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カテゴリー: 日本

消費税10%

消費税増税から一ヶ月がたつ。数年たてば、また13%とか言い出しかねないので、メモしておこうと思う。

法人税

法人税を下げて、消費税から徴収する。
これは、グローバルな経済を念頭におくなら、妥当な判断だと思う。

低減税率

始まる前からわかっていたが、低減税率は、わかりにくいし、面倒すぎだし、直ちに廃止するべきだと思う。
直ちに廃止が難しければ、対象品目から、食品を減らすだけでも実施すべきだと思う。
ベーシックインカム的に考えるなら、その代わりに、国民全員にお米券でも配ったら良いと思う。

消費税の使い道

国の借金が増えちゃったので、増税してそれを賄いましょう。なので、消費税増税は仕方がないんです。と国民は説得されたはずだが、現状、消費税の用途をみる限りそんな感じではない。
ま、よく言われるように、日本の国債発行による借金は、大きな部分が自国民と連動しているのでバランスさえ、とれていれば、大きな問題ではない。

消費税は下げられる?

国の財源は消費税だけではないし、さらに言えば税金だけでもない。
消費税を減らして、別を増やすでもいいし、税金を減らして、その分公共サービスを減らしてもよいのであって、消費税を減らす事を目的化すれば、別に難しいことではない。
とはいえ、それが、国民に広く良い影響を及ぼすかといえば、全くそんな事はない。

消費税を下げるなんていう、キーワードで国民を釣って、カモリストを作る、国損政治団体の片棒をかつぐような、政治団体にはくれぐれも気をつけなければならない。

さらなる税率アップを阻止しよう

人口が減少する中、従来の人口規模での社会インフラを維持しようとすると、社会負担が、急速に増大することになる。
国にあれこれ面倒をみてもらおうとするのではなく、自治体規模で、なにを重視するか考えて、必要な公共設備を、選択することが大事だと思う。

そのためには、優秀な市長、県知事を選ぶか、市民のレベルアップが必要である。

平成を振り返る

平成が終わろとしている中、個人的に平成を振り返る。

1989年
国内人口:1.231億人
中国人口:11億人
世界人口51.857億人
日本のGDP:421兆円

2018年
国内人口1.277億人
中国人口:15億人
世界人口74.547億人
日本のGDP:557兆円

日本のGDPは2割ほど増えているが、人口は横ばい。
一方、世界の人口は1.2倍に増えた。
この30年間で世界は少しずつ変化、改善してきた。
テクノロジーに関しては、コンピューター分野での成長が著しく、コンピューターとそれを結ぶネットワークが世界全体を覆っている。

インターネット
多少記憶が曖昧だが、日本だと、Windows 95あたりから、徐々に広まってきた印象がある。
未来予測として、空飛ぶ自動車や、テレビ電話はだいぶ前からイメージできても、インターネットは予測できなかった
という点でも、語りつがれるべきポイントだと思う。

ベルリンの壁崩壊(1991)
世の中の壁が徐々に取り壊されていく。そういう世界を、予感させる出来事だった。

バブル経済崩壊
バブルの崩壊というのは、後になってみないとわからないものだが、経済というのは、実態と、そうではない部分がある。
経済や資本主義などについて、考える上でも、外せない出来事だったと思う。

オウム 地下鉄サリン事件 (1995)
世界は世紀末を迎えようとしていた。
当時の日本にはテロという言葉がなかったので、当時はテロとは言われていないが、今で言えばテロである。
いまでも通り魔的な殺人事件は存在するが、複数人が金目当てではなく、社会への復讐としてテロを企て、
実行した事件として考えると、日本でもそういうことが起きるのかという驚きの一方で、なぜ日本で起きたのか、
という視点も必要だと思う。

アメリカ同時多発テロ(2001)
戦争からテロへ。今でも紛争は存在するが、国同士の武力衝突はリスクや損失が大きすぎる。
とはいえ、世界の不均衡は解消されてはいない。

愛知万博開催
子供のころ、つくば万博に行きたかったけど、行けなかったという思いがあり、
愛知万博でようやく夢が実現したというのが個人的な感想であった。
箱モノ 批判もあるなかでの開催ではあったが、万博というのは少年少女に未来の夢を提示するという意味では重要な企画だと思う。

2025年の大阪・関西万博では、どのような展示されるのかはわからないが、
「大阪万博 1970」の残像を残しつつも、2025年における「未来の夢」を提示し、
人類の未来について、多くの人が考えるものになれば良いと思う。

東日本大震災(2011)
文明と災害という意味で、東日本大震災の被害は印象深かった。

福島第一原子力発電所事故(2011)
東日本大震災が、津波をもたらし、その後原発の電力供給に問題があり、メルトダウンを起こした。
理論上制御可能なテクノロジーであっても、現実的には人間の制御ではコントロールできないという史実として記憶にとどめておく。

アラブの春(2010-2012)
アラブにおける大規模反政府デモであったが、結局これが失敗したのは、政府を転覆させても、代替となる組織を立ち上げられなかったことと
言われている。
デモクラシー的なムーブメントも、代替案を出してそれを実行する能力がないと、なにも変わらないという教訓なのかもしれない。

あとがき
ふりかえってみると、平成30年間で日本は、課題先進国に向かって着実に進んで来たように見える。
世界も少しずつ良くなってはいるが、気象変動による災害がやや現実のものとなりつつある。
世界人口の中心はアジアに移動し、経済も欧米から、アジアに拡大していいる。
理想と現実は、やや異なる部分もあるが、かといって荒廃とした世界が延々と広がっているわけでもない。

我々は正しいと思った事を、可能な限り、可能な範囲で続けるしかできないし、そうあるべきなんだと思う。

2019年予測

すでに始まってしまったが、2019年についての予測。

キャッシュレス
やや目標的観測にはなるが、昨年末に続き、キャッシュレス化は一気に増えると思う。
現金主義も根強いのでどこまで進むかは不明だが、ここ数年でのキャッシュレス化の速度はあまりにゆっくりなので、今後1、2年は勝負だと思う。

ちなみに、暗号資産こと仮想通貨は、もう一段階縮小するだろう。
マイニングも失敗し、現状のハッキング耐性を見る限り、実用レベルには一歩及ばず、という事になりそうだ。
理論上のセキュリティが確保できていても、運用レベルでそれを確保するのが難しければ、実用レベルとは言えない。
匿名性はひとまず犠牲にして、利便性と、悪用防止対策を強化したものが現れたら、再度利用を検討しても
よいかなと思っている。

経済・政治
政治的に考えると、国内外の要素からして、今年はかなり、リスクの高い一年となりそうだ。
猪突猛進した場合は、確変でうまくいく場合と、大損をするパターンに分かれそうだ。
チャンスがきたら、すぐさま乗れる用意しておくと良いと思う。
ただし、2段階構えぐらいの慎重なスタンスでチャンスには挑みたい。

人工知能
すでにブームはピークを超えているが、今後人工知能は、より身近なものとなり、多くの人が仕事やプライベートで、利用する事になる。
少し先になるだろうが、いくつもの人工知能ブランドが登場し、人々はそれぞれを好みで組み合わせて利用することになる。
Siri、Alexa、Cortanaなどのように、実際には複数の技術やサービスを介して提供されるが、名前がつけられ、人々はそれらを、機能や性格にあわせて使い分けることになる。

個人的には、自分に代わって24時間何かを探索したり、集めた情報を自分用にアレンジしたり、自分が集めた情報を、ビッグデータの一部として提供する事で、社会の効率化を高めるような、使い方に特に関心がある。

災害
昨年は、大雨だったり、火山による津波(インドネシア)など、少し珍しい分類の災害を知る機会が多かった。
気象変動の増加度合いが、ついに一般の人々にも実感できるレベルに近づきつつある。
今年は例年に比べて災害が目立つ年ではないと思っているが、そんな時だからこそ備えは重要である。

TPP、iwc脱退、イギリスのEU離脱
アメリカ抜きのTPP発効と、IWC脱退。
これが5年後10年後どのような意味をもつかはわからない。
ただこれらに共通して言えるのは、共同体の再構築の始まりだという事である。
もはや最強ではなくなったアメリカを横目に、中国は成長のスピードを落としつつも、さらなる力の拡大を目論んでいる。
そんな中、日本としては、アジアの安定性を保つべく、アジア諸国とのバランスの取れた連携がますます重要となる。
ひきつづき、EU、アメリカとの連携も重要だと思う。

ポピュリズム
情報がSNSで拡散する現在、ポピュリズムは力を持っているが、ポピュリズムの中にそれを管理する機能はなく、時々暴走する。
ビッグデータや、AIなどを使ってそれらを管理するというのが当面の課題となっていくだろう。

平成ノスタルジー

平成が終わろうとしている。
史実的な振り返りは別の機会にするとして、個人的に平成ノスタルジーというと、椎名林檎を彷彿させるワードである。

少し以前、近年の椎名林檎は右傾化が気持ち悪いという記事を読んで、それって右傾化なのか?と、モヤっとしたのでそれについて考えてみた。

 

NIPPON

右傾化イメージに影響を与えた要因の一つがこの曲だと思う。
まずこの曲は”NHKのサッカー関連番組のテーマ曲として書き下ろされた楽曲”である。
歌詞の言葉尻を捉えて、それを右だの左だのいいだしたら、キリがないと思うので、一旦それはおいておく。

そもそもオリンピックやW杯は、なぜ多くの人が自国の選手を応援するのだろう? 自国の選手が、金メダルをとったら自分も頑張れば同様の能力があると思うからだろうか。 多分違う。 自国の選手が金メダルととると、自分の収益がアップするからだろうか。 多分ない。 仲間意識と考えるとどうだろう。 これは結構近いと思う。 じゃあ同じ国民というのは何仲間なのだろうか?

 

国籍仲間
まあこれは定義そのものなので、当然同じである。

 

同郷仲間
これは時々違うだろうが、似たような生活環境で育ってきたという事は多々あるだろう。

 

宗教
これは、まちまちだが、自分の血液型が言えれば、あなたは日本人である可能性が高い。

 

納税地仲間
国籍=納税地とは限らないが、自国の選手は自国に納税しているというケースはまあまあ多いと思う。
戦争で国同士が国力を競う時代は一旦終了した。
核兵器やその他の大量破壊兵器により、利益より被害が大きくなると考えらるようになったためである。

そしてスポーツという分野で国別対抗で競う事により、ある程度の国力を世界に示すというのがオリンピックなのだと思う。

だから、自国がたくさんメダルをもらえるという事は、まあまあその国が潤っている事を示している。よって自国の選手がメダルを多くとると嬉しいのだ。

これを事を声にしていうと、おそらく偏屈なやつだなと言われるだろう。だが国別対抗なのだから、これは少なからずあるだろう。

 

遺伝子
遺伝子の類似を、我々の本能がどこまで追求しているのかどうか、私は知らない。 しかし多くの人種問題や、動物の行動を鑑みると、視覚的類似は、仲間意識としての影響を与えているに違いない。

 

物語の共有
これはいい表現だと思う。我々はメディアを通じ、選手の情報やエピソードなどを見聞きする。 知っている人を応援する。ごく単純な行動だが、これ以外の理由や動機に比べれば、純粋な気がする。

おそらく他国の選手にも様々な過去だったり、国の歴史背景が存在し、それを知れば応援したくなる選手も多くいるだろう。 しかし多くの場合は、自国の選手をメインに物語が共有される。 だから、多くの人が自国の選手を応援する。

 

戦争

こんどは話を戦争にうつす。 太平洋戦争 なぜ我が日本は戦わなければならなかったのだろうか。 大雑把言えば、国境、仲間を守ったり増やすのに戦争というシステムが世界展開されていて、 日本もそれに参加したという事なんだろう。

 

右と左

右と左というのは実はあまり意味がない、赤組と、白組のように2つのグループにきれいに別れているものでもなければ、○○主義のように、定義された思想でもない。
ただ強いていうと、右と左という仮想敵を作る事で、お互いの戦いを業務として成立させるだけの存在である。

よく政党に対してあれは右だ、左だという場合がある。そういうレッテル貼りは、国益か、国損かを示しているに過ぎない。

しかも、多くの場合その定義があやふやのまま使用される故、使う側も、受け取る側も右派、左派ときいて、それを正確に理解することが難しい用語である。だから右派、左派なんて言葉はつかわず、国益を重視する思想か、国益を重視しない思想・団体と区別したほうが良いと思う。

 

日本的アイデンティティと戦争

日本的アイデンティティと、戦争との間には特に関連性はないと思う。
それでも、昭和の歴史や文化の中で、いくつかの日本的なものは、昭和の戦争の記憶とと関連づけられて封印されている。

 

椎名林檎の右傾化

私が思うに、椎名林檎の右傾化は、右か左かという意味のない線引きにより生まれた副産物なのだと思う。

要は、右とか左とかに過敏になりすぎて、単純に昭和的、日本的なものがやりだまにあげられた結果なのかと思う。

 

昭和が終わり、この平成もまもなく終わりを迎えようとしている。

次の時代に昭和の何を残し、平成の何を残すべきか。

単に日本的な物を排除する事では、ピースフルな社会は実現しない。

 

 

 

人生100年時代

最近時々耳にする、人生100年。
既に日本人口の1.6% が90歳以上、別の言い方をすると60人に1人が90歳以上ということである。
平均寿命は87.26歳、男性が81.09歳と、全員がそこまで生きるわけではないが、ともかく寿命は伸びている。
社会保障の問題もあるが、人生70歳ぐらいで考えている人は、今一度人生設計を見直してみたほうが良いと思う。
年金も貯金も必要だと思うが、数十年のスパンで考えると、あまりあてにはならない。
まず、年金制度で思うのは、次の世代に負担を回すのではなく、同世代間で負担すれば良いと思う。
金銭だけでなく、社会的にも、同年代での連携を増やして、仕事はしなくても、最低限の生活が継続できるように、協力すべきだと思う。
それができず、いつまで生きるかわからないから、必要以上に貯蓄が必要になったり、活動が制限されることになる。

日本

日本はとても良い国である。
人口1.2億、GDP5兆ドル。
海に囲まれた島国で、経済が発展している。
たしかにカロリーベースの食料自給率は39%と低めだが、野菜などは、
国産が多く流通している。
比較的教育水準も高く、大学進学率を50%を超えるなどと、そこそこの教育水準だと思う。
日本に生まれていれば、そこそこの生活と教育が受けられ、食べ物も比較的美味しい。
ざっくり言えばそんな国だ。
では、日本は世界一住みやすいところかというとそうでもない。
地震、津波、台風などのように、天災による被害は時々発生する。
年間3万人が自殺、年間3千人が自動車事故で死ぬ。
とまあ、世界的に見れば、そこそこ良い国ではあるけれど、国まるごとユートピアではない。
日本人にとって、日本が住みやすいのは、比較的格差が小さく、均質だからであり、
普通であってもそこそこ居心地が良い社会なんだと思う。
海外に行って、「あ、こういう点は日本より住みやすいな」と思う事がある。
もちろんどこに住むかとか、その環境によるが、いろんな事が大雑把に成り立っているという点である。
日本だと、些細な事でクレームになるような事が、海外だと普通だったりする。
もちろんこのオーバースペック気味な、サービスが日本全土に行き渡っているのが、
良い点でもあるが、それらは自らを疲弊させている原因にもなっている。
一方で、外国の人が日本に来て、住みやすいと思うのは、どんなところだろうか。
治安が良く、食べ物がそこそこ美味しく、衛生的、物価もそここそ安く、自然環境豊かな場所もある。
ただしダイバーシティーという観点で言うと、日本は比較的均質で、異質なものに対する距離感という点で、
馴染めない部分もあるかと思う。
日本という国が今後も住みやすい国であるためには、
海外にいって、現状の日本の社会に求めらているサービスのプライオリティを考え直し、
無駄な部分を削ることを知ることだと思う。
もちろん、医療、教育、経済、福祉など、より進めていかなければいけないものも多数あるが、
不要な品質要求を減らすというのが、人口減少の中での住みやすい社会を維持するための
ポイントだと思う。

子育て支援・教育

現在の日本の政治で、もっとも残念な部分をあげると、
子育て支援と・教育 について。
景気が悪いのは、世界経済とつながっているからであり、総合的な観点でみたら、しかたがない。
むしろ、世界全体の平等性を考えるのであれば、日本はもっと貧しい国に援助すべきで、ただし、それを行えば日本の財政はもっと苦しくなる。
その一方で、日本の少子高齢化の進行に伴い、高齢者が国家の財政を消費し、子供には支援や教育が行き届かないという問題が深刻化している。子育てがしにくいとなると、少子化はさらに進み、少子高齢化はますますすすむ。
最近、高齢者が加害者となる自動車事故が、テレビなどでよく取り上げられ社会問題になっているが、
自主返納という、あまり効果が期待できない対策に留まっているのは、やはり高齢者優遇と言われても
いたしかたがない。
たしかに、高齢化社会対策も重要だが、それを緩和させるためにも、子育て支援と教育は重要だし、なによりも、国家の継続と繁栄と為には子育て支援と教育は重要だと思う。

目指すべき日本の未来

一般的にGDPを成長させるためには、
・人口を増やす
・労働生産性を向上させる
のどちらかが必要になる。
人口に関しては、「移民を増やす」「出産率を高める」のどちらかとなる。
アメリカは移民による人口増
中国は国内の人口増
それぞれ今後もGDPの増加が期待出来る
一方、日本では、どちらもできていない。
結論を先に急ぐと、
・移民をある程度受け入れ、優秀な海外人材を増やすこと
・産みやすい、育てやすい環境を改善して出生率を増やすこと
がまず必要だと思う。
労働生産性については、
・遅れている行政のIT化、
・企業の労働生産性の向上
-無駄の多い日本式の働き方の改善
 -性能向上、やサービス向上のための労働のうち費用対効果の悪い部分を省力化
・人工知能、ロボットの導入
といったことで改善、もしくは向上させる必要がある。
もっとも、そのほか、老若男女問わず、もっと働けば、現在の人口でも理屈の上では
GDPを増やせる。
しかしそれらは、移民活用問題、出生率の改善がそれぞれ進められていない現状の
GDP落ち込みをゆるめるぐらいにしかならないだろう。
だから日本としてやるべきことは、上記の事となる。
国にとっての富は、GDPなのだから、GDPを向上させるのは当然なのだが、
国民にとっては、必ずしも、GDPの向上は必須ではない。
一人当たりGDPが向上できれば、国全体の富は減少しても個人の生活水準はしばらく維持できる。
しかしそうはいっても、子供、若者の少ない社会というのは、新しいものをどんどん生み出す力が
衰えていく。
理屈上は出生率の低下の中でも一人当たりGDPを増やす手段もあるけれど、やはり注力すべき点は、
出生率の改善と、教育の向上だと思う。
現在は世界の仕組みが変わろうとしている。
GDPを改善することは別に、日本がめざすべき事。
それは、働かなくても生活出来る仕組み作りと、普通の生活をするのに必要なお金をもっと少なくする事。
簡単に言うと、所得を増やそうというのではなく、生活に必要なコストを減らそうという発想である。
最低賃金がアップしても雇用がなければ、収入が得られないし、収入がなければ生活ができない。
現在多くの仕事が徐々に効率化、ロボット化が進み、徐々に減っていく。
今ある仕事の多くが何十年か後にはなくなっていると言われる。
要は従来の生存に必要な仕事はどんどん機械が代替する事で、なくなっており、
その分、それ以外の部分での仕事が増えているのであり、単純に仕事を増やすという観点とは別に
金儲けをしなくても、豊かな生活をおくれる社会へと、仕組みをかえていく必要がある。
具体的にどうすればいいかというと、
社会が必要最低限のインフラを無償、もしくは定額制で提供すれば良い。
社会の中には個人も含まれており、もっと地域で衣食住のシェアリングを行えば良いのかと思う。

日本のサービス業は労働生産が低い

よく言われる話に、日本のサービス業は労働生産性が低いというものがある。
日本のサービス業、そこそこITとかロボットは導入されているし、生産性が低いと言われてもいまひとつしっくり来ないので、いくらか調べつつ掘り下げてみる。
一人当たりの労働生産性は、
付加価値÷平均従業員数
というわけだが、付加価値とはなにかを掘り下げると、
売上高 − 外部購入価値
ということなのだが、この「付加価値」の部分から給料が支払われる。
要は仕事に対して生み出されるお金が少ないということになるが、
はたして原因はなんだろう?。
一つ確かなのは、お金(報酬)に結びつかない仕事が多いということだ。
商品で考えるとわかりやすいが、1時間かけて作った料理と、3時間かけて作った料理。
準備に10分かかったものと、準備に1日かかったもの。
回転率の高いものと低いもの。
手間をかけたり、丁寧に作ることで、多くの場合品質が向上するだろうが、それをその分、価格に転嫁できるかというとなかなかそうもいかない。
わかりやすいのが、サービス業。
近年日本は、サービス業のウエイトが大きいが増えている一方で、サービス業の賃金は安いので、
労働生産性が低くなっている。
つまり労働生産性というのは、生み出されるサービスが高くても、支払われる価格が安ければ、
下がってしまうのである。
なぜ品質やサービスが良くても、支払われる価格が下がってしまうのだろうか?
今度は、製品をイメージして考えてみる。
日本の場合は、より高機能、高付加価値という方向で商品の向上が図られる場合が多いが、
これだと、工数も拡大するし、製造コストも増加してしまう。
それに打ち勝つためには、次のような発想が必要だ。
・ほぼ同じ品質で製造コストを半分にする。
・ほぼ同じ品質で工数を半分にする。
・不要な機能を削って価格を減らす。
・広告宣伝費を削減して同じぐらい売れるようにする。
・供給が過剰な分野からは撤退する
・石橋を叩き過ぎない(過度なチェックを省く)
日本は、引き算の製品づくりが苦手と言われる。
これからはサービス業においても、引き算のサービス提供、サービスをコンパクトにするという考え方も必要なんじゃやないかと思う。
そこで、日本の企業ににありがちな、風習をあげてみたい。
【残業】
疲れている状態での仕事は生産性が低い
日本の企業は残業時間が長いと言われている
無駄な残業が労働生産性を下げている。
【年功序列、終身雇用 】
どちらも生産性とは異なる基準軸でのシステムであるがゆえ、生産性は低下する。
ある程度転職しやすい環境を作り、生産性に応じた給与体系が必要。
【スペック過剰】
日本のサービス全体として、価格に対してのクオリティは高い水準にある。
一方で、多くの場合はクオリティを向上させるために、原価や、時間をより多く必要とし、高品質では
あるが、収益率が悪いという結果につながっている。
ただし、これはサービス提供側の問題なのかというと、かならずしもそうではなく、消費者の要求レベルが高すぎるというのももう一つの問題なのかと思う。
【需要不足・供給過剰】
都会の店舗(飲食店や、デパートなど)をみると、人通りは多いが、店内はガラ空きなんて事がよくある。
人口の増減が横ばいで需要は増えてないが、供給は継続されている。
企業はあの手この手で需要を喚起しようとするが、結局のところみんなお腹いっぱい。
まとめると、日本の企業が生産性を上げるために
企業レベルとしては、ロボットやITによる、作業の省力化や、効率化、教育の充実が必要だが、
消費者側も、品質に直接影響が少ない部分での過剰サービスを求めないか、その分の費用を払う必要がある。
さらにマクロ的な観点からすると、需要に対する供給自体を減らす必要があり、それを調整するのは政府の役目なのかもしれない。
ただ現実問題、政府にその調節能力があるかというと微妙だし、資本主義の競争原理にまかせておけば、いずれ調整されるかというと、それも疑問だ。
最近のニュースをみていると、競争のあるところには不正ありという感じで、別に競争は悪い事ではないが、カードが限られている世界で、延々とババ抜きを繰り返すようなゼロサムゲームにどれだけ意味があるかはわからない。
そもそも労働生産性の低さは誰にとって損なのかというと、労働者にとって損なのだが、
その損が、時間をかけて、生活者にも回ってくるわけで、これは社会全体で是正していく必要があると思う。

政府は営利団体か? それとも慈善団体か?

政府とは何かと考えるにあたって、
国とは何か
という以前のエントリーで書いたように、国というのは、「利害関係の共有グループ」だと思う。
利害関係を共有するのが国だが、その国を統治しているのは、政府である。
じゃあ政府は国民の利害を守るための組織かというと少し違う。
確かに民主主義であれば、ある程度はそうだろう。国は国民の財産を守るために存在という事になっている、
ただ実際には、幾つかのグループが政治活動に力を入れ、それぞれのグループの利益を優位に保つために
活動をしており、だからこそ様々な政党が存在する。
では、政府は慈善団体なのだろうか?
働かず、遊んでばかりいて、法律も守らない、そんな堕落した国民を支援するために政府は存在するわけではない。
むしろ、政府は国民にはどんどん働いて稼いでもらい、世界におけるポジションとしてもより有利な地位にあることが、望ましい。
国家間における立場というのは、国の総生産が大きく関与するわけで、人口というものが及ぼす影響は大きい。
例えば、もし日本の人口が5億もあれば、当面は中国のGDPを上まっていた事だろう。
要は、政府というのは国家の繁栄が重要なのであって、そのためには善良、勤勉、出産や教育に熱心な国民を第一にする必要があり、俺は特に働かず、なんとなくのんびり暮らしてたいんだという国民がいても、それは多様性という枠組みの中で存在していても良いが、第一ではない。という状態が健全な政府の在り方だと思う。
今日は憲法の日ということで憲法を考える。
個人的には改憲派である。
もっとも改憲の目的は、国がより正しく在るために変更すべきなのであって、まずはどこが正しくなくて、
どこが正しいかという認識が重要だと思う。
9条は宝だという人がいるが、個人的にはそうは思っていない。
ママがダメだっていったから、僕は戦争には参加しません。
という国があって、10年後に、近くの国が攻めてきて多数の人が死にました。
じゃそこでもう一度聞きます、それって宝ですか?
といった時に、宝ですとはならないだろう。むしろ、それを良しとしてきた人が罪人として
バッシングさえる事になるだろう。
要は、9条という安全神話は、いくらかの人々の中に安心をもたらしているが、
それは所詮安全神話であって、その時が来ればもろくも崩れ去る。危険神話なのかもしれない。
憲法に必要なのは、安全神話ではなく、国民が清く正しく在るための
フレームワークとして、正しく機能するものでなければならないと思う。