久しぶりに、ヴェルサイユ宮殿に行って来た。
といってももうしばらく前の事だが。
ヴェルサイユ宮殿というのは、パリから少し離れた場所にある無駄に豪勢な宮殿(建設当初は離宮)である。
王制による、富と権力の集中というものが、ヴェルサイユ宮殿には見て取れるが、その後、フランス革命が起こる。
貴族の反乱により絶対王政が倒れ、ナポレオンにより統制された。
フランスの絶対王政というのがどのように成ったのか、歴史に疎く、よくわからないが、
王が権力を持っていた時代があって、特別な権利や富を、王族や、貴族が持っていたんだろうなと思う。
なぜ王制は崩壊したのだろう。
ヴェルサイユを見ると、無駄遣いしすぎたから崩壊したんじゃないかと思ってしまうが、
大飢饉により当時の国民が苦しみ、政権を打倒する必要性が生じた事や、
商人が商業を営む上で、貴族の貴族特権を廃止させる働きかけによる影響であったようだ。
贅を尽くしつつも、このなんとも居住性の悪い建物で暮らした当時の人々の事を考えると、
これだけの富をもちつつも、それを誇示する為に不便を強いられ生活しなければならない、
富とはなんなのだろうか?
礫
資本主義が支配する社会において、賃金を得る為に行う行為。
それが労働である。
共産主義的な観点からすると、それと同じ行為を無報酬でやるべきなのだが、
それはあくまでも理想論だ。経済というのはお金というニンジン(馬人参)がある事で、
近年発展してきた事も事実である。
資本主義社会において、生きる為にはお金がいる、しかしお金の為に
生きているわけではない。
だから、お金を得る事を目的化してはならない。お金は手段であって、
目的ではないからである。
では生きる目的とは何だろうか?
イエスは「人はパンだけで生きるものではない。」と言った。
生きる為にはパンも必要だが、パンの為に生きているわけではない。
ミドリムシぐらいなら生きる事が当面の目標かもしれないが、人間は
「人間らしい生活」「豊かな生活」を目指して生きている。
「人間らしい生活」「豊かな生活」とは何か?を考える前に、
日本国憲法 健康で文化的な「最低限度の生活」とは何か考える。
「三度の飯」「風呂に入る(できれば毎日)」「ネットをする」この3つははずせないなと個人的には思う。その上で、文化的な生活として、音楽、美術、旅行、哲学、創作などを楽しんだりしつつ社会や人類の発展の為に働く事が人間らしい豊かな生活だと私は思う。
話は一歩戻るが、人が働ける期間は限られている、多くの場合生まれた頃(幼少期)と、老年期には
働く事は難しい。国は「労働に関わらず」 健康で文化的な最低限度の生活を保障すべきであり、労働というのは+αであるべきというのが私の持論である。
公共空間における、マナー、ルールを考えてみる。
公共空間における迷惑な行為というのは多種多様
なにが迷惑かというのは人それぞれ違うし、すべての人をすべての不快を排除することは困難である。
極端な話、知らない他人と一つの限られた空間にいる事自体が不快だと思う人は少なくないだろう。
公共空間というものが、複数の人が共有するものであるのに対し、そもそもその事自体が多かれ少なかれ
ストレス要因になっている。
では何を許容して、なにを制限、禁止すべきなのだろうか?
・鼻をすする
・ストローで飲むときに音を立てる
・飴、ガムを食べる
国によっては嫌われるだろうが許容範囲と言えば許容範囲だろう。
・ヘッドホンなどの音漏れ
・電車内での通話
・電車内での化粧
程度はあるが、場合によってはOKでもいいんじゃないかと個人的には思う
逆に個人的にマナー過剰だと思うのは
・電車内での通話
・スマートフォンの使用
・電車内で足を組むなというアナウンス
・優先席付近で電波を出すなというアナウンス
このあたりは禁止すべき事でもないように思う
・大声で話す
・割り込み
基本的にはNGだと思う。
・赤ん坊が泣き出す
これもケースバイケースだが、赤ん坊が泣き出すのはある程度やむを得ないだろうし、
迷惑ではあっても許容すべき迷惑なのかと思う。
・子供が走り回る
これは親なり、周りの大人が止めるべき迷惑行為ないのかと思う。
まあ今時それもなかなか難しいのかもしれないが。
家で飼っているハリネズミが4年ぐらいになるので、ハリネズミの飼い方についてメモ。
まずは
【生活環境】
・プラスチック製収納ボックス
・回転ホイール
・お皿1(餌用)
・お皿2(水用)
・帽子
・床材1(SANKO ケアペーパー4.5L)
・床材2(クリーンビート トフカスサンドK 7L)
プラスチック収納ボックスをケージにしている。
ウサギのケージのように、編み目のものは登ってしまうのでプラスチックのケースが良い。
ふたはなくてもよいが、上に何かのせたりできるのと、多少防音効果もある。
尚、ふたには通気用に大きく穴をあけている。
回転ホイールは最近は使ってないようなので外している場合もあるが、以前は夜中によく運動していた。
お皿は陶器のお皿。足で踏んでひっくり返らないようなある程度安定したものが良いと思う。
水飲みは「給水ボトル」も試してみたが、あまりうまく飲めないようだったので結局お皿にしている。
床材1 うちのハリネズミの場合、木屑系はどうもかゆくなるようなので、紙かおがくずにしている。
【夏用暑さ対策】
・涼感プレート(アルミ製)
・PCファン(GELID 静音ファン Silent 120mm)
涼感プレートはケースの下に敷いている。ただしどうも嫌いなのか、その上ではあまり寝ないようだ。
以前暑い時は、熱帯魚用の送風機を使っていたのだが、動作音が結構うるさいので、最近静音のPC用ファンを買ってそれに変更した。
【冬用寒さ対策】
・ヒーター1(マルカン ヒーター 40W)
・ヒーター2(ビバリア エコパネルヒーター6W)
冬の場合は、少し寒い時は、昆虫用の薄いホットカーペット?をケースの下から敷いている。
もう少し寒い時は、「保温電球40W(カバー付)」を入れている。
ハリネズミは寒いと冬眠してしまう。18度ぐらいでも冬眠してしまうという事で、注意が必要。
【餌】
主食1魚介系 (SANKO F25 ハリネズミフード 300g)
主食2ぶどう味 (8 in 1 (エイト イン ワン) ウルトラブレンド・セレクト1kg)
主食3肉 (森の小動物 フェレットフード 500g)
おやつ1 イースター 天然素材缶 コオロギ 40G、数
おやつ2 フェレットバイツ・フルーツ&クランチ
主食は、それぞれ日によってかえている。小さいときは、水でふやかしていたが、大きくなってからはふやけるとあまり食べないのでふやかさないようにしている。
うちのハリネズミの場合は、フェレットフードのが好きのようだが、年をとってからは、粒が大きすぎるようなので、少し小さく割ったものを与えている。
おやつはコオロギがお気に入り。
あんまりやると栄養が偏りそうなので、たまにおやつとして。
【その他】
・衣装ケース(餌などの収納)
・昆虫用プラケース
・タオル
餌や備品などの収納スペースとして、ケージと同じサイズの衣装ケースをケージの下に置いている。
昆虫プラケースは、移動の時にこれに入れて運んでいる。数時間程度の移動であればただまるまっている
だけなので、ちょっとした移動に便利。
タオルは、水洗いした時や、布団として使っている。
【その他2】
・ハリネズミの家1 木箱
・寝袋
・ペットナチュラルバー
以前は木箱を使っていたがこれもいまいちかゆがる気がするのと、ホイールを入れるとスペースが狭くなるので、今は使ってない。
寝袋はなかなか良いサイズのものが見つからず、タオルとか、帽子(ニット帽的なもの)とかを寝袋にしている。
ペットナチュラルバーというのも木でどうもかゆがる感じがするので、今は使っていない。
■活動時間
夜行性。人の気配があるとあまり出てこない。
■水洗い
お風呂が好きなハリネズミもいるようだがうちのは苦手なようである。
ただ、たまにお風呂に入れないと、ダニがついてしまうようなので、たまに水洗いしている。
■冬眠
寒いと冬眠してしまう。冬にえさを食べず、寝袋に入ったままほとんど動かない事があり、
これはまずいと暖めた所、普通に戻った。たぶん冬眠しそうになったのだろう。
冬眠すると危険なので、注意が必要である。
■アンティング
知らない臭いをかいだり、変わった臭いのものを見つけると、噛んで泡にして背中などに塗る不思議な修正がある。なんの為なのかは不明のようなのだが、新しい臭いを覚えるためにやってるんじゃないかと勝手に思っている。
追記
少しバージョンアップした2015年のハリネズミのお家はこちら
いずれ人工知能は発達してロボットも自我を持つだろう。
そのとき知能の部分がハードウェアと一体化してなかったらどうだろうか?
思考する部分とフィジカルな部分が分離していた場合。もしくは、思考する部分が、
分散型だった場合。自分というものをどの範囲で捉えるのだろうか?
もうひとつのパターン。
いずれ人間は、拡張した身体や、脳を使うようになるかもしれない。
その時、どこからどこまでを1人としてカウントするのだろうか?
定義の問題ではなく、感覚の問題としてどうなのだろうか?
自分という範囲は、比較的自由のきく身体と、それを掌る脳がセットで自分が成立する。
極論を言えば脳だけでも自己なのだが、例えば、私の脳だけの状態を見てそれが
私であると認識する他人(ひと)がいるだろうか?
逆に身体だけならどうだろう?人々は、ぱっと見それが私だと認識するだろう。
ただし脳がなければ、私らしい振る舞いをしないので、結果、それは私ではないということになる。
自己の最小単位は、脳だが、それを出力するインターフェースがないと、外部からその中身を
窺い知る事はできない、その一方で表面的な部分もその人間の一部として認識されている。
自分のクローン。例えば双子がいたらどうだろう?
身体は似ているが、脳と繋がっているわけではないので、それは他人である。
私の考えはこうだ。
脳と脳が直接的に支配している身体。脳と脳が所有している体。それが私の範囲である。
だから、もし私の脳が直接的に支配しているハードウェアがあればそれは私の一部だと思う。
脳が物理的に複数の場所にあったらどうだろうか?
クラスタ型の脳、クラウド型の脳。
いずれにせよ、それがある程度の一貫性を持ちアイデンティティを示すものならば、
例え分散しようと、仮想化しようともそれらが含めて私という存在になるだろう。
まあ個人的にそれは大きな関心事ではない。
それより気になるのは、自我を持ったコンピューターは、自己の範囲を拡張し拡大し続けるのか?
それとも、ある程度まとまった単位で自己を完結させようとするのか、という疑問。
身体の範囲を広げれば、多くの体験をできる。例えば体が2体あるとか。
ただ現状の人間にはそれは無理である。
2つの体験を脳は処理できないだろう。
一つの体は東京、もうひとつはNY。なんとか同時に歩けたとして、二つの感情を同時に処理する事は
到底無理な気がする。
今だってテレビを見ながらネットをしていると、どちらかに注意がいってしまい片方が抜け落ちてしまうほどなのだから。
じゃあロボットはどうなのだろうか?
並列での感情処理ができるだろうか?
まあ処理としては問題ないような気がする。
例えば3日間の自分の行動が24HR*3本で同時進行しているイメージだ。
ただし問題もある。
脳が限られている限り、すべての体に同じ配分の能力を配分することは難しい。
なにか「ながら作業」をしていたとして、思いがけない事があると意識がそっちに集中してしまい、
動作を止めてしまうことがある。
そんな風に、身体を別々に動作させる事は、可能と言えば可能だろうが、体験の質を低下させることに繋がるだろう。
じゃあロボットはどうするだろうか?
思考領域を拡大させようとする者と、身体領域を拡大させようとする者と、別の種が生まれるだろう。
恐竜の巨大化のように身体の巨大化というのは一つの進化の方向性としてありだと思う。
脳の巨大化や集合化も一つの進化の方向性としてはありだと思う。
ただし通常の生命のように脳と身体がワンセットになっているほうが、種の多様性としては有利だと思う。
つまり、コンピューター脳を巨大化させる事で進化する種は少数で、
自分という範囲をそれぞれ脳と体ワンセットで存在させる種が多数派になるのではないだろうか。
再び、人間でおきかえて考えてみると、
脳みそ10倍人間がいたとして、様々な事を普通の人より懸命な判断をできるとする。
では周りの人があらゆる判断をその人にゆだねるだろうか?
もしその10倍人間が、周りの人々を、管理したり支配しようとしたらそれらの人々はどうするだろうか?
たぶん反乱を起こす。
エージェントの反乱から、巨大クラウド脳は自分の身をどう守るか?
ある程度の大きさで脳を分けるか、脳を隠す、あるいは有益・無害な存在として巨大化させるしかないのではないだろうか?
ヨルゲン・ランダースの2052を読んで、40年後の世界を考えてみる。
まず本書に書かれているのは、世界は気候変動の影響を受け、
・人口が頭打ちに
・都市集中
・飢えはしないものの生活の質が低下する
・お金や物質的な豊かさに頼らない幸福を求める必要がある
・脱成長の考え方が必要
・これまでのように生産性は向上しなくなる
・民主主義、資本主義的な構造は環境対策を遅らせる事になる
というような事が書かれている。
続いて私の予想。
以前の記事に、世界人口は21世紀後半には100億人としている。
本書では、2040年 前後に80億に達しそこから減少にとある。
都市化が進むと少子化が進む。
いままで都市化と少子化はあまり結びつけて考えた事がなかったが、
広範囲で考えると、そういう事なんだなと思う。
世界各地でが都市化が進めば、急速に少子化が進むだろう。
しかし、人口はそこで減少に転じるかというと、私はそうは思わない。
人類は宇宙を目指し、太陽系における人類の人口はさらに拡大すると思っている。
とはいうものの2040年前後の人口は80億人、都市化の影響で人口の増加速度はだいぶ下がるが、21世紀末には、90億人という事で予想を修正しておこう。
生活の質が低下するというのは、資源へのアクセスが悪くなるので、
今まで食べれていたものが食べれなくなったり、その他の資源に不自由する可能性があるという事だが、
その中で幸福に暮らすには、発想の転換が必要になりそうだ。
脱成長
地球のキャパシティとは何かというと、
宇宙船地球号につまれた食料は毎日5人分だとする。
5人で分ければよいが、一人が5つ食べてしまうと、残りの4人は飢えてしまう。
あるいはそこにもう一人加わったらどうだろうか?
なにか工夫をしてもっと食料を増やせればよいが、資源は限られている。
地球を大きくする事はできないが、人間一人あたりの環境負荷(フットプリント)を減らせばもっと多く住めるし、石油の枯渇問題も、代替エネルギーや別の資源を使う事で対応してきた。
とはいうものの、ゆっくりとした需要の増加であればある程度工夫などでカバーできるが、
急速な進化にテクノロジーはついて行けない。
イナゴの大群のように、増えすぎた群れは供給の限界によって調整されることになる。
これまでのように生産性は向上しなくなる
というのは、サービス業は機械化が難しい事がその理由となっているので、
個人的にはサービス業も含めてまだまだ生産性が向上する余地はあるのではないかと思っている。
環境問題が、民主主義や、資本主義に影を落とすというのは、これもひとつ重要なキーワードだと思う。
民主主義が環境問題にとってやっかいなのは、未来に予測される問題に対し民衆全体に同意を求めるのは、なかなか難しい。
例えば、中国が一人っ子政策ができたのは、民主主義ではないという要因が大きい。
じゃあ中国や、ソビエトのような社会主義がよいかというとそうでもない。
しかし、実感をあまり伴わず、予測される未来の問題、しかも迅速な判断が求められる
問題に関して、民主的なプロセスは不向きと言えるだろう。
本書を読んで改めて思ったのは
気候変動が世界に及ぼす影響を考える事、
オーバーシュートを見越して、いまのうちにやっておいたほうがよい事をやっておくという事。
40年後というのはだいぶ先の事かと思うかもしれないが、40年後というのは既に始まっていて、
その積み重ねが40年後の変化をもたらす。
40年前の今、当時の40年後が今をもたらしているように。
この先どうなるかはわからないが、アベノミクスについて少し語っておこうと思う。
まずは今日に至までの経緯を時系列におさらい。
2005年頃から円高と日経平均株価の関連性が高い状況に
2007年9月安倍内閣が終了
この頃から円高ドル安が始まっている。
2007年 サブプライム住宅ローン危機 (株価低迷)
2008年9月15日 リーマンショック (株価低迷)
2009年9月16日 鳩山内閣が発足 民主党政権へ
2010年1月12日 ギリシャ危機 (円高要因・株価低迷)
2012年12月26日 第2次安倍内閣発足
円安・株価上昇
世界的な経済不況の中、日本では 円高と株価低迷
株価低迷はグローバルな世界経済の一部として仕方が無い部分もあるとして、
円高に関しては、日本の政策に問題があったと思う。
株価で言えば、アメリカは、日本が鳩山内閣誕生の頃には株価下落が底をうち上昇に転じている。
しかし、日本は民主党政権へと移行し株価低迷を続けた。
アメリカは経済を持ち直しつつあると見ている。
安倍政権により、日本もその流れにうまく乗って、日経平均も回復しつつある。
日経平均というのは経済に対する期待だと思う。
アベノミクスに対する期待というのは、風船の空気のようなもので、
大きく膨らんで、うまくそれ乗れば実体経済も上昇できるが、
失敗してしぼんでしまうと実体経済も墜落してしまう。
重要なのは、今アドバルーンが上がった所で、それをどう商機に結びつけるかだろう。
逆にマスメディア、国民、企業がどう動くかによっては、風船がしぼむ要因となる。
その他の内的な要因や外的な要因もあるだろう。
政権は自民党に戻った。しかし、ここ最近の投票率からして、ここ数年の失われた経済的損失が、
国民の選択によるものであったという自覚が国民には無いように思える。
その話はひとまずおいておこう。
アベノミクスは、閉塞感が漂っていた日本における、希望の光として、数少ないチャンスである事は確かだと思う。
現在、高齢化が進む日本だが、ヨーロッパや、今は経済成長を続けるアジアの国々もいずれ高齢化社会を迎える。
日本はその先駆けとして、高齢者が生きやすい社会を実現させる事が現在の日本に与えられた大きな役目だと思う。
参照:
ドル/円 チャート10年
http://stocks.finance.yahoo.co.jp/stocks/chart/?code=USDJPY=X&ct=z&t=ay&q=c&l=off&z=m&p=m65,m130&a
日経平均株価 チャート10年
http://stocks.finance.yahoo.co.jp/stocks/chart/?code=998407.O&ct=z&t=ay&q=c&l=off&z=m&p=m65,m130&a
内閣総理大臣の一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
DeNAの株主総会に行って来た。
株主総会は、株主に前期の報告や今後の見通しなどを説明する場である。
別の言い方をすると、株というもので会社と繋がっている人々との経営者との集いだが、
一般の株主からすると、経営陣を直接見る事ができる年に一度にイベントといった感じなのかと思う。
流れとしては業績の報告、質疑、決議。というシンプルなものである。
総会の醍醐味は、質疑応答で、株主からの質問、提案、クレームに経営陣がうまく受け答えする
という、部分なのかと思う。
ここに集まった人は、多かれ少なかれその会社にお金を出しており、経営者の発言や姿勢に注目している。
経営者は株主に対して一定以上の配慮が必要となる。経営陣には緊張感が漂っている。
しかし、発言する株主は様々で、
今回は、配当を増やして欲しいという株主もいれば、いやいや成長企業は株主還元より事業投資が厚くていいんじゃないかという株主もいる。野球ファン(横浜DeNAベイスターズ)としての意見を述べる人もいれば、同郷の先輩じゃという人や、モバオクのイメージ改善を意見する株主など。
どんな株主がいるかわからない。
ある意味アンコントローラブルな可能性に満ちた空間で、議長(多くの場合はCEOかと思う)が発言者を選び、株主との受け答えをする。
会場の雰囲気は、それぞれ一問一答により、展開・進行していく。
そんなあらすじの無いコンサートは、一通りの質疑を終え、決議に進む。
株主はそれぞれの決議事項に拍手を行い、承認が完了する。(実際の所は儀式的なものだが)
議長の閉会の宣言がなされ、経営陣は安堵する。
今回、個人的に興味があった事項として
commって最近どういうポジションなの?
という疑問があったのだったが、これは質疑で質問してた人がいた。
現時点では、それほど大きなリソースも使ってないし、ここで改めてCMとか出しても、
伸びそうも無いので、現時点大きく出る感じではない。というようなニュアンスを含んだ
回答だったと思う。
その他、成長企業は株主還元より事業投資が厚くていいんじゃないかという株主の発言にちょっと
ジーンと来るものがあった。
ともかく、株主総会というのは、株主が何を言い出すかわからないちょっとした緊張感と、
ときどき発せられる不協和音を、議長や経営陣、はたまたほかの株主がうまく調整しながら終了を迎える過程が面白いなと思った。
国とは何かふと考える時がある
私が思うには利害関係の共有グループのひとつである。
国として必要な要素、領土、国民、主権。
日本の場合、日本列島という地理的に連なった土地の中で主に同様の人種が生活して繁栄してきたので、
(近隣諸国に近い部分を除けば)視覚的にまあこの辺が日本かなと分かる。
しかし、陸続きの国のなると話はもう少し複雑だ。
国という単位である程度共通の宗教や言語を持っている場合もあれば、同じ民族や同じ言語を話す民族でも、分断されている国も存在する。複数の人種や宗教の人々が生活している国も多い。同じ民族でも戦争などにより、複数の国に分断されている国もある。
人種、言語、宗教が様々で、どこをその国の領域とするかだが。
主権が及ぶ範囲というのが一つのポイントなのかと思う。
日本で生活していると、国というのは、
ある面、税金を払うことで、軍事、医療、教育、などのサービスを提供する公共組織のようなもののように思える。
国とはどうあるべきなのだろう?
またはどんなサービスを目指すべきなのか?
ひとつは民主的であること。
これは大多数の人が支持できるものかと思う。
ただしそれを少し掘り下げ、国とは誰の為にあるべきなのか?
という事を考えると、これは人により意見が分かれる。
世の中に、善人と悪人がいるとして、両方を含めて民主的であるべきなのか?
それとも善人を中心として民主的であるべきか?
はたまたIQが高い人と低い人がいて、IQが高い人の意見を優先すべきだろうか?
あるいは身体的能力が高い遺伝子を優先すべきだろうか?
次に、大きな政府と小さな政府、どちらを目指すべきかというと、
これも人により考えが異なるだろう。
大きな政府は、政府が市場に介入し、国民を管理する。
小さな政府は、民間でできること。個人でできる事は個人の自己責任でやれというものだ。
私は元々はリベラル&小さな政府派なので、国の介入は最小限で、あとは自由に。を理想と考える。
ただこれには問題がある。
国民がちゃんと自己管理できない状況で、「はい、あとは自由にやってくださいね」という事にすると、そういう環境で力を発揮できる人がいる一方で、伸びない人もいるし、敗者も生まれる。
例をあげるなら、駄目人間をちゃんと受け入れる場所を社会として用意していないと、ダークサイドの組織が拡大してしまうという事である。
それをカバーする為には、社会全体で、保障やサービスを行う必要がある。
そこで、単純にリベラル&小さな政府だけではなく、その下に広く薄い社会主義の土台が必要だと思う。
そういう意味で言うと、昔、菅直人が言っていた
「幸福は個々人の価値観によって異なり、これは権力が関与するべきではない。
人の幸福とかに政治が関与するのは最低限でよい」 という「最小不幸社会」も、
表現がしっくりこないだけで実は同じなのかもしれない。
少しまたもどって、国とは何か。
映画ジャッキー・コーガンでブラッドピットが「アメリカは国家ではない、ビジネスだ」
という場面がある。
悪く言えばならず者が幅をきかせるビジネス主義の国だが
良く言えば、ビジネスが自由にできる社会とも言える。
例えば日本株式会社を考える。
とてもどん欲な組織 日本株式会社は、利益の最大化を中心に運営される。
世界中の資源を支配しようと企み、国民には重い税金、学習、労働、出産、移民の勧誘など様々な義務が課せられる。
主体は国民ではなく、国家という組織の繁栄という考えである。
さらに日本の繁栄ということで考えると、これまた人により意見が分かれる。
過去の日本(江戸、明治、昭和など)を残そうという人もいれば、自分が生まれた時点での環境に執着する人もいれば、進化にこそ意味があると考える人もいる。
で私の考えは国というのはその土地に歴史的に発生した利害関係の共有グループで、
以前書いた「個人と共同体」のエントリーように、個人は、国という所属に必ずしも固執せず、
思想的な共同体を選択するべきなんだと思う。
その上で、国というのは社会主義的なファンデーションをベースとしその上に資本主義的な枠組みを
提供するべきなんだと思う。
通勤電車の場合に顕著なのだが、電車は時刻や車両によってお客の層や、混雑具合などに傾向が存在する。
私の場合、だいたいいつも同じ車両に乗るのだが、たまに別の車両に変えると、1、2車両違うだけなのにやはり混雑してたりする。
車両の選択は単に、乗り継ぎのしやすさや、混雑の具合だけでなく、他に乗っている人の属性傾向もいくらか考慮して選ぶ事にしている。
もう少し属性の違いがわかりやすいのは、路線の違いだと思う。
若者の多い路線とか、お年寄りの多い路線とがビジネスマンの多い路線とか、路線により傾向がある。
どの車両に乗るかという選択は小さな違いではあるが、積み重なると時に意味を持つのではないだろうか。
例えばよっぱらいとか、マナーの悪そうな集団とか、浮浪者ぽい人とかが同じ車両にいると、
不快な思いをする確率が高いので、別車両に移動しておいた方が安全だと思う。
話はそれるが、変な人はなぜ見た目で変とわかるのかふと考えた。
まずは外見。服装、髪型、容姿、姿勢。浮浪者っぽい人はこれだけでも十分分かる。
次に。動き、しゃべり方、いる場所、臭い。これも見分ける要因である。
分かりやすそうな例として浮浪者っぽい人を取り上げたが、これに限らず、
人々は自分の属性を服装や動きで表現しているし、逆に属性や服装は当人の行動に影響を受けていると思う。
人は他人に影響を及ぼし、他人の影響を受ける存在として、何処に位置し、どう影響を受けるか。
そして自分はどのような影響を及ぼしているのか、ふと考える。
そういえば、少し前の土曜日。
始発近い電車に乗る事があった。プラットフォームには朝帰りの人々が多くいた。
ホームの隅に座っている人、頭を垂れている人、膝をかかえて寝ている人、その光景は駅のプラットフォームにあふれるゾンビ、といった光景でなんとなく面白かった。