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カテゴリー: 人工知能・ロボット

AIの少し未来

AIの少し未来について書いてみたいと思う。

ベテラン社員AI

多くの企業でChatGPT活用が進められていると思うが、そんな中、これから多くの企業で活用されるであろうAIの使われ方のひとつは、会社のナレッジや、企業独自の情報をAIに蓄積するという考え方。

要は、その人に聞けばなんでも知っているという、ベテラン社員的なポジションで、社内のなんでもAI(現状はジャン別に構築)に蓄積して、社内の質問に答えてもらったり、ナレッジを蓄積して、社員の教育などに利用したり、サービスの向上につなげるといった活用方法。

使いこなさないと格差を招くが、AIはツールではない

AIは従来のテクノロジーに比べると、使いこなすハードルは非常に低く、その意味において強力なツールである。一方で、AIはただのツールではなく、生成など領域では、人(ヒト)以上にパワフルであり、逆に人間のほうが弱いツールなのかもしれない。

スマホは人々の暮らしを、豊かにしているはずだが、一方で依存が進むと、逆にスマホがマスターで、人はスレーブ的とも言えるかもしれない。

AIも同様の事がおこる可能性は高いと思う。

最終的な判断は人が行うというスタンスのAIではあるが、 AIのおすすめを受け入れるのが標準となってきたら、それは本当に人に決定権があると言えるのだろうか?

自由意志というのは、別の選択肢を日常的に行える状況で成立するものであり、「9割型言われるがまま」になるのであれば、それは本来人間が持つ自由とは異なるのではないだろうか。

とはいえ、得か損かで「損じゃないなら、別にいいでしょ」という判断もありかもしれない。

先に考えておくべきことはなにか?

ロボット三原則のように、AIが人に危害を与えないようにするとか、アルゴリズムの透明性を高めるとか、悪用をふせごうとか、あらかじめ必要な対策というのは、少なからず存在する。

なぜ先に考える必要があるかというと、それで人類は何度か失敗しているからである。

核兵器にしても、自動車にしても、SNSにしても、独裁国家にしても、まあ作る前にある程度対策しとけば、こうはならずに済んだんじゃないかというものは、それなりに多い。

その意味で、大きなAIが生まれる前に、設計思想がどうあるべきかというのは、やや重要な検討事項だと思う。

すくなからず、オレオレ詐欺の進化系みたいな詐欺にまともに対処できないようなSNSプラットフォーマーが作っているAIが、大きくなってもろくなことにはならないと思うので、誰がどんなAIを作ろうとしているかどうかは、それなりに関心をはらった方が賢明かと思う。

ロボット・人工知能

現在、ロボット関連で特に関心をもっているテーマは
・生活を豊かにするためのテクノロジー
・人類の進化として、人間自身のスペック(仕様)はどうあるべきか?
・人工知能、ハイブリッド人間、アンドロイド、拡張アニマルなど多様な知的存在が
登場し、そこで利害が対立した場合、どのように戦争を回避するか。
である。

1つめは普通なので解説は飛ばして
人間の仕様を今後どうするかというのは、大きな課題である。
・映画「チャッピー」のように機械に乗り換える
・映画 MATRIXのように、仮想空間で生活する
・現状維持
・ロボコップのように、脳以外を一部機械化する
・遺伝子操作などで、別の形態にする
これ以外にもいくつかの選択肢があり得る。

ほぼ確実なのは、ロボットは形が自由、ロボットの身体性はかなり多様な形に進化するだろうという事。
現在の住環境が維持されていれば、従来型の、人間を含めた動植物も生存し続けるだろうが、環境が変われば、我々も仕様変更を迫られることになる。
例えば月で生活するとしたら、防護服を着て、基地の外で活動するのは不便じゃないだろうか。
せめて遠隔操作でVR的に活動するか、頭脳主体の身体+ロボットで、サロゲート的に
生活したほうが、何かと都合が良いのではないか。
続いて、それぞれの種族の対立について考える。
ロボットが自我を持った時、人類のどのような点が不都合だろうか。
ロボットがどのような欲求や目的を持つかによるだろう。
自我を持つのはロボットだけとは限らない、既存の動物も遺伝子操作で脳を人間に近づければ、言語を習得し、人権のようなものを主張したり、国家を宣言するかもしれない。
自分の能力(CPU)を高めることに貪欲な人工知能であれば、自分自身の頭脳を改良し、それらを動かすための膨大な電力が必要になり、人々をその改良のために働かせようとする一方で、無駄な電力の使用を行う人々を排除しようとするかもしれない。
人間と同じような生活をしたいと思うロボットであれば、多くのロボット映画のように、
人権のようなものを獲得するために、対立する可能性がある。
目的の違うロボットが生まれる事で、ロボット同士にも利害関係が発生し対立する事もあり得る。

で、人間はロボットとどう戦うか。
おそらく味方になるロボットもいれば、敵になる人間もいるだろう。
やがて知的生命体にもカンブリア紀が訪れ、多種多様な、知的生命と、知的機械が登場する。
基本的には、ダイバーシティを尊重するが、利害のズレによっては、対立はさけて通れない。

ということで、まとめ
我々は新たなカンブリア紀を生き残るために、新たな進化が必要で、おそらく姿形も変更を迫られるだろう。
生物と、知的存在のダイバーシティを尊重しつつも、利害が対立した際、我々の種と哲学を
持続的に継続、繁栄できるようにする必要がある。
そのためには、良き人間と、良きロボットとは何かを問い続ける必要がある。