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日: 2008年1月4日

新潟県中越沖地震

先日たまたま募金したので、一言。
新潟県中越沖地震は2004年新潟県中越地震から3年経つ2007に起こった地震である。
2度も被災した事はかわいそうだが、一度被災したのにも関わらず、補強などを行わず被害を受けたケースに関しては、どうなのかと思う部分はある。
あと柏崎刈羽原子力発電所の反対に関しても、原発の恩恵を受けている状態での反対には同意できない。
もし本当に反対なら、自家発電を導入するとか、代替エネルギーの利用に取り組んだ上で主張すべきだと思う。
被災者を自業自得だというつもりは無いが、自分の安全問題を他人にまかせっぱなしだと、いざ被害にあったときは自己責任と言われかねない。
個人のレベルではどうしようもないレベルの問題は社会や国家での助けが必要だが、個人で対応できる部分は個人で備えておくべきである。

–2016 追記–
東日本大震災前、それでも原発を日本で管理可能なテクノロジーだと思っていた。
今考えると、この時点で、もう少し原発の対策を見直していれば、福島原発の事故は大惨事には至らなかった可能性もあったかもしれない。
すでにその方向で進んでいるとはおもうが、原発の安全対策の見直しはもちろん、代替エネルギーの利用に国家も個人も動いていく必要があると思う。
当エントリーの趣旨としては、地震対策への備えを社会も個人も怠らないようにという教訓だが、
日時が不確定な事象に対する対策というのは、なかなか難しいという面もある。
とはいえ、地震とともに形成された日本列島に住むからには、相応の地震準備があってしかるべきだと思う。

バイオエタノール

最近、食べ物を燃料として使うのは違和感を感じるという意見を聞くが、私はむしろ「食べ物を燃料として使うのは違和感を感じる」という意見に違和感を感じる。
例えば、我々は毎日飲み水を風呂や、トイレなどで使用している。
木や植物にしたってそうである。人間が直接木を丸かじりする事はないにしても、それを餌とする虫や、動物、その他の食物連鎖を通して、生態系が成り立っているが、ヒトはそれを燃やして燃料にしたり、更地にしてビルを建設してきた。
石油にしたって、直接口に入れないにしても、現代の生命を支えてている要素である。
食べ物を燃料に使うのはもったいないと考えるなら、むしろこれまでのエネルギーをためらいもなく使用してきた事が誤りだったことに気がつくべきだと思う。
それともう一つ、我慢しないエコロジー、楽してエコロジーというのがあるが、それもちょっと違うと思う。
確かに、我慢するばっかりのエコロジーだと全体に広まるのは困難だし、そういうのも必要だと思う。
これはダイエットと同じで、我慢しないダイエット、楽してダイエットというのが間違っているというのと同じである。
もしかしたら、この先の未来、そんなダイエットが実現するかもしれない。
でも今はまだそうじゃないというのは、周りを見渡せばわかる事だ。
・環境を破壊しない生活習慣を身につける事
・環境を破壊した分を補う事
が、個人と社会に求められている。