国とは何かふと考える時がある
私が思うには利害関係の共有グループのひとつである。
国として必要な要素、領土、国民、主権。
日本の場合、日本列島という地理的に連なった土地の中で主に同様の人種が生活して繁栄してきたので、
(近隣諸国に近い部分を除けば)視覚的にまあこの辺が日本かなと分かる。
しかし、陸続きの国のなると話はもう少し複雑だ。
国という単位である程度共通の宗教や言語を持っている場合もあれば、同じ民族や同じ言語を話す民族でも、分断されている国も存在する。複数の人種や宗教の人々が生活している国も多い。同じ民族でも戦争などにより、複数の国に分断されている国もある。
人種、言語、宗教が様々で、どこをその国の領域とするかだが。
主権が及ぶ範囲というのが一つのポイントなのかと思う。
日本で生活していると、国というのは、
ある面、税金を払うことで、軍事、医療、教育、などのサービスを提供する公共組織のようなもののように思える。
国とはどうあるべきなのだろう?
またはどんなサービスを目指すべきなのか?
ひとつは民主的であること。
これは大多数の人が支持できるものかと思う。
ただしそれを少し掘り下げ、国とは誰の為にあるべきなのか?
という事を考えると、これは人により意見が分かれる。
世の中に、善人と悪人がいるとして、両方を含めて民主的であるべきなのか?
それとも善人を中心として民主的であるべきか?
はたまたIQが高い人と低い人がいて、IQが高い人の意見を優先すべきだろうか?
あるいは身体的能力が高い遺伝子を優先すべきだろうか?
次に、大きな政府と小さな政府、どちらを目指すべきかというと、
これも人により考えが異なるだろう。
大きな政府は、政府が市場に介入し、国民を管理する。
小さな政府は、民間でできること。個人でできる事は個人の自己責任でやれというものだ。
私は元々はリベラル&小さな政府派なので、国の介入は最小限で、あとは自由に。を理想と考える。
ただこれには問題がある。
国民がちゃんと自己管理できない状況で、「はい、あとは自由にやってくださいね」という事にすると、そういう環境で力を発揮できる人がいる一方で、伸びない人もいるし、敗者も生まれる。
例をあげるなら、駄目人間をちゃんと受け入れる場所を社会として用意していないと、ダークサイドの組織が拡大してしまうという事である。
それをカバーする為には、社会全体で、保障やサービスを行う必要がある。
そこで、単純にリベラル&小さな政府だけではなく、その下に広く薄い社会主義の土台が必要だと思う。
そういう意味で言うと、昔、菅直人が言っていた
「幸福は個々人の価値観によって異なり、これは権力が関与するべきではない。
人の幸福とかに政治が関与するのは最低限でよい」 という「最小不幸社会」も、
表現がしっくりこないだけで実は同じなのかもしれない。
少しまたもどって、国とは何か。
映画ジャッキー・コーガンでブラッドピットが「アメリカは国家ではない、ビジネスだ」
という場面がある。
悪く言えばならず者が幅をきかせるビジネス主義の国だが
良く言えば、ビジネスが自由にできる社会とも言える。
例えば日本株式会社を考える。
とてもどん欲な組織 日本株式会社は、利益の最大化を中心に運営される。
世界中の資源を支配しようと企み、国民には重い税金、学習、労働、出産、移民の勧誘など様々な義務が課せられる。
主体は国民ではなく、国家という組織の繁栄という考えである。
さらに日本の繁栄ということで考えると、これまた人により意見が分かれる。
過去の日本(江戸、明治、昭和など)を残そうという人もいれば、自分が生まれた時点での環境に執着する人もいれば、進化にこそ意味があると考える人もいる。
で私の考えは国というのはその土地に歴史的に発生した利害関係の共有グループで、
以前書いた「個人と共同体」のエントリーように、個人は、国という所属に必ずしも固執せず、
思想的な共同体を選択するべきなんだと思う。
その上で、国というのは社会主義的なファンデーションをベースとしその上に資本主義的な枠組みを
提供するべきなんだと思う。
礫
通勤電車の場合に顕著なのだが、電車は時刻や車両によってお客の層や、混雑具合などに傾向が存在する。
私の場合、だいたいいつも同じ車両に乗るのだが、たまに別の車両に変えると、1、2車両違うだけなのにやはり混雑してたりする。
車両の選択は単に、乗り継ぎのしやすさや、混雑の具合だけでなく、他に乗っている人の属性傾向もいくらか考慮して選ぶ事にしている。
もう少し属性の違いがわかりやすいのは、路線の違いだと思う。
若者の多い路線とか、お年寄りの多い路線とがビジネスマンの多い路線とか、路線により傾向がある。
どの車両に乗るかという選択は小さな違いではあるが、積み重なると時に意味を持つのではないだろうか。
例えばよっぱらいとか、マナーの悪そうな集団とか、浮浪者ぽい人とかが同じ車両にいると、
不快な思いをする確率が高いので、別車両に移動しておいた方が安全だと思う。
話はそれるが、変な人はなぜ見た目で変とわかるのかふと考えた。
まずは外見。服装、髪型、容姿、姿勢。浮浪者っぽい人はこれだけでも十分分かる。
次に。動き、しゃべり方、いる場所、臭い。これも見分ける要因である。
分かりやすそうな例として浮浪者っぽい人を取り上げたが、これに限らず、
人々は自分の属性を服装や動きで表現しているし、逆に属性や服装は当人の行動に影響を受けていると思う。
人は他人に影響を及ぼし、他人の影響を受ける存在として、何処に位置し、どう影響を受けるか。
そして自分はどのような影響を及ぼしているのか、ふと考える。
そういえば、少し前の土曜日。
始発近い電車に乗る事があった。プラットフォームには朝帰りの人々が多くいた。
ホームの隅に座っている人、頭を垂れている人、膝をかかえて寝ている人、その光景は駅のプラットフォームにあふれるゾンビ、といった光景でなんとなく面白かった。
・テレビ
大半は録画で、別のテレビの内蔵HDDから、DLNAを使って、別のテレビで見る事が多い。
HDD内蔵テレビが良いのは、リモコンひとつで録画番組を操作できる事である。
DLNAでの配信はうまく接続できない時や、録画した番組の最後が尻切れになったりと
いまいちな部分はあるのだが、冬はこたつでテレビがいい。
・冷蔵庫
省エネ的な観点だともっと大きな冷蔵庫にしたほうがよいらしい。
ただ大きくしても食べ物があまりそうだし、無駄に色々なものを冷やしてしまいそうなので、
現状小さめの冷蔵庫を使っている。
そもそも論としては単身向けの冷蔵庫もメーカーがちゃんと省エネにするべきかと思う。
・スキャナ
ハンディサイズのスキャナを使っている。
印刷物って後で読みたいかもと思うとなかなか捨てられない。
そこで、とりあえずスキャンして捨てる事にしている。その都度スキャンするのも大変なので。
「後でスキャン」という箱に入れておき、月一回ぐらいまとめてスキャンしている。
・掃除機
掃除にはルンバと、ハンディ掃除機、クイックルワイパーを合わせて使っている。
ルンバが良いのは、自動で掃除してくれる事意外に、部屋をある程度片付けないと使えないので、
“部屋を片付けよう”という気になる点が良い。
・こたつ
冬はこたつがいい。暖まるまでの時間が早いし、暖房のように部屋全体を暖めるなどという発想ではなく、冷えた足を冷やすという極めて合理的な思想に基づく設計である。
最近はフラットヒーターのこたつもあるようなので、来年少し余裕があればフラットタイプに換えたいものである。
・扇風機
少ない電力で涼を得る為の合理的な家電である。
扇風機を選ぶ時の私なりの基準は、寝るときにも使うので静かで、弱い送風モードがあるかという点である。
・パソコン
家で最後に買ったデスクトップはカラフルなiMacでそれ以降はずっとノートパソコンである。
旅行や実家に帰る時など以外で外に持ち出す事は少ないが、家の中では色々な所に移動させて使うので、
ノートパソコンは便利だなと思う。
・タブレット
机以外でネットをしたり電子書籍を読むのに、たまに使っている。
Xperia Tablet Z(Wifi版)が欲しいけれどちょっと高すぎるから我慢だなあ。
・スマートフォン
現在の利用の大半は、Twitter,Google+を読む事、Suica、LINE、道順・乗り換え検索、音楽、その他Webブラウジングである。
普段、鍵や財布やカード入れを持ち歩いているけれど、理論的にはスマフォに代替可能なのだからさっさそなってくれればいいのにと思う。
・目覚まし時計
アラームを使う事はほとんどないが、目覚まし時計には多少こだわりがある。
アラームがセットされている事が一目で分かる事と、アラームを一発で止められる事である。
・テプラ
ラベルを付けるのに便利である。モノに名前を付けたり、空間を定義するのは意外と面白かったりする。
・洗濯機
家に備え付けの洗濯機なので、選択の余地はなく、そのまま使っている。
普通に洗濯できるので問題はないけれど。
振動が下の階に響かないようにもう少し防音強化したいのだが、ビルトインでスペースが最小限に区切られてしまっていて、それもできないのも不満である。
・空気清浄機
今年は花粉が大量放出というわけで、一時稼働させているが、普段はあまり使っていない。
そもそも空気清浄機は本当に空気を清浄しているかどうか分かりにくい。
・シュレッダー
住所や、氏名が記載された書類の大半はシュレッダーにかけるようにしている。
ただ、これによりなにか効果が得られるわけではないので、空気清浄機以上になんのメリットが
あるのか分かりにくい電化製品の一つではある。
グーグルによる個人情報の収集に関してが分かりやすいと思うが、個人情報は誰のものかという
問題は、今後大きな課題になると思う。
既に個人の行動を特定できる情報は至る所に電子的に記録されている。
電話の通話や通信、購入履歴、預金、インターネットの通信履歴、防犯カメラ、駅の改札記録、電気・ガス・水道の使用履歴。
例えば、画像認識で購入者の年齢を推定しておすすめを表示する自動販売機がある。
これは誰が買ったかというものを特定するためのものではないが、推定年齢と購入した商品の関連付けが行われてそれが利用されているはずである。
他にも、防犯カメラ。
現在、あらゆる所に防犯カメラが設置されているが、それがどのように利用されているかも明確にされてないし、そもそもそこに存在するかどうか分かりにくいものもある。
最近では移動物、例えば自動車にもカメラが搭載されていたりする。
更にグーグルグラスのように動く人がとらえる映像を録画していくとどうだろう?
記録されるデーター全体も爆発的に増えるし、個人が利用する事でさらに広い用途に利用されるものと考えられる。
話は戻って、個人情報は誰のものか?
おそらく、他には誰もいない無人の島で一人で生きているなら個人情報はその人のものである。
以前にも書いたが、所有とは誰の邪魔もされずにコントロール可能な持ち物の事だと思う。
様々な制約があり、自由に扱えないものは所有ではなく借り物なのだと思う。
社会(コミュニティ)に参加するには、なんらかの個人情報を社会に提供する必要が生じる。
まず生まれたら、役所に出生を届け出て記録される。
要するに私の考えはこうだ。
個人の情報はある程度本人が所有しており、他人がその情報を使って良いかどうかは本人に決定権があると思う。
ただしコミュニティに参加する場合は、ある程度の個人情報を提供する事は必要だと思う。
コミュニティにより必要とする個人の情報やその程度は異なるだろうが、少なくともそのコミュニティが
秩序を保つためにはある程度の個人情報が必要だと思う。
一方、他人の個人情報を自由に収集したり使用して良いだろうか?
収集は自由と言えば自由だと思うが、それでもやはり収集されればそれは別の形で利用される可能性があるのだから、原則的には収集について本人が知る事ができる状態にする事が必要だと思う。
利用については、原則的には本人の同意を得て利用する事が望ましい。
それがある程度匿名化を行い個人を特定できなくしたデータとしてもである。
単にそれが楽しいからという事もあるが、インターネットが民主的なツールであり、
それが広まる事が社会をフラットにし、民主化を進める事に繋がると考えているからでもある。
パソコンや、スマートフォンにしても、それらが世界に普及する事で、
機会の格差を減らし、世界をフラット化させるからである。
もちろん、インターネットやテクノロジーの進化=民主化ではないので、
テクノロジーに目的や哲学を持たせ、それらが正しい方向に使われるようにしなければいけないのだが。
MAKERS―21世紀の産業革命が始まる / クリス・アンダーソン
という本を読みながら、何か自分で作るっていいよねと思う。
-Arduino
マイコンとかの知識がなくても、手軽に電子工作ができるシステム。
-3Dプリンター
金型なしで、安価で立体造形ができる。
現在の小中学生は、このような環境の中で、make: できるのがうらやましい限りである。
なぜ自分で作る事が重要だと思うのかというと
・モノ作りの楽しさ
・自分で使うものを自分で作るという精神
・道具を理解する事
といった事を挙げてみたい。
結局は精神論なのだが、他人から与えられた、大量生産された安価なものを使わされているより、
自分で使うものは、自分のアイデアやらを加えつつ、オリジナルなものを使えた方が楽しいじゃない。
というわけだ。
例えそれが、ありふれたアイデアだったとしても。
1968年日本の国民総生産 (GNP) は世界第2位となった。
現在は第3位。今後これらはもっと下がっていくだろう。
動かしがたい要因としては、人口変動の影響が大きい。
それが意味する事は国全体としての力が諸外国に比べ相対的に低下するという事だと思う。
国が相対的に力を持つというのはどういう事だろう?
それは、世界に対し優位な条件を出す事ができ、その国に生まれたというだけでその恩恵を
得られるという事なのかもしれない。
単純に言えば、日本人人口を増やし、世界に対し優位な状態にできれば、
日本という共同体としては優位になれ、個人もその恩恵を得られるかもしれない。
しかし我々はそうではない未来を選択した。(おそらく)
移民の受け入れをどうするかをひとまず置いておくならば、
日本は、国の縮小という道を選択した事になる。
ただこれを悲観する必要は無いと思う。
そこで登場するのが一人当たりGDPである。
国全体のパイが縮小しても、一人当たりの生活が維持されていれば個人としては問題ないというわけである。
たしかに国が栄えていてその恩恵にあやかれるならそれはいいが、
普通にこの国の未来動向を考えるなら、そうではなく、個々の幸福度を向上させる事に
重きをおくべきだと思う。
そこで逆に、
お国のためとは何かについて考える。
戦時中のこの言葉を私なりに解釈すると、
場合によっては個人が犠牲となり国に奉仕する事が、家族や共同体にとって重要な時代だったのだと思う。
(その共同体が個人の犠牲を容認したのは、その共同体が別の共同体を選ぶ余地がなかったのもひとつの要因だと思う。)
一方現在はどうだろう。
ありがたいことに、昔に比べ、個人の犠牲を社会が要求する度合いは下がったと思う。
家族のため、地域のため、会社のためとか、国のためとか、に対し個人が犠牲を払う事は
美談としてはよいかもしれないが、そんな事が常態化しているような時代が良いかというとそうは思わない。
自分が良ければいいという、利己主義、個人主義には閉口するが、多くの個人の犠牲によってもたらされる豊かな社会というのも、また疑問である。
話はやや脱線したが、これからは運命的に関連づけられた共同体に献身する時代じゃなくて、
一人一人が所属する共同体を選んで、これが良いと思ったコミュニティや共同体を支持する事が、
良い共同体を育てることにつながると思うし、そうあるべきなんだと思う。
昨年12月、TRONSHOW2013 の坂村教授の基調講演を聞きにいって来た。
今回の講演でもっとも印象的だったのは、「グーグルだけでなくみんなで考えよう」というものだ。
グーグルは、インターネット上のあらゆるホームページを収集しインデックス化を行い、様々なキーワードに応じてそれにあった検索結果を出すシステムを提供している。
現実空間を人力で撮影しながら、情報を収集し、グーグルマップとして提供している。
そして、Googleは無人自動車を開発中だが、これが実用化すれば、リアルの世界の自動情報収集が進むだろう。
しかし、これには様々な問題が付随する。
情報収集されたくない人はどうしたらよいのか、取得した情報はだれのものかなど、ルール作りの問題や、権利関連の問題などである。
例えば、防犯カメラは、一般的に個人情報と呼ばれる住所、氏名、電話番号を収集するものではないが、明らかに個人を特定できる情報を収集している。しかもそれがいつどのような形で使用されているか、収集される側は把握できていない。
防犯カメラについてあまり詳しい知識はないが、おそらく今後防犯カメラはネットワーク化されていくだろう。(例えば大手警備サービスに集約されるというように。)
そうすると一つの企業が広範囲で個人の動きを把握する事が可能になる。
(現状は知らないが、技術的には可能になりつつあるはずである。)
犯罪者を追跡にするのに使うのはよいとして、その仕組みを広告に使うとしたらどうか?
国がデータを管理するようになり、国民の行動把握に使うとしたらどうか?
グーグルなどの企業がデータを収集し、分析し、他の企業に商品の販売に貢献するデータとして売るのはどうか?
アマゾンやグーグルがネット上のユーザーの行動を分析し、それらが巨大な利益をもたらしているように、
リアルの世界でも、人々の動きを把握し分析する事は利益を生むし、使われ方によっては危険でもある。
ともかく、今グーグルで進行しているような、個人の持つモノや、自分自身の情報を、
吸い集めて、加工し、情報を利用するという動きに対して、
Tron projectのように、オープンな計画に市民が参加して、一緒に考えるという事が重要なんだと思う。
【ロボット 戦争】
映画ターミネーターなどのように、いずれロボットは進化し、人間vsロボットのような事が起こりうるだろうなと思う。
なぜロボットが人間を襲うのか?それは人間同士の戦争があるように、ロボットが本当に人間のように進化すれば、
そうなるだろうと考える方が自然だ。
そうならない為にはどうしたらよいだろうか?
・ロボットの開発をやめる
・人がロボットを越えた存在でありつづける
・共存の道を探る
ロボットの開発をやめるのは、難しい事である。
原子力エネルギーをみつけた人類が、原爆や原発を作り続けるように、パンドラの箱はひとたび開いてしまったら、
元には戻せないものなのだと思う。
人類が突然文明を捨てて、森での生活に戻れば、これらは避けられる。
私が思うには、これからの人類は、これからもより多くのロボットを生産する。
そしていずれロボットは人類から派生した知的非生命体として進化すればよいと思っている。
それに伴い、いずれ人類とロボットは何度か戦わなくてはならない。
今だってロボットは人の仕事を奪っているし、戦争ではロボットと人間が戦っている。
ロボットvs 人間の戦争。
我々は今、それがおこるであろう未来を、選択している。
【世界人口は2倍に・日本人人口は半分に】
21世紀末までに世界人口は100億人に到達するだろう。
日本はどうか。移民を受け入れなければ4000万人ぐいらいになっているだろうが、おそらく移民を受け入れる事になると思う。
このとき国内総生産を維持する為に政府の選択肢をいくつか考えると
・移民を受け入れる
・ロボットにより一人あたりGDPを飛躍的に向上させる
・三人子政策を行う(多産優遇)
・子育てのシステムを変える(一夫多妻や、家庭システムなど根本的な所を変える。)
などがあげられるが、現実的な所だと、移民と、ロボットだと思う。
個人的予想として、21世紀の後半には、日本人口の1/3から半分は外国から来た人となっているだろう。
主な言語、英語、中国語、日本語。
人口の減少に反して、社会で存在感を増すのがロボットの存在である。
そんな未来を選択している我々が今すべき事はなんだろうか?
異なる文化、宗教、人種とともに共存できる能力を身につける事、異なる価値観を持つ人々が平和に暮らせる
社会を構築する事。
その上で、日本という「アプリケーション」「コンテンツ」「ハードウェア」を次世代に継承しつつ
世界に広める事である。
【人類は宇宙へ向かう】
日本人口が減少し、日本の存在感は相対的に小さくなり、ロボットがいずれ人間を越える。
人類の役目はいずれロボットに継承される事になるかも知れない。
それはそれで大きな問題だが、もっと重要なのは、人類が宇宙を目指す事だと思う。
なぜこれだけ大きな空間が存在するのに、人は争い、過去に固執するのか。
何も無い土地を耕し、種をまき、文明を構築する。
我々の祖先がそうしてきたように、宇宙を耕すことが人類の役目だと思っている。
以前は、その年の出来事などを広く薄く知っておこうと、毎年年末にimidasを読むというのを自分の中での年末行事としていたのだが、imidasが発行されなくなり、しばらくその習慣は途絶えていた。
今年は、少し似たような感じで現代用語の基礎知識というのを見つけて読んでみた。
(読むといっても、退屈な分野のものはほとんど頭に入ってこないので、ほぼ素通りなのだが。)
読んだ感想としては、個人的にはやっぱイミダスのほうがよかったかなと思った。縦書きちょい読みにくいし。
読んで「これは」と思ったキーワードいくつか
【磁性ガーネット】
なんなんだかよくわからないが、絶縁体で電子のスピンを使って信号を伝えるとかそんなこんななのだが、
半導体より省エネ技術として注目されているものらしい。
実現したらなんだかすごそうだ。
【室温超伝導】
「高温超伝導」という言葉はあるが、それは液体窒素ぐらいの話で、室温超伝導なるものが実現すればそれは、すごい話だと思う。
日本全体では発電量の5%程度が送電時に失われているとも言われ、送電ロスの対応策とか、モーターなどの動力機構への応用とか、期待は大きい。
【1000年保存】
CDとかDVDとか、現在身近な記録メディアは寿命30年とか、意外と短い。
そんなに長く保存しておくデータてなんなのかという話もあるが、年金の記録が30年程度で消えていたら困る訳で、
1000年まではいかなくても長期保存可能な記録メディアというのは興味深い。
【忘れられる権利】
ネットというのは、不都合な情報でも、一度公開されてしまった情報というのはなかなか削除できない。
本人に不都合な記録をネットから削除できるようにしようというものだ。
表現の自由や、知る権利などとのどうバランスを取るかなど難しい問題ではある。
ただライフログなどが一般化すれば、こういった事は、さらに重要性を増すだろう。
【DPI】
通信事業者などがパケットを読み取ってターゲティング広告などに利用するというものらしい。
こういう技術というのは、使われる側からすると気持ち悪いが、広告を出す側からすると、欲しい技術なので、
結局の所いずれ活用されるものなんだろうなと思う。
【USB3.0】
そろそろ有線のケーブルから解放されたいなあと思いつつ、電源ケーブルとか、なにかとケーブルは入り用なのだ。
・送速度5Gbps
転送速度がそんな早くなっても、HDDなどへの記録を想定すると、それに見合った速度での書き込みや読み取りが実現できるのかは謎だが速いにこした事はない。
・給電能力900mA
おそらくスマホの急速充電などに対応できるということなんだろう。
【宇宙】
宇宙というのは、考え出すと本当に謎である。
宇宙が始まる前。何も無い所からなぜ宇宙が登場し自分がなぜ今こうして存在しているのか。
宇宙が存在している事がまったくもって理解できない。
時間とはなんなのか、我々は認識していない次元が存在して、本当は自由に時空を行き来できるのか。
過去から未来へと進んでいる時間は本当に正しいのか。
考え出すときりがない。
ともかく、地球という星に生き物がいて、広大な空間にて今の所見渡すかぎり知的生命体は存在しない。
そこで私が思うのは、無駄に広いこの宇宙をなんとかしなければという事である。