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カテゴリー: 未来

AIの少し未来

AIの少し未来について書いてみたいと思う。

ベテラン社員AI

多くの企業でChatGPT活用が進められていると思うが、そんな中、これから多くの企業で活用されるであろうAIの使われ方のひとつは、会社のナレッジや、企業独自の情報をAIに蓄積するという考え方。

要は、その人に聞けばなんでも知っているという、ベテラン社員的なポジションで、社内のなんでもAI(現状はジャン別に構築)に蓄積して、社内の質問に答えてもらったり、ナレッジを蓄積して、社員の教育などに利用したり、サービスの向上につなげるといった活用方法。

使いこなさないと格差を招くが、AIはツールではない

AIは従来のテクノロジーに比べると、使いこなすハードルは非常に低く、その意味において強力なツールである。一方で、AIはただのツールではなく、生成など領域では、人(ヒト)以上にパワフルであり、逆に人間のほうが弱いツールなのかもしれない。

スマホは人々の暮らしを、豊かにしているはずだが、一方で依存が進むと、逆にスマホがマスターで、人はスレーブ的とも言えるかもしれない。

AIも同様の事がおこる可能性は高いと思う。

最終的な判断は人が行うというスタンスのAIではあるが、 AIのおすすめを受け入れるのが標準となってきたら、それは本当に人に決定権があると言えるのだろうか?

自由意志というのは、別の選択肢を日常的に行える状況で成立するものであり、「9割型言われるがまま」になるのであれば、それは本来人間が持つ自由とは異なるのではないだろうか。

とはいえ、得か損かで「損じゃないなら、別にいいでしょ」という判断もありかもしれない。

先に考えておくべきことはなにか?

ロボット三原則のように、AIが人に危害を与えないようにするとか、アルゴリズムの透明性を高めるとか、悪用をふせごうとか、あらかじめ必要な対策というのは、少なからず存在する。

なぜ先に考える必要があるかというと、それで人類は何度か失敗しているからである。

核兵器にしても、自動車にしても、SNSにしても、独裁国家にしても、まあ作る前にある程度対策しとけば、こうはならずに済んだんじゃないかというものは、それなりに多い。

その意味で、大きなAIが生まれる前に、設計思想がどうあるべきかというのは、やや重要な検討事項だと思う。

すくなからず、オレオレ詐欺の進化系みたいな詐欺にまともに対処できないようなSNSプラットフォーマーが作っているAIが、大きくなってもろくなことにはならないと思うので、誰がどんなAIを作ろうとしているかどうかは、それなりに関心をはらった方が賢明かと思う。

予想できた未来、予想できなかった未来

未来予測は、過去の延長であり、願望でもある。

要素としては、ある程度予想できたものもあるし、予想できなかった事も多々ある。

今回は予想できなかった部分が、なぜ予測できなかったという所に焦点をあててみたい。

インターネット

すでに、生まれた時からインターネットがある人々も多いので、そのあたりの世代にとって、このテーマはあまりウケないかもしれないが、インターネットというものの登場により、個人の発言がいきなり、世界に波及する事が時々発生するようになったのは、我々の世代からすると、かなりインパクトのある変化だった。

この変化は、大きな潮流だが、中央集権的な世界で育った我々に、コンピューターシステムはそのような自立分散的なシステムになるとは考えてなかったし、それによる社会の変化を大きく見落としていたのは確かである。

また、現在、特定企業が開発するアルゴリズムが、世界中の人々の生活に、意識せず浸透し影響を及ぼしている。

インターネットが登場した当初は、このテクノロジーによる、民主化の可能性に感動を覚えた。しかし、近年、その民主化のパワーを得たという一方で、バカを黙らせる機能が、それ以上に重要である事がわかってきた。しかし、その重要な機能がいまだに、この社会に実装できていない。

Web3.0のように、インターネットは飛躍的に変化してきたように見えて、所詮それが追い求めているのは、、非中央集権的な仕組みだったり、双方向性など、Webが登場した時に注目されながらも、実現できなかった夢をいまだに追い続けているだけなのかもしれない。

脱昭和

昭和には良かった点もあるが、負の側面も少なからずあり、近年、社会で取り沙汰される問題は、昭和を彷彿させる問題が多い。

今後それらがなくなるのかというと、どうやったらなくなるのかはよくわからないが、昭和だとそれが常態化していたり、蓋されていたものが隠しきれなくなったという点では、多少の変化はあったと思う。

分岐点

インターネット、スマートフォン、ソーシャルメディア、COVID-19、気候変動の自覚、人工知能と機械学習の進化、遺伝子編集技術の進歩

これらのうち30年前の自分で、ある程度イメージできていたのは、コンピューターの進化、気候変動、人工知能の進化、遺伝子編集技術の進化だと思う。

逆に予測できなかったのは、「インターネット」「COVID-19」「ソーシャルメディア」であり、「人工知能」がこれから社会にどんな影響を及ぼすのかについてである。

予測が可能なものとは、およそ今あるテクノロジーが進化して、小型化するとか、過去にあった事件の再発などである。

特に形のないもの、社会的な影響などについては、急に変化するところもあれば、変わらないような所もある。

予測はなぜ必要か

予測が当たるかどうかはともかく、予測が必要なのは悪い予測を回避するためであり、良い予測は向かうべき方向を見定めるために重要だからである。

とはいえ、正確に予測できないものも多々ある。それらのイベント直面した時に、適切に対応する方法を自身や他者にいかに問うか。

それが、現在を生きる人々に与えられる課題なのかと思う。

日本終了

選挙が近づくと、●●じゃだめだ、日本が滅びる。

みたいな論調で、賛同を得ようとする輩がいる。

まあどうせ「●●じゃだめだ」と言っている時点で、今日の日本は理想から外れているという意味でいえば、とっくに終了、もしくは始まってもいないのだろう。

国というのは、領土を支配する権力と、国民によって成立している。
国民が0であれば国は成り立たないし、国土がなければいまのところ国とは認められないし、主権がないとそれもまた国ではない(たぶん)。

移民

うちは弥生時代から代々、今の場所に住んでますなんて人も、中にはいるかもしれないが、国内で言えば、多くの人が、移動して住居を構えている。

それによって地域経済が活性化することを是とするのであれば、それは是だし、変化は非であるとするならば、非なんだろう。

もっとも、日本人の一般的感覚での、移民というのは、海外から入ってきた移住者を表す。
その感覚で言うならば、アメリカなんかは、最初からそこに住んでいた血筋の人ではないので、全員移民みたいな感じだが、当人からしてみると、空いてる土地を開墾して建国したみたいな感じなんだろう。

昔から住んでいた人が、ここはわしらのもんだと主張するのは、既得権益の保護としては、重要な役割を持っていると思う。その土地で生まれて日本国籍をもつが、片方の親が外国人だったら、どうだろうか?それは、ハーフではあるが、日本人であり、移民ではない。

つまり、その土地に住んでいたものと、交配すれば、そこからは移民じゃなくなるという意味において、まあまあ雑なカテゴライズなんだなと思う。

どこで生まれたかによって、人間の価値が変わるとは思わないが、どのような環境で育ったかが違いをもたらすことが多々ある。

国ガチャというものがあるとするならば、国を選択できるチャンスというのは、それなりに尊いものだと思う。

経済と文化

多くの人々にとって、豊かな生活を送るためには、経済に活力があることは重要だと思う。
これから日本経済は、人口の減少とともに衰えていくだろう。それを緩やかにするためには、移民の受け入れも、一つの選択肢だと思う。

重要なのは、移民を受けれるかどうかということではなく、移民を受け入れることによる弊害をいかに最小化するか、移民を受け入れることで、得られる利益をどのように最大化するかという事だと思う。

個人的には、文化至上主義ではないので、なんでもかんでも「それは文化だから保護すべき」だとは考えておらず、不要な習慣はさっさと廃止したほうが良いと思っている。

正しい終活

今目の前に存在する複数の選択肢。それらはトロッコ問題のように、どれにも問題があり、これぞ正解というのは存在しない。

選択肢というのは複数あっても、意図してスイッチを切り替えるというのは実際には難しい事であり、結局はなにもしないというのが、往々にある。

日本が終了するとして、どのように終了するのがよいだろうか。

一つ目として、経済発展は、重要なので、東京や政令指定都市は特に移民を積極的に受け入れるべきだと思う。

その一方で、地方を支える余力は失われるだろうから、取捨選択が必要だと思う。

地方創生という言葉があるが、消滅せざるを得ない地域は、消滅を許容し、できる限り自然に返した方が良いと思う。

都市の効率化と地方の再生

日本全体がシュリンクしたとしても、そこまで悲観する必要はない。

むしろ、都市部の効率化をすすめ、地方(過疎地)は、より自然豊かな地方として、自然を再生することが重要だと思う。

もっとも国全体が成長すれば、ピラミッドの上部は自然と成長するだろう。

しかし結局ピラミッドの底部というのは、底部のままであり、ピラミッドがいきなりひっくり返ることはないのであり、それは重力として受け止めるしかないのである。

おそらくこれから地方の役割は、AGIやロボットなどが暮らす場所として発展していくと思う。

ロボットは、食料を必要としないが、エネルギーと空間は少なからず必要である。そうなると、地方にも拠点が必要になってくる。

彼らは、地方でマイニングのごとく、さまざまな計算処理を行うことで、適度に稼ぎを行い、それによって彼らの経済を発展させていくことになると思っている。

2023年予測

比較的無難な予測を行ったこともあり、去年の予測に関しては、だいたい予想の範疇だったと思う。

少し想定外だったのが、ここ日本においては、マスクレスの社会が訪れず、なぜか感染者数だけ増える、一方で無意味な対策(過剰なマスクやバスの先頭席禁止)を未だに続けているという現実を目の当たりにした事である。

これは、現状維持バイアスの打破が、いかに難しいかを明らかにしている事案かと思う。
政府の対策もあるが、本質的には、国民性による部分かと思う。

コロナ

昨年以上に、死者は増えるかもしれないし、結局なんとか第○波というのが年2、3回きてその一つは変異株やなんだって事で猛威を振るうことになるんでしょ?というのがここ3年の知見である。

冒頭に挙げたように、重要なのは、2019年と、現在を比較し、それが例え同じ数字でも、捉え方や、対策の仕方は、従来との状況の違いを加味して対策すべきだって事である。

水害

こればっかりは気象次第であるので、どこでどんな水害が起きるかというのは推測しにくいが、近年のトレンドとして、これは外せないだろう。

過去のインフラが老朽化していく中で、それぞれの自治体、あるいは政府がどこを重点的に整備をすすめ、逆にどこをあきらめるかを選択する必要がある。

新たな戦争と減戦

戦争というのは、多くがいきなり始まるものではなく、プーチンであれ、習近平、金正恩それぞれの、支持体制や武器の保有があってこそ成り立つものだと実感する。

そういう意味で、戦闘能力や十分な抑止力を持たない我が国は、次なる戦争も止めることはできないだろう。しかし、重要なのは、単に戦争のトリガーだけに注目するのではなく、その背景を理解し、戦争を遅らせるための仕組みを設けることが直近の課題だと思う。

ここでも重要となるのは、現状維持バイアスとどう対峙するかという課題がある。基本的に民衆というのは、実体験や、原体験に左右されやすい。

それが故、誤りも含めて繰り返されてしまうのが常である。

例えば、軍事大国と貿易をするのであれば、相手国の政治体制や、武器の種類を考慮し、国交や関税を変える事も必要なのかと思う。簡単に言うなら、核の保有数(廃棄量)や兵器の使用量に応じて関税を下げれば、核を減らすインセンティブになるのではないか。という事である。

経済動向

とりあえず、コロナ、戦争、という資源高要素は引き続き続くのだろうが、各国それなりに対応をすすめている。恐慌リスクに関しては、なんとか乗り越えて欲しいものである。

日本に関しては、ようやく、黒田総裁の任期切れとほぼ同じくして、方針転換が進めば、あるべき姿に進路は向かうと思う。

もう少し円高にもどしたところで、物価高も一段落すれば、国内の経済としては久々に良い一年となるだろう。

不動産・銀行業界の動向は興味深い。

民主主義

通信技術や、AI技術の進歩により、EBPMや民意をさくっと集計できるような技術は、とっくにできているのだが、なかなか活用されてしない。原因としては、マイナンバーカードのように法的な拘束力のあるIDツールが普及してないのがひとつにある。

SNS投票のどこが民主的じゃ無いかといえば、ダブルカウントだらけであること。共同体の内か外の区別がつかない(どこの民がわからない)事である。

Twitterでも、mixiでもよいのだろうが、SNS的なプラットフォームに、マイナンバーカード的な本人証明機能を取り入れることがまずは必要だと思う。

イーロンマスクに今年期待したいのは、既存のSNS投票に糞食らえといって、新しいシステムや、共同体を提案してもらいたいものである。

人類はオワコン

現在人類はオワコンとなりつつあるという仮説が存在する。
私もその仮説がそこまで遠くない未来、(といっても数百年単位)現実となる可能性が、そこそこあると思っている。

コロナの増減でも分かったように、人口の増減というのは、実効再生産数のように、増えるか減るかなのだが、環境によっても変わるし、環境がほぼ同じでも急に増えたり減ったりするもんなんだなというのを体験した。

人口爆発というのは、比較的過酷な生存環境におかれた部族が繁栄するために、短いサイクルでの出産を繰り返してきたが、医療の発達などで、死亡リスクが減少する事で、急に人口が増える事でおきる現象だと思う。

一方で、比較的豊さが安定した社会では、コミュニティを守るために、出産する必要性が薄れるため、人口は急に増えたりしない。

北欧などは、福祉、子育ての環境が充実しているとかいっても、スウェーデンの出生率は1.7だという。つまり、人類はオワコンというわけである。

なぜ人はコミュニティを作るのか

蟻で例えるとわかりやすいが、人類が自分一人だけたら、自分が生きることが考えればよいのだが、自分以外にも人がいると、コミュニティを存続させるという、本能のようなものが働くのだろう。

人類を滅ぼすのは何か

人類は、戦争、災害、パンデミックなど様々な危機により、なんどか人口の減少を経験してきた。これからも、気候変動や、戦争、パンデミックなどを経験するだろうが、それでも全滅するわけではない。単にその数が段階的に減るだけである。

人類はなぜこれ以上増えないのか。

政治的には、出生率を2にしようなどという考えがあるが、それでは人口は増えない。
出生率を4にすれば一気に増えると思うが、ふつうに考えて、それはないと思う。

四人以上産んだら、生涯免税されるとかなら、少しは出生率がアップするだろうが、それでも日本だったら、出生率3にもならないだろう。

(あくまで出生率を今の状態にしているのは、文化や社会であり、それが大きく変化すれば出生率3はありえるが、そうなりうるストーリーが、今の所想像できないというだけの話でもある。)

もし、あるとするならば、将来、バイオテクノロジーが発達し、リアルの出産が不要になったり、社会の意識改革により、出産、子育てにおける個人への負荷が軽減された時ではないだろうか。

私はSFが好きなので、いずれそういう時が来ると思っている。

とはいえ、これらの意識変革を受け入れるのは、現在の人類にはやや難しいと考えている。

となると、現在の型式の人類ではなく、なにか人工的に変化を遂げた人類の発展ということになるだろうから、それは定義の問題であり、旧タイプがどうこういっても意味がない。

まあともかく、宇宙に生活圏を拡大し、大きく人口を増やすのは、従来型の人類じゃなくて新人類て事である。

重要なのはオワコンの人類が、自らがオワコンだってことを意識して、もうすこしばかり、まともな経済活動に注力することに期待したい。

ファシズムとの戦い方

ウクライナ侵攻での教訓は、核をふくむ大量破壊兵器を持ち、且つ権力構造に問題がある国とは貿易してはならないという事である。

まずこれが第一。その上で、そのような国からの侵略を守るためには、防衛力も必要だ。

しかし、理想の防衛力と、実際の防衛力は異なる。

理想はともかく実際の防衛力が不十分なら、サイバー攻撃、情報戦、先制攻撃、など防衛以外の準備も必要だ。自分は武器を持たなければ戦争が起きないと言うのはただの妄想であり、目を覚ますためには、一度ウクライナでも見てきた方がよいだろう。十分な武器がなくとも侵略はおきるのである。

もう少し、平和的な方法としては、二国間で条約を結んでおく事だと思う。

理由はともあれ相手国が侵攻してきたら、その決定を支持した首脳は、人権を国内外問わず在任中無効化されるとか。核の使用をちらつかせたら、相手国企業の財産を全て没収できる条約にするとか。まあともかく、フェアじゃない事態に、平時のルールで戦おうとすると、多くの人命が失われる。

内政干渉

利害を共にする貿易国だったり同盟国が侵略された場合、内政干渉といってそれを阻止しようとするのは、おかしな話である。

そんな民事不介入的な方針で、市民の安全が確保されるわけではないことは、家庭のようにミクロ的に考えても分かりきった話である。

外野は口を出すなというのは、双方が主張するならともかく、片方が助けを求めるのであれば、それに応じるべきだろう。平時でさえ海外の協力関係により、生活を維持しているのに、有事には海外の助けは不要ですなんて事は考えにくいのではないだろうか。

国という単位を持ち出すと、いきなり国民みんな家族みたいな扱いになりがちだが、いやそうだったら同じ国民同士は商売しないで、無償で協力したらいいだろという話だったり、50歩譲っって利益の再分配である税金に対して、増税反対するのなんなのって話である。

国というのは、大きめの利益の共有団体である。だからと言って、思想的にだいぶ異なる、近所の赤の他人が家族と同等というと違う。むしろ、薄く広く様々な利益を提供してくれている、海外の人々も、要素としては、重要な仲間だと捉えるほうが自然だと思う。

もし身近なほうが、重要だと言うなら、まずは家族やその友人、近所の人の手助けをぜひ実践してほしい所である。ざっと身の周り100人ぐらいでも、それなりに困っている人がいるはずである。

脱独裁政権の長期化

過去の事例から考え、政権が安定している事自体は問題ない。

しかし独裁党首が長期間居座る権力構造というのは止めなければならない。

これは民主主義であろうがなかろうが、一部は国民の責任だと考える、そして、他国もそれに対してなんらかのペナルティを設けるべきだろう。

2022年予測

SDGs

温暖化対策とか、エコロジーとか、昔から言われているけど、形だけのスローガン止まりという部分も多々あった。ただある程度のムーブメントとなれば、そこにメーカーが参戦することで、さらに大きなうねりとなる可能性はある。

資本主義と理想主義の合体は、それなりに大きな変化ももたらすが、一方で戦いとしての敗者も生み出す事になる。

給与や生産性の部分で、世界経済からは取り残されている日本だが、今後のトレンドを読み取って、変化に対応すれば、チャンスはあると思う。

氷河期

たまに長期トレンドの気候変動と、人間の活動由来の気候変動をごっちゃに解釈している人がいるが、それは、今日スーパーで、白菜が100円だったらから、物価は上がってないよと言うのと大して変わらない。

急速な変化が、農作物にグローバルに与える影響を及ぼし、貧困や、戦争、生態系の破壊をもたらすという話であって、今年は暑いとか、昨日はすごく寒かったとかそいう話ではないのである。

アフターコロナ

国内でもまた徐々に感染者が増えつつあり、多かれ少なかれ今年も何回か波が来るのだろう。

とはいえ今年は、公共の場でもマスクなしで過ごせるような月があると良いと思う。

希望的な観測ではあるが、世界的な感染が、昨年の半分以下に抑えられれば、海外旅行もいくらか可能な範囲になってくるのかと思っている。

今はまだ希望的な観測に過ぎないが、今から、マスクが不要になった時に社会がどうなっているかを考えておく事も重要だと思う。

飲食店の業態転換はもとより、コロナの変化を受けて新しい取り組みを始めている企業は多い。

これらの準備が、世の中に変化をもたらすのは、人々が再びマスクなしで生活するようになってから一気に拡大すると思っている。

アフターコロナでの人出を単純に期待しているだけの企業と、コロナによってもたらされたユーザーの新たなニーズを理解し、今準備をすすめている企業とでは、大きな差が現れるだろう。

アフターコロナとの副作用として、やはりおかしな人が出てきて暴走するというのは、去年のトレンドの延長としてありそうだ。

家にこもって、妄想が膨らんで、現実がよく把握できていない人々の存在には、多少なり配慮が必要になるだろう。

脱中国とチャイナリスクの拡大

民主主義に、中国の牙城を崩す力はないと理解したなら、残された選択は、中国化か、脱中国という二択になる。中国の覇権主義などを考えると、交渉にはあまり意味がないだろう。

協力できる国々と守りを固める以外に、脱中国による、影響を最小化する方法はないだろう。

有名人の自殺

芸能人の自殺を防ぐには、そもそも耐性が低そうな人は、出演などから外しておくのが良いのか、もう少し見守りシステム的な部分を充実させるのと、どっちがよいのだろうか。

SNSやネットの書き込みによる、誹謗中傷はたしかに、ネット側の仕組みである程度抑制できると思うが、どの程度の有効性があるかはわからない。

それならば、そろそろ前者のアプローチについても、もう少し進めるべき時に来ているのではないだろうか。

自殺要素というのは特殊な体質ではなく、多くの人が、きっかけあれば、その罠に陥ってしまう可能性はある。とはいえ多くの場合は、本人のパーソナリティだったり、自殺に至るまでに、いくつかのステップがあると思う。

そうならば、テクノロジーによる介入も一つの策かもしれない。

首都直下地震

個人的に、東海地震や、首都直下地震に関しては、特に関心を持っているが、

10/7の 千葉県北西部の地震は、参考になりそうな要素が多く含まれていると思った。

・火災

・水道設備の破損

・交通インフラ

・電気

・インターネット

・エレベータの閉じ込め

「東日本大震災」でも同様の問題は起きたが、都市部での災害や被害がどの程度で、被災後のインフラ復旧がどの程度で進むかは、いまいち予測できない部分もある。

その点で言うと、「水道管被害」は、これまで以上に対策を進めた方が良いと思う。

個人レベルで言えば、飲水と、生活水のストックという事になるだろうが、マンションや、公共設備においても、その辺りを強化したほうが良いと思った。

インターネットに関しても、価格的に今のプロバイダーを使っているが、もう少し信頼性の高そうな回線に乗り換えたいと思ってる。

火災に関しては、地震被害の半分ぐらいは、火災被害と言われるように、火災対策はともかく重要である。

地震の防災ガイドを見ればたいがい書いてあるが、地震の後の通電火災というのも非常に大きなウェイトを占める問題である。

今回の地震では、人の交通はダメージを受けたが、物流はダメージを受けていない。しかし、首都直下大地震ではそこがストップする事になる。

高層マンション

高層マンションで生活している人々は、地震でストップした場合は、郊外のホテルや、別荘に避難できるぐらいの準備はしていると思う。ただ、間違って高層階に住んでしまっている人は、とりあえずエレベーターが2週間止まっても、水・トイレ無し、電気なしで高層階サバイバルできるぐらいの用意をしておいたほうが良いだろう。

テレワーク

コロナの影響ですでに、テレワークは進んでいるが、企業はこれを、災害発生時にも速やかに切り替えられるような準備が大事だと思った。

もっとも被災した場合は、それどころではないが、影響を受けなかった、人々や企業も、インフラ復旧に向けた活動を優先すべきである。

特に、被災した地域の、物流や、交通インフラへの負荷はできるだけ下げる必要があるだろう。その点で、災害発生時には、機動的にテレワークに切り替える体制とBCPが重要だと思った。

資本主義はオワコンか

今、世界は物流こそ健在だが、コロナにより人の往来が急速に減少したコロナワールドの渦中にある。
中国の検査体制、封じ込め対策は、情報の信憑性に乏しい故、あまり参考にならない。それでも、コロナというゲームチェンジにおいて、従来の資本主義、民主主義ではない何かが存在感をましていることは確かだと思う。

アフターGAFA

「After GAFA 分散化する世界の未来地図」小林 弘人 (著)
を読んで、インターネットの過去の希望と、信頼を失った現在のインターネットについて。これからインターネットは、性善説より、信頼性を取り戻す事を優先するべきだと思った。

Twitterのトランプのアカウント凍結に関しても、現在多くのソーシャルメディアがかかえるフェイクニュースを含む、信頼性の乏しい情報の拡散、情報操作、分断を煽るメッセージの拡散を抑止するための一貫として考えるならば、企業が考えるガイドラインに沿ってそれを適切に運用するのは正しい方向性だと思う。

企業・国家・個人・共同体

国家という枠組みは、軍事的な境界線という意味では、運命をともにするので、有事には存在感を増す。一方、平時であれば、人やものが自由に行き来するので、必ずしも国境の枠組みに縛られる必要はない。

そうなると、国を越えた企業、国と国との共同体といった連携で、より大きな連携を築いた方が、ヒトカネモノを効率的に共有できるだろう。

なぜアメリカには大企業が生まれやすく、日本では生まれにくいのだろうか。
それは規模の原理である。
もしアメリカの人口が日本の半分、国土も日本の半分、標準語が独自の言語だったらどうだろうか。
アメリカンドリームは、おそらくかなり規模の小さいものになっていただろう。

企業と国家、人を幸せにするのはどっちか

国家は、税金(所得税、住民税)を払っているか否かにかかわらず、国民は国民であるのに対し、企業にとってのユーザは原則的にはお金を払った相手に、サービスを提供する(客=お金を払った人)という違いは大きいと思う。

国は富の再分配を行う力と役目を持っているが、多くの場合は、高所得者からより多くの富を回収し、再分配する。逆に企業は、ユーザーが払った金額に応じてサービスを提供する仕組みとなっている。

その点で考えると、「企業は高所得者」や、「多くの財産を持ちそれを使う人」にとって国と企業で比べるなら「企業」のほうが、リターンの多い存在だと言えるだろう。

多数決と分断

民主的な組織は、多くを多数決に依存している。多数決は圧倒的多数できまれば、多くの人が満足するに違いない。一方、半数で割れた場合は、どっちに転んでも半数近くが自分の希望とは異なる判断を下される事になる。しかも多数決で勝ったほうが、必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。となると僅差で負けて苦汁を飲まされた人々は、圧倒的多数で負けて、そうなるより、納得感も得られにくいと考えられる。

アメリカの大統領戦とか見てて思うのは、そんなにもめて半数に割れるんだったら、二人とも大統領やって、2つの政府にそれぞれ、予算を配分して政策も半々にするとか、あるいは州ごとに担当大統領を割り当てたらいいんじゃないかと思ったりする。

多数決共同体がダメなところは、能力の合計/人数=多数決共同体の能力 という図式にあると思う。
より高い能力を出したいのであれば、高い能力を合計して、平均化(意見の調整)をはからなければ、民主的(平均の能力)という呪いから脱することはできない。

ハイブリッド政府

私が提案する政府の構成は、資本主義と、公共主義の二階建て構造。
上の階は大企業が力を示す一方で、政府の介入は少なめの小さな政府。そっちを選ぶにはそれなりの納税もしくは、献身を社会に提供できる人である必要もあるが、こちらのプランを選んだ人の公共サービスをうけられる。
下の階は大きな政府。比較的国民の生活に政府があれこれ口を出すが、セーフティーネット的な要素に力を入れている政府。

どっちを選ぶかは、年単位で個人で選択ができるが、それにより選挙権や、税金も異なる。
上の階は誰でも無条件に選べるわけではなく、ある程度の要件を満たす必要がある。

イメージとしてなんとなく近いのは、富裕層なら外国人も受け入れるというシンガポールみたいな感じ。必ずしも資産のみで差をつけるという趣旨のものではなく、社会的規範だったり、個人の社会的貢献を得点に含めた参加要件とする事で、義務や責任とのトレードオフを含んだものにしたほうが良いと思う。

性善説の敗北を認めよう

とどのつまり、私のこの提案「ハイブリッド政府」というのは、性善説の敗北に他ならない。
我々は、富の再分配、知の再分配など公平や平等を理想を目指してきたが、今のホモサピエンスはただの夢物語。まだ早すぎるという話である。

それなりに高い知能、知識、正義でもって、正しい判断ができ、それなりに努力を行い、まあまあ運もよい人々がいくらか多めに自由を受け取る。

別に下の階の人々を大きな政府でもって搾取管理しようとか、格差を広げようという事ではなく、基本的には現在と大きな違いはない。1か0の世界に2を作ろうというぐらいの、ごく些細な調整案である。

2021年予測

2021年の振り返りとしては、図らずもキャッシュレスが一気に増えたのが良かった。
オンライン配信の拡充も良い流れだと思う。

では早速予測2021

コロナ
伝染病が流行るという話は昔からあったが、まさかこういう感じのウイルスが世界を席巻するとは思いもしなかった。

ワクチンで直ちに収束するというものでもなさそうなので、あと1、2年は存在感を示し続けるのだろう。

コロナの影響もさることながら、近年の伝染病で、鳥インフルエンザなどにより、家畜が大量処分される事がある。

これはなんとかならないものかと思う。アイデアとしては完全隔離とか、接触トレースとかで殺処分を最低限に抑えるとか。

アフターコロナ
もし世界がコロナの影響を受け続けるとしたら、海外旅行、カラオケ、フェスなどは、プレミアム化するのかもしれない。

豪雨、山火事
これは近年の気象的トレンドとして、引き続き注目しておいた方がよいだろう。

テロ、紛争
世界のパワーバランスが変化する中、テロ紛争の火種を減らすのはなかなか難しい。
高度なトラッキングと、流動性を作り出す事が必要だと思う。