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2013予想

まずは昨年予想をふりかえり
—–2012年の予想より—–
【災害・事故】
中央自動車道笹子トンネル天井板落下事故は、老朽化が進むインフラ問題を彷彿させる出来事だった。
【経済】
年末には政権が変わり、円安、株価の回復へと動いたが、1年間としては円高と株価低迷に苦しめられる1年だったと思う。
【デジタル製品】
NFC対応は、本体内蔵の形式で対応が進んでいるようだ。
ただしiPhoneがいまだ非対応なのが残念。
予想に反して対応が進まなかったのは「非接触充電」
スマフォのバッテリー問題は当面解決しそうもないのだから、早い所非接触充電に対応してくれればよいのにと思う。
ケータイ回線容量の問題は、予想に近かったと言ってもよいだろう。
特に3G回線の容量不足は顕著で、もうしばらくiPhoneを使ってよいと始めは思っていたが、まるで3G回線では役に
立たないので解約することにした。
予想はさておき、
今年はアメリカ、フランス、韓国では大統領が変わり、中国の主席。日本でも年末に自民党による政権奪還が行われ、第二次安倍内閣が発足した。
ある意味、世界は権力争いによって翻弄される1年だったのかもしれない。
—-2013年予想—-
【国際政治】
今年は各国のトップが変わる年で、政治的な思惑より多くの摩擦が発生した。
来年は各国トップともに不用意な衝突は避けるだろうし、そうある事を願いたい。
もっとも日本の場合は、ここ数年の政権で失ったものを調整しなければならないだろうから、
隣国との多少の衝突は避けられないだろう。
特に中国の場合、国内の格差問題などが、国内のストレスとして蓄積され、そのアウトプットの形態として、
反日デモが行われている面がある。
これは中国政府が国内の格差問題や、不公平とどう向き合うかにかかっている。
【国内政治】
なにはともあれ、ようやく自民に戻った。
首相が変わる事なく、TPPへの参加交渉と農業政策の見直し、必要な原発再稼働とエネルギー政策の見直しを進めて欲しいものである。
【経済】
ひとまず日本は、船長を取り戻した船のように、円安へ調整を行い、株価の低迷から抜け出せると信じたい。
経済成長のビジョンを描いた所で、それが軌道に乗るには、1年や2年でどうこうなるものではないので、まずは基本に戻るところからだと思う。
【2013年の歩き方】
インフレが進むとするならば、物価が上昇する。
消費者としては安くていいものが欲しい。でもインフレ下においては、逆に価格を上げられない店は淘汰されていくと私は思う。
デフレの時は、海外旅行、輸入がよいが、インフレの時は輸出が有利だ。
インフレが進むならそれをぜひ機に、輸出や、海外から日本への観光客への販売などをのばして欲しい。
多くのネットサービスを利用し、それぞれ依存度も高まっている。
ネットサービスの多くには、システムトラブル、規約変更、サービス閉鎖の危険に満ちている。
ネット系のサービスであっても、クラウドを過信せず、バックアップとなるデータの保存や、代替サービスとの二重かを
日頃から行っている事が重要だと思う。
【花粉飛散】
・2013といっても限定的な話だが来年は花粉がすごいらしいという噂。
・分かってるんだったら伐採するとか、なにか散布するとかでどうにかならんのかと思うのだが…。
※ちなみに筆者は今の所花粉症ではないが、たまに、「花粉の少ない森づくり」に募金している。
【インターネット】
今年はLINEが飛躍的に利用者を増やした。
・2013年は、DeNAがLINEをパクって投入したcommの躍進に期待したい。
・Google+が実名制を廃止し、いくつかの既存SNSを買収、統合を経て、Facebookの地位を脅かす存在になることに期待したい。
・先にもあげたように、ネット上の1つのサービスに依存する事は好ましくないと最近思っている、
 Facebook & Twitter 、 LINE & comm などのように使い分けと二重化が望ましいと思う。
 Dropbox & GoogleDrive , Instagram & 何か , Evernote & 何か などなどのように、
 来年の注目キーワードとして、利用サービスの二重化(代替)と使い分けをあげたいと思う。
 できればGoogleの代替も登場すると良いのだが国家予算でも使わないとそれはなかなか難しそうだ。
【自分】
個人的な話で言うと、今年はやや体調を崩す事が多く大変な年だった。
来年は穏やかに平和な年にしたいものである。あと去年はいくつもりだったけど海外旅行に行けなかったので来年は行きたいな。

心地よいつながり、居心地の悪いSNS

先日散髪に行ったとき、床屋さんがFacbookで、昔の同級生から友達申請がきて、
許可したくないのに間違って許可しちゃって…。という話を聞いた。
その後ふと、居心地の良いSNSと居心地の悪いSNSについて思いついたので書いておく。
人間関係に基づく居心地の悪いSNS
既存のリアルな世界では、自分の選択に関わらず、親や兄弟親戚がいて、育てられる、
そのうち教師や、同級生、上司がいて、同僚がいる。
我々は人間関係に基づくつながりを運命的に受け入れていて、それに適応している。
だから、この人間関係に基づくつながりのすべてが不快なわけではない。
ただ、自分の関心に関係なく、一方的な結びつきというのは、窮屈なものである場合が多い。
関心や、共感に基づく心地良いつながり
年齢、性別、風貌、地域、など物理的な境界に閉じ込められたつながりではなく、
単に関心や共感にひもづけられたつながりは、そこで定義されたクラスタの中でコミュニケーション
している限り、およそ、ここちのよい場所だと思う。
逆にリアルの人間関係では、自然とつながりが消えるけどSNSでは特に関心もつながりもないのに、SNS上で友達としてつながり続けている事が少なくない。
時が経てば、人の関心は別のものに移ったりするものだ。
SNSは一つあれば良い、mixi一人勝ちとも言われていたのに、なぜ廃れたかといえば、時間の経過とともにその場所が、居心地の悪いものになっていったからだろう。
居心地の良いSNSからみると、リアルの世界は、何とも不条理で、居心地の悪いつながりに満ちている。
ネットは理想的な世界を構築する為に進化していて、多くの人に夢と希望をもたらすものだ。
そんなことを言うと、現実逃避のひきこもりみたいな感じなので、付け加えておくと、
インターネットやモバイルデバイスを通じて開かれてきた、新しいつながりは、まだまだ
はじまったばかり。これらが、これからの世界にどのような影響をおよぼすかは計り知れない。

病院

風邪かと思ってたが、熱が40度を越えたので、近所の病院に
個人的に病院は、なるべく行かない派である。
理由は
・待ち時間が長い→疲れる
・そのくせ携帯の使用が禁止だったりじっとしている事が苦痛
・他人の風邪などがうつりそう
・大概にして、「急いで欲しい」などいう身勝手な患者がいて不快
・ただの風邪ならほっといてもなおる
・そこで、無駄に病院に行く人が多いと、本当に診察が必要としている人が受けにくくなる
・不用意な診療は税金の無駄
初診なので、熱を測って、問診アンケートに記入、熱が高いのでと、暗く寒い部屋に移される。
暗く静かな部屋でじっとしながら、医療制度の問題や、多くの病院が人手不足(特に看護師)の問題、医療を利用する側の問題、高齢化社会の中で医療負担などを考える。
1時間以上経過の後、診察、血液検査。
インフルエンザの検査は陰性で、血液検査などの結果より、
ばい菌による炎症による発熱じゃないかということで、抗生物質などを処方してもらって、帰宅。
一旦、全身を暖めて落ち着いたら、頭を冷やして、その後、上半身はかるい暖めにすると、
発汗も治まり、体調も良くなる事がわかってきた。
これで、そのまま回復するかなと思ったが、夜になって、急に寒気(さむけ)が進行し容体悪化。
ちょっとやそっとの暖め方ではどうにもならず、あわててこたつを出す。
これでなんとかして一命をとりとめる。
(大げさではあるが、自分の中では 「Best of the Year 生命の危機部門 第1位」だったと思う。)
翌日改めて別の病院で診察。
こちらは、近所の病院よりは離れているが、信頼している病院である。
待ち時間が長いのは変わらないが、スタッフの人数も多く、比較的スムーズに対応してくれる。
再度インフルエンザの検査。レントゲンにて完了。
結局どこが原因かはわからなかったが、夕方には体調もだいぶよくなり一安心。

ReBORN

トヨタのCMだがここのところ、社会的メッセージを含んだCMシリーズが続いていると思う。
例えば「ReBORN」シリーズは、トヨタの復活と震災復興からの日本の再起をかけた、「がんばろう日本」的なCMという見方もできるだろうが、同時に日本の社会構造に対し「ReBORN」せよという意味にもとれると思う。
他にも、「免許を取ろう」シリーズは、自動車買って欲しいけど、とりあえずその前に免許とってよという、表向きのメッセージとは別に、
「大人 になったが免許は持ってない のび太」を今の日本の若者と重ね合わせ、批判している部分もあるのかもしれない。
今、トヨタのような日本発のグローバル企業には、「1.日本を捨てて生き残る」「2.日本を変えて復活する」「3.日本と運命をともにする・日本の中で生きられるだけ生きる」という選択が時々脳裏をよるのではないだろうか?
「1.日本を捨てて生き残る」は考えにくい事だが、グローバル企業としては必要な覚悟だと思う。
「2.日本を変えて復活する」一企業が日本を変えるなどは、困難だろうが、駄目元でも試してみるのはありだと思う。
「3.日本と運命をともにする・日本の中で生きられるだけ生きる」は、多かれ少なかれ日本企業や日本初の企業の宿命だと思う。
「これから俺、どんどん世界に出て行っちゃうし、日本なんて知らないぜ」という楽天的?なのりの企業も複数あれども、現状うまくいっている例はあまり聞かない。
話を、ReBORNに戻して。
なぜ今生まれ変わる事が必要なのだろうか?
これまでの延長じゃ駄目なのだろうか?
ケース1:40歳定年制
最近どこから出て来たのかは知らないが「40歳定年制」という話がある。
40年も経過すると企業も、世界も変わっている(40年前の社会はどうだったか、40年後の世界はどんなだろう?)、「今のレールに40年後がないとしたら?脱線してから困るより、はじめらから40年後新しい線路で走る事を考えたほうがいいのではないか?」という一つの考え方としてありだと思う。
実際の所それは単純ではないが、かといって今の世界を見て40年後に今の延長にレールがあるとは思えない。
ケース2:この星の生き物について
この星では、ネズミのように、短期間で増殖する生き物と、樹木のようにいったん芽を出した所に根を張って長年生き延びるという異なる生存戦略が存在する。
それは、いいかえると、変化に耐える生き方と、変化に応じて生きるという事なのかもしれない。
ケース3:デフォルト(債務不履行)・破綻
JALは破綻し、株券を紙切れにすることで、復活を遂げた。
国のデフォルトも回避すべき事ではあるが、その一方でいったんリセットをすることで、
健全化を図るという考え方も、時として必要なのかもしれないと思う。
駄目な企業やサービスを、税金ずぶずぶで延命するのと、破綻させ資本主義的に、
リセットさせるのとどちらが健全だろうか?
まとめると、ReBORNすべきなのか否かに答えはない。
ケースバイケースの場合もあれば、同じケースでも手法の違いであってどちらの方法でも
同じ結果がもたらされる場合すらある。
私自身の検討事項として、今あるのは、第二の人生(セカンドライフ)や、第三の人生をどうとらえるかという課題がある。
自分の中では、すでに第二の人生であるつもりなので、次は第三の人生、
何を継続して何を捨てるべきか、目下の課題である。

Macbookに飲みものををこぼした場合の対処法

コーヒーをこぼして起動しなくなった友人のMacbookを分解してみたので、教訓メモ。
(浸水したら復活できる保証はないので、自己責任でお願いします。)
まず最も大事な事は、飲み物をこぼさない事である。
で、こぼしてしまった場合すること。
1.速やかに電源ケーブルを外す
2.速やかに、本体を浸水エリアから隔離する事
3.強制終了
4.外部からできるだけ水分を拭き取る
5.できるだけはやく裏蓋を外し浸水状況を確認
6.まったく浸水してないようであれば、OK
浸水が見られる場合は完全に乾燥するまでには電源を入れない事
7.浸水が見られる場合は、バッテリーを外す。
 きれいな布で表面の水分を除去。ドライヤーか扇風機など冷風にて乾燥。(熱風注意)
8.とにかくデータが重要な場合は、HDDを取り外し外付けのHDDとして別のパソコンを使用し
 データのバックアップを取ろう。
9.あとは本体(浸水箇所)をとことん乾かす。直射日光や、高温で乾かすのはNG。
保証期間内の故障であれば、自分で分解して保証対象外となってしまうより、修理に出して
部品を交換してもらえばよいだろうが、パソコンの水没は、一般的には保証対象外なので、
ともかく自力で救出するのが一番だと思う。
これらをスムーズに行う為には用意しておきたいもの
・きれいな布、ティッシュ、綿棒。
・精密ドライバー
 ネジ穴にぴったり合わないものはNG、合わないものを無理にまわしネジ穴が駄目になると
 最悪なので、ちゃんとサイズが合ったドライバーが必要だ。
・エアダスター
 逆さにすると液体が出る場合があるので注意、あくまで圧縮空気でホコリを飛ばす為に使う。
・ドライヤー
 冷風の方が良いと思う。温風は高温に注意。
・エタノール
 油分、糖分を含むもの、塩分が付着した場合に使用(ただし浸水注意、重傷の場合使う)
・蒸留水
 糖分を含むもの、塩分を含むもの、コーヒー、ワインなどをこぼした場合、拭き取るだけでは
 除去できない場合に使う。(安易な使用は危険、重傷と判断した場合にのみ使用)
・2.5inch 外付け HDDケース(たぶんコネクタはSATA)
 HDDの浸水がない場合は救出して、データを読み込むのに使用できる。
大事な事は、こぼしたら即座に水分を取り、浸水の可能性がある場合は裏蓋をはずし、
浸水がない事を確認できるまで、電源を入れない事である。
浸水した場合は、バッテリーを外し、とにかく乾かし、入念に乾かすしかない。
ポイント
・裏蓋はできるだけ、はやく外して浸水状況を確認しよう。
 浸水してしまった場合、すぐに乾かさないと錆びてしまう。
 乾かす処置を後回しにしてしまうと、救出できる確率は下がってしまう。
 浸水があった場合はどこのパーツに浸水があったか覚えておこう。
・浸水している可能性がある状態で電源を入れるのはNG
・HDDのデータがとにかく重要で本体は大して重要ではない人は、
 とにかく裏蓋をあけHDDを取り出してやればひとまず安心だ。
 キーボードにせよ、本体裏に飲み物をこぼしたにせよ、ちょっと飲み物をこぼしたぐらいでは、
 HDDまで浸水することは少ないだろう。
 もっともそんな重要なデーターならちゃんとバックアップを取っておけばよいという話だが…。
最後に
十分な資金があり、尚かつデータのバックアップがあれば、浸水しようが、水没しようが、新しい本体を
買い直せばOKです。
追記:
スマフォの水没では、乾燥剤などを使った復活術や商品があります。
ノートパソコンは、サイズが大きいのでどこまでいけるかは分かりませんでが、乾燥剤系の復活法も
駄目元で試してみるのもよいかもしれません。
更に、よくこぼす人向けのアイテムを2つ紹介
wow cup
MIGHTYMAG

所有と共有

モノを買ったりもらったりしてそれを、好きに扱う事ができる状態。
それを所有と言う。
自分の手元にあるけれど、誰かに返すものを借り物と言う。
一つのモノを借りたり貸したりすることを共有と言う。
買ったりもらったりしたものを、自らが使う事で失う事を消費という。
便利なものや、面白い商品は好きだけども、「物を持たない」という事にはなんだか憧れる。
それは、「ベンリなモノ」に囲まれる事に対する罪悪感なのかもしれないし、
便利そうでいて、実際には大して便利でもないものが、身の回りに増える事に対する
いらだちなのかもしれない。
世界に資源が有り余っていて、高価なものもいくらでも買えるとしたら、色々なモノに囲まれた
生活を選ぶのだろうか?
たしかに良いと思ったものは欲しい。
じゃあたくさん欲しいかというと疑問である。
同じものがたくさん欲しい。
んーなんだろう?
札束とかかな。

世界に染まらず世界とつながる事

世界は海と、空と、通信回線でつながっていて、物流、経済、文化など、様々なものが国境を越えて勢いよく流れ込んでくる。
多様性や、変化を受け入れた先に新しい未来があると信じている。
ただ、地球上のあらゆるものが、均質化されてしまうのは問題だ。
もっともそんなことは、普通おこらないと思うが、ある部分では進行している問題ではあると思う。
地域性、独自性の消失は、変化への適応力の低下を招く。
グローバル経済によって、ギリシャ問題が世界経済に波紋を広げたように、
世界が、広く結びついていることは、強さでもあり弱さでもある。
そこで必要なのが、独立性である。
世界で大きな津波が発生しても、そこは影響を受けない独立したエリアが必要である。
単純に鎖国していれば、世界の影響は受けない。
でもそれはちいさな水たまりのようなもので、放っておくと自然と蒸発して消えてしまったり、
いったん大きな波がおしよせれば、飲み込まれてしまう事さえある。
世界と常に繋がりながらも、すべてをそこに依存させずに、
独自性を守る事や、地域での独立体制を維持する事。
これは、実際の所どうすれば良いのかは難しい問題だが、
あるべき論としてメモしておく。

近所の電器店

急遽、光デジタルオーディオケーブルが欲しくなったので、近所の電気屋を何件かあたっててみるも、
お休み&店頭扱い無しという状態。
今時、光デジタルオーディオケーブルなど使うケースはほとんどないので、なくても仕方ないのかも
しれないが、これじゃあ、ネットの家電店や、コンビニに商機を奪われても仕方ない部分もある。
私の住む地域には、数件の電器店がある。
全部が年中無休というのは難しいだろうが、どれか数店が開いていて、どちらかに目当ての家電があれば
よいという事になる。
それを実現する為には、距離の近い電器店同士で在庫管理情報を共有し、
たまに売れる程度の頻度の少ない商品を、分散して確保する必要があると思う。
別にこれをコンビニがやっても良いと思う。
今や都心では、数十メートル行けば別のコンビニがある。
売れる頻度が少ない商品であっても、生活者がそれがどこにあるかわかれば、
もうちょっと先のコンビニに寄ればよいのだ。
商店街もそうだが、ネットや、大型スーパーと地域の小さな店が勝る部分は、とにかく近い事が一つだと思う。
欲しいと思ったら、数十分で提供できないと、そっちに流れてしまう。
話をまとめると
・コンビニを含め小さな店舗では、需要の多い商品だけに集中し、たまに欲しい商品が
近所ですぐに買えない場合がある。
・一店舗単位で考えず、地域内の複数の店舗の中で少しだけマイナーな商品在庫を持つ
・どこの店舗にあるか分からないと意味がないので、少なくとも店内に検索端末を置く。
できれば、スマフォやネットで検索できるといい。

トマト祭り中止

んまあ、あれ面白いそうだから日本でもやろうぜ的な軽いのりが、思いのほか非難を浴びて中止という事なんだろう。
たしかに、食べ物を粗末にしてはいけない。
とはいうものの、世界の中で、日本は食べ物の廃棄率でトップレベルだったはずだ。
というわけで今回は、食べ物は捨てていいのかという話と。
食べ物は駄目だけど、飲み物はよいのか?
という話。
まず、脱線先である飲み物はよいのか?という話。
飲み物として代表的な水。
水道をひねれば、そのまま飲める我が国ではさほどありがたくもないかもしれないが、
「水道水が飲める国は13か国」とかいう話もあり、人が生きていく上でも重要な
要素である水は重要な存在である。
ただ、水って生き物じゃなよね。
という反論はあろうかと思う。
たしかにそうだ、水は資源であって、生き物ではない。
じゃあ牛乳祭りとして、牛乳をかけあう催しはどうだろう?
牛乳は本来、牛の子供が育つ為にあるものだ。
それを人が飲む為に品種改良してできたのが、ホルスタイン 乳牛 であり、市販の牛乳だ。
愛媛で、町おこしとして、ポンジュース祭りを催し
ぽんジュースをかけあう催しならどうだろう?
ビールかけはどうだろう?
ビールかけは、「資源を浪費する無益な行為」とか批判はあり、
ビールかけ用ビールがあったりするようだが、まあ祭りというのは、そもそもそういうもんだと思う。
理由づけはともかく、無駄遣いをしたり、普段しない事をやって、ハッピーを共有するってのが
祭りなんじゃないだろうか。
何が楽しいかは人それぞれだし、そもそもトマト祭りが本当に楽しいかどうかも謎だが、
世界のどこかでそんな事をして楽しむ人たちがいても、別にいいんじゃないかとは思う。
で、話はもどって。
食べ物の廃棄率が高い日本の現状について。
まず誰がどこで食べ物を捨てているのだろうか?
・飲食店での食べ残し (消費者)
・家庭内での食べ残し (消費者)
・コンビニ、スーパーなどでの売れ残り (消費者、小売業者)
・生産時点での廃棄(生産者)
・加工時点での廃棄(加工業者、飲食店)
・流通時点での、品質問題(流通・消費者)
など、おもいつくところ。
飲食店での食べ残しは、日本一うまいとかいって激マズだったり、
かならずしも消費者がすべて悪いとは限らないが、多くの場合は消費者の問題だと思う。
家庭内での食べ残しも同様だ。
計画的に消費する事が重要。
コンビニ、スーパーでの売れ残りはどうだろう?
理論上は消費される量を生産すればそれで足りるが、実際にはそうはならない。
消費者は、豊富な選択肢から商品を選んで買う事を好むので、消費を予想して生産する事はなかなか難しいのだ。
つまり、消費者に買ってもらう為にはあらかじめゴミとなるものも提供しておく事が必要なのだ。
これはフードチェーンにおけるかなり難しい問題だ。
理論上は、消費者が、前もって消費するものを決めておきそれを生産者に伝え、正確に生産し、消費者が正確に無駄無く消費できれば、よいのだろうが、これはなかなか難しそうだ。
生産時点での廃棄とは、
台風でリンゴが落ちて、商品にならないから廃棄とか災害的なものや、生産過剰により売れないので廃棄とか、味や鮮度には問題ないが、見た目や流通上の都合で規格外のものを廃棄などの問題がある。
消費者は、食料の上流を知ることで、過剰な品質要求による廃棄を減らすのも大事だと思う。
加工時点での廃棄問題は、減らせれば加工業者も得なのでそれなりに取り組まれているのだろう。
無駄無く利用する事が大切である。
流通での廃棄とは、流通経路で適切な管理が行われなかった場合に、ゴミとなってしまうケース。
つぶれたり、輸送に時間がかかり賞味期限が切れたり、鮮度管理上の問題などもある。
ではまとめ。
食べ物を粗末にしてはいけない。
というわけで、とりあえず、毎日大量日破棄される賞味期限切れの食品でも集めて、
まみれてみる 食料廃棄大国祭り でもやったらいいんじゃないだろうか?
生ゴミだから、あとはバイオ肥料にでもすればよしと。

資本主義者の嘘

資本主義者がしばしつく嘘のひとつに、企業とは社会的な存在であり、
企業が利益をあげるのは、社会に役立っているからであり、悪い企業は淘汰される。
という話がある。
これは嘘である。
企業とは利益の最大化が目的であって、社会の役に立つかどうかは、お金を得る為の一つの手段であって、目的ではない。
もうひとつ。
自然淘汰というのは、よいものが生き残るシステムではなく、
環境に適合したものが生き残り、結果として正当化されるだけの事である。
良いものが生き残るのが常なら、
世の中に悪い事をする人なんていなくなっているはずだ。
地球という世界がまだ無限だった時代はよいが、
いまの地球は有限な空間となっている。
人口が増加した事は勿論だが、一人あたりが環境に与える負荷も飛躍的に増加した。
エネルギー、森林資源、食料となる資源など様々な資源を消費しており、
それらが地球規模での気象変化をもたらす原因となりうる可能性が指摘されている。
消費が社会を潤す仕組みには、ねずみ講が永続的に発展できないように、限界があり、
仕組みを変える必要がある。
大企業が社会を支配するのも問題点の一つだ。
資本主義は、今の世代が慣れ親しんだシステムではあるが、調整が必要だってことを、今のうちに
知っておく事が必要だと思う。