあたって必要なアップデートを実施する事こそが重要なのである。

イギリスのブレグジットにに見る民主主義の課題

現代の民主主義システムには、優先順位に基づいた段階的な改革を実施する仕組みが十分に備わっていない。

これはブレグジットにおいて顕著に表れた問題だが、同様の課題は世界各地で見られる。

皮肉なことに、一部の独裁的または中央集権的な統治体制の方が、より効率的な政策実行を実現している例も存在する。これは民主主義の不都合な真実と言えるかもしれない。今後は「すべての民意が等しく正しい」という幻想から脱却し、平等ではないが公平な社会、全員の合意ではなくとも、より正しい「We」の判断に重きを置く制度設計が求められる。


新たな知性の創造へ

日本の人口減少は、平和と豊かさがもたらした結果とも解釈できる。

仮に極めて厳しい生存環境下であれば、出生率は自然と上昇するだろう。

しかし、先進国で最も手厚い子育て支援を実施するフランスですら、出生率2.0には到達していない事実は、現代社会における自然な帰結とも言える。


このような状況下で、新たな発展の方向性として、AIの発展や、人間以外の知的生命体の創造という選択肢が浮上してくる。

例えば、知能を強化した類人猿や、高度な知性を持つ頭足類を宇宙開発のフロンティアとして活用するという構想は、技術的にも倫理的にも検討に値する可能性を秘めている(社会的な議論は必要だし、普通に炎上するだろうけど)。


結論として、人口減少への対応は、単なる人口維持や経済成長という従来の枠組みを超えて、新たな知性の創造と共生という、より広い視野で検討されるべき時期に来ているのではないだろうか。 

SNSに何を求めるか?

SNSの有害性が、顕著になってきた今、SNSとはどうあるべきか?改めて考える。

人によってSNSの活用目的はさまざまだが、大きく以下のように分けられる。
・既存の知り合いとのコミュニケーション
 これは、LINEでよいかなというところはある。
 もともとはFacbookももっとクローズドなSNSだったと思うが、利益の追求の過程で、
 中毒性のほうが優先された結果、今のSNSが成り立っている。


・ネットの知り合いとのコミュニケーション
 共通の関心を持つ人々とつながる場として、FacebookやInstagram、X(旧Twitter)などは便利である。
 一方で、攻撃的なコンテンツや、フェイクニュース、他人すぎる情報、などは、
 有害だったり、不要なものが多く含まれる。

情報

氾濫する情報の中で、欲しい情報というのは意外と手に入りそうでなかなか手に入らなかったりする。
そこで、その分野のスペシャリストだったり、それに関心を持っていそうな人をフォローすることで、情報を得られるというのが、SNSのメリットだと思う。

半径3kmのつながり

距離にあまり厳密な意味はないが、物理的に近かったり、距離は近くなくても、もう少し狭い範囲でのコミュニケーションというのもありだと思う。

完全にクローズドではないが、かといって誰でもOKというわけではなく、すくなくともそのコミュニティの目指しているものを理解し、発言できる、ちょっとした内輪。

村社会を抜け出して、お金による高度な分業を実行。それにより見ず知らずの人々は、集まって高度な機器や高層ビルを構築することに成功した。

その一方で、数百メートルの生活圏だったり、顔馴染みの人がいて、どこかしらのコミュニティに属していたり、そのようなニーズは今でも存在していると考える。

繋がりすぎた社会の問題点

社会が繋がりすぎることで、さまざまな摩擦や問題が生じている。

型にはまった統一性は窮屈で自由を奪うが、一方で、水と油のように性質が異なるものが同じ場所で快適に共存するためには、適切なゾーニングが必要だ。

油も石鹸の力を借りれば水と混ざっているように見えることがある。同様に、異なる価値観や文化を持つ個人同士でも、適切な調整や仕組みがあれば共存が可能だ。

究極的には、個々を石鹸膜のように保護しながら、社会に溶け込んでいるように見せる状態が理想だろう。しかし、モザイク国家のように、適度なゾーニングによる分断が、一定の規律や住みやすさを保つ上で必要になることもあるのかもしれない。

独裁、分断、孤立

現在世界でおきている現象や反応というのは、環境の変化によってもたらされた、反応であり、反応をそのまま見ているだけだと、おそらく解決にはならない。

必要なのは、自分たちには何が必要なのかをそれぞれ考えで、そのためには、繋がりとゾーニングを適切に実施していく事が重要なのだろう。

2025年予測

ここ数年、比較的予想がマンネリ化し、昨年は1年予測の投稿をしなかったが、今年はある意味予測しやすい部分もあったりで、また1年予想してみたいと思う。

多くの人が考えるように、トランプ大統領になれば、まあ以前と似たような状況は発生するだろう。米対中の貿易や関税に端を発する争いが発生するのはまず間違いない。

不確実性が増すという、見通しが予想できるのは、通常だとマイナス要素だが、トランプ大統領の不確実性に関しては、すでに世界も一回経験済みという点からすると、前回よりは少しましな気もしている。

ひとつ、良い期待としては、ウクライナの軍事侵略の停止に関して。
ウクライナのNATO入りをどう折り合いをつけられるかが、私も検討がつかないので、
難しいと思うが、中国の影響力も大きな要素の一つにもなってくるかと思う。

イーロンマスクは、AI、自動運転、火星(人工衛星、宇宙ステーション、月面含む)のところで、政府の後押しを獲得する方向へ動くだろうし、この辺の予想しやすい部分でいくつか分散投資するだけでも、利益につながるかもしれない。
(とはいえ投資は自己責任で)

災害としての予測は、やはり、水害をあげておきたい。
日本もそうだが、水害というのは気候変動というトレンドからして、回避するのはなかなか難しい。

課題

以前、バイオ燃料の需要拡大が、穀物の価格の上昇につながるという事例があった。
同様に、AI需要も、地政学リスク、気候変動といった要因も、穀物や、資源価格に対してややマイナスの影響を及ぼす可能性がある。

食料品や、資源の安定確保、および省エネに関する課題が依然と重要。
世界経済の低迷で、資源の需要が一時的に減る事はあっても、これら問題は一夜で解決できるものではないので、その辺りは引き続き注目分野だと考える。

穀物価格がここからさらに急騰するとは考えてはいないものの、高止まりの状態は続いても不思議はない。国内でも食品の価格の上昇はもう少し続くと思う。

食料品の安全性という観点では、「冷凍餃子中毒事件」という2008年におきた事件も教訓として記載しておきたい。

企業再編
昨年、自動車産業での動きがみられたように、人口減少が進む日本では、企業再編の必要性を迫れている企業が少なくない。具体的な企業名をあげることは難しいものの、家電、鉄道、交通インフラ系、金融業界などのジャンルにおいては、再編の可能性が大いにありそうだ。

インターネット
インターネットをとりまく環境に関する重要課題としては、なんといってもSNSとAIをあげておきたい。
mixi2が登場、SNSの国産回帰に期待したいというのもあるが、SNSの有害性については、多くの人が問題意識を持ち始めている。この課題に対しては、プラットフォーマーや政治の対応だけでなく、利用者自身が「あるべき姿」や「解決方法」を考えることが重要だと思う。

新たなモビリティ社会の構築に向けて
電気自動車が普及し始める中で、依然としてハイブリッド自動車やガソリン車が街を走るように、社会の仕組みが新たな形に移行するには時間がかかる場合がある。これらの過渡期をどのように設計し、乗り越えるかが重要だ。

最近、LUUPの地道なロビー活動が注目されている。
ただ新しいシェアサイクルや電動キックスケーターを普及させるだけでは、海外の失敗を繰り返す恐れがあるだろう。

これを防ぐには、単なるマーケット戦略にとどまらず、生活の改善や社会的なビジョンの共有、それに向けた明確なマイルストーンの設定が不可欠だ。

また、海外の失敗例を教訓とし、段階的な解決策を提案することが求められる。自動車や電車に加え、他のモビリティを活用しながら、安全で経済的、かつエネルギー効率の高いシステムを時間をかけて構築することが重要である。

半年後のAI(AIの未来予想 機能編)

AIの未来。未来と言っても、近い未来に登場するだろうAIについて。今回は機能的な部分を考えてみたいと思う。

マルチモーダルAI
既存のAIが、特定の領域で、特定の処理に特化して実行されてきたものが、複数のタイプのデーター、テキスト、画像、音声、動画などを活用できるようになってきている。

画像から、テキスト、テキストから画像というように、入力も出力も複数のタイプが出力できるようになり、人々のコミュニケーションのように、視覚もあれば、テキスト、音声もありになりつつある。

ChatGPTは、テキスト入力から注目されてきたが、AGIのように、汎用的なAIを目指しており、汎用的とはつまり、幅広い入出力だったり、状況に合わせた入出力を目指していることになる。

状況認識
画像認識の世界では、徐々に多くの物体認識ができるようになり、最初は80種類ぐらいの分類だったサンプルが、YOLO v2では9000種類、その後のYOLOの分類数は不明だが、GPT-4oなどに画像を投げると、背景や人の表情まで把握できる。つまり、種別の分類から進歩し、状況や状態など、細かい分類や分析がを行なえるようになっていると考えられる。

ローカル実行
現在LLMはクラウドを通じて回答が返ってくるものが一般になっているが、PCでも実行可能になってきている。
クラウドで実行されようが、ローカルで実行されようが、どっちも一緒な気がするが、閉じた場所で実行されるほうが、セキュリティやプライバシーの面で説明しやすかったりする。

企業内でも個人宅でも、AIエージェントが、状況を把握し、必要に応じてアラートをだしたり、状況を記録してくれる事になるだろう。

AI監視もしくはAIによる見守りが、有益なのは、防犯や事故だけではなく、人々が自己をもう少し客観的に認識する事にあると思う。

ニッチなAI
汎用的なAIが、幅広い分野で活躍する一方で、ニッチなタスクもやはりAIがこなす事になると思う。従来のAIがそれなりに大きな費用やコストをかけなければ、作れなかったものが、汎用的なAIにより、それが少ない労力で作れるとなれば、ニッチな分野のAIもまた進化することになるだろう。

AIエージェントを何で選ぶか?
ChatGPT、Claude、Gemini、など最新のLLMや、AIエージェントを何で選ぶか?価格、使いやすいさ、複数の機能。
知識量、回答の速さ、正確さ、カスタマイズ性、ソースのありかを示せるか。あるいは、公平性、性格みたいなものも、出てくるかもしれない。

情報収集AI
希望的観測で、今欲しいAIは、情報収集系AI。自分の代わりにSNSやニュースサイトの情報を探してくれて、尚且つ、すでに見たやつを省いたり、興味のある分野をもっと掘り下げて、尚且つ、アーカイブ化を手伝ってくれると良いのになあと思う。

さすがに、それが半年後に実現しているかどうかは不明だが、情報収集の自動化と、個人へのカスタマイズ(そのためにはいくつかの記憶的な要素が必要)、アーカイブのためのディスク領域(ローカルSSDなど)との連動が必要かなと思う。

AIの少し未来

AIの少し未来について書いてみたいと思う。

ベテラン社員AI

多くの企業でChatGPT活用が進められていると思うが、そんな中、これから多くの企業で活用されるであろうAIの使われ方のひとつは、会社のナレッジや、企業独自の情報をAIに蓄積するという考え方。

要は、その人に聞けばなんでも知っているという、ベテラン社員的なポジションで、社内のなんでもAI(現状はジャン別に構築)に蓄積して、社内の質問に答えてもらったり、ナレッジを蓄積して、社員の教育などに利用したり、サービスの向上につなげるといった活用方法。

使いこなさないと格差を招くが、AIはツールではない

AIは従来のテクノロジーに比べると、使いこなすハードルは非常に低く、その意味において強力なツールである。一方で、AIはただのツールではなく、生成など領域では、人(ヒト)以上にパワフルであり、逆に人間のほうが弱いツールなのかもしれない。

スマホは人々の暮らしを、豊かにしているはずだが、一方で依存が進むと、逆にスマホがマスターで、人はスレーブ的とも言えるかもしれない。

AIも同様の事がおこる可能性は高いと思う。

最終的な判断は人が行うというスタンスのAIではあるが、 AIのおすすめを受け入れるのが標準となってきたら、それは本当に人に決定権があると言えるのだろうか?

自由意志というのは、別の選択肢を日常的に行える状況で成立するものであり、「9割型言われるがまま」になるのであれば、それは本来人間が持つ自由とは異なるのではないだろうか。

とはいえ、得か損かで「損じゃないなら、別にいいでしょ」という判断もありかもしれない。

先に考えておくべきことはなにか?

ロボット三原則のように、AIが人に危害を与えないようにするとか、アルゴリズムの透明性を高めるとか、悪用をふせごうとか、あらかじめ必要な対策というのは、少なからず存在する。

なぜ先に考える必要があるかというと、それで人類は何度か失敗しているからである。

核兵器にしても、自動車にしても、SNSにしても、独裁国家にしても、まあ作る前にある程度対策しとけば、こうはならずに済んだんじゃないかというものは、それなりに多い。

その意味で、大きなAIが生まれる前に、設計思想がどうあるべきかというのは、やや重要な検討事項だと思う。

すくなからず、オレオレ詐欺の進化系みたいな詐欺にまともに対処できないようなSNSプラットフォーマーが作っているAIが、大きくなってもろくなことにはならないと思うので、誰がどんなAIを作ろうとしているかどうかは、それなりに関心をはらった方が賢明かと思う。