まだ買ってないけど、iPhone派なので、ケータイとしてのAndroidには、実はあまり興味がない。
ただ、Androidは今後、ケータイだけじゃなく様々な家電や専用端末に搭載されると思っている。
家電アプリの開発には興味があって、いずれ何かアプリを作ってみたいと思っていて、
とりあえず安く使えるAndroid端末、Smart Q5を買ってみた。
Covia SmartQ5 (Android 日本語版)
amazonで19,800円
まず電源を入れてみる。
アプリが全然入ってないし、肝心の、Android Marketが入ってないのでこれじゃなにもできない。
なるほど、Coviaのサイトからファームウェアをダウンロードしてアップデートしたらいいのか。
というわけで、SDカードを買ってきて、アップグレード。
まだ使いこなせてないが、感想
・タッチパネルの性能が悪いのかペンでないと使いにくい。
・しかもペンを使っても、誤操作が発生する。
・サイドキーを使う操作とタッチパネル上で操作しないといけない場合があり、
両方の指での操作を必要とするので大変。
・SDカードが深くて、出し入れしにくい。
とはいうものの値段も値段だしまあしょうがない。
Androidの部分については制限の無さが、使いにくさに繋がっているという感じがする。
追記:
その後、Android marketも使えなくなってしまい、ほとんど使い道がなくなってしまった。
開発用とはいえ、もう少しちゃんとした端末を買ったほうがよいかなと最近思っています。
礫
テレビは、次は3Dだとか言ってるが本当は、電波による放送なんかさっさとやめて、インターネットテレビにシフトさせるべきなんだと思う。
テレビは見たいときに見れるようにすべきだ。
でも現在それを実現しようとすると、チューナーを複数搭載して力技で全チャンネル録画をしようという事になってしまう。これは馬鹿げている。
そもそも生じゃない番組をなんで全国同時に放送してみんなリアルタイムで見るのか意味不明だ。
見たい時間に見れればいいじゃないか。
それに映像にもっと付加情報がついててもいいはずだ。ニコニコ動画じゃないが、コメント欄があったり、関連情報から直接amazonに行って商品が買えてもいいはずだ。
CS放送にしても録画機とテレビ両方で視聴ライセンスが必要なんておかしい。
家電メーカーは今でもテレビを作ろうとしているが、パソコンメーカーは、パソコンでテレビを作ろうとしている。
そうするとケータイ電話と同じような事がおこる。
パソコンメーカーは家電メーカーが苦労して追加してきた機能を、パソコン文化の発想でそれを意図も簡単に実装してしまうのだ。
その結果家電メーカの製品が淘汰されてしまう。
音楽業界に起こった変化はテレビにもやってくる。
CDが売れなくなり、少数のアーティストが爆発的に売れる時代ではなくなり、レーベルの収益が減るという流れ。
いままで音楽を独占し、その利権で潤ってきた音楽レーベルに、インターネットが変化をもたらしたのだ。
出版も、テレビ業界もいずれはそうなる。
テレビ局は今すぐネット時代のテレビ番組のあり方をすぐに考え直すべきだ。
(たぶんソニーはわかっているのだろうが。)
家電メーカーは、パソコンベースでテレビを作るべきだ。パソコンベースでテレビの再定義が必要だ。
生活者は、テレビ利権による社会のゆがみを理解し、テレビの見方を変えるべきだ。
過去に囚われ続ける、テレビ局、家電メーカー、消費者は淘汰されるべき対象なのである。
日本がITで、遅れてしまった理由は一言で言えば殻に閉じこもってしまったからに他ならないだろう。
いいものを作れば売れた時代もあったが、その過去の栄光に囚われてしまったのだろう。
成功体験は捨て、次の時代に向けてやらなければならないことをやらなければいけない。
確かに、15年前、インターネットというものがどれほど重要な意味を持つものになるか理解できていた人は少ないだろう。私もそうだった。
しかし、10年前には、現在のような音楽や、映像がネットで提供されるような時代が来ることが想定できていた人はそれなりに多くいたはずだ。
しかし、今でもCDに関しては今でも数多くのレーベルがネットは嫌々よーといっている。
テレビも、書籍も、選挙や、公的サービスにしてもそうだ。
著作権、セキュリティー、プライバシー。
結局日本人は、先頭に立つことを拒んだ。
他の人がやるのを見ていて、先を行く人が現れても、あれは違反だ!あんなのだめだと言い、認めようとしなかった。
そんな日本を変えるのに一番実現性が高いのは、日本人が変わり、マスコミが変わり、そこで天才が登場して変わるという事。
日本人がいまのままで、保守的であるかぎり、いくら天才が現れても変わらないし、マスコミは日本人が変わらない限り変わらないだろう。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベーシックインカム(basic income)とは最低限所得保障の一種で、政府が全ての国民に対して毎月最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金(5万円-8万円程度)を無条件で支給するという構想
所得制限がないのは、単にシステムを簡素化するためである。
私としてはもちろん賛成。
ただし、これは最低限所得保障の一種であって、これであらゆる問題が解決するかというとまったくそんな事はないだろう。過大な期待は禁物だ。
私の考えはこうだ。
既に、食料を含め、大量生産、効率化により、働かなくても、楽しく暮らせる社会が実現可能な時代にある。
だから、今、ベーシックインカムを導入することで、以下の2つが実現に向かう事を望む
・低所得層でも飢えずに生きていける事
・不要な労働から人々を解放し、もっとやりがいのある仕事や趣味に時間を使えるように、ちょっとだけ社会が変わること
それだけである。
ベーシックインカムの実現は日本にとって必要なものだと思うが、それだけでなにもかもうまくいくというものではない。
東京に住んでいてこれは問題だなと思うのは、コンビニが多すぎる事である。
しかも今でもその数は増えている。
都市部の駅はどこを降りても同じ風景。
同じようなファーストフード店が並んでいる。
決ったメニューに想定内の味。
石田徹也 燃料補給のような食事
http://www.tetsuyaishida.jp/gallery/displayimage.php?album=2&pos=11
豊かさってなんなんだろう?
別に一人一人が個性的に生きるべきだとは全然思わないが、
あまりにも画一的だ。
とてもフラットな世界。
それについてはあまり不満はないが、すべて同じ型にはめるだけの社会が進行し続けるのなら、
我々はそれらと戦う必要がある。
人間が人間であるために。
現在生産工場は人件費がより安い地域へと流れている。
でもそれも一巡してしまえば終わりだ。
次に必要なのは、安く作る技術という事になっていくだろう。
安く作る技術を持った場所に再び、優秀な技術者が集まるようになり
新しい技術が生まれるようになるんだと思う。
今や、工業製品だけでなく自分で食べるものすら自分では作れなくなってしまっている。
人件費の安いところで作ればいいという考えは現在であって未来ではない。
これからは安く作る技術だと思う。
最近ゲーム内での有料アイテムが増えてきたような気がする。
ゲーム自体は無料だけれど、有料のアイテムがあるというパターンだ。
ある意味えげつないとも言えるが、無料でゲームに参加できるという点ではよい。
バーチャルな部分とリアルな部分の境界があいまいになってきているという部分でも興味深い。
一つ問題なのは、子供がよくわからずゲーム内の有料アイテムを購入してしまう事は問題だと思う。
これには、なんらかのガイドラインも必要だと思う。
少し前だとセカンドライフか、最近ではmixiのサンシャイン牧場など。
リアルを巻き込んだゲームが広まりつつある。
あまりゲームには詳しくないしいわゆるオンラインゲームもほとんどやったことないので、
いまさらなのかもしれないが、ゲームとリアルの連携って面白いなと最近思う。
仕様だけで見ると、iPadは、よく肥えたiPod touchにすぎない。
しかしiBooksや、今後登場するであろうこの端末に向けたアプリケーションやサービスを含めて考えると、新たな潮流につながっていくだろう。
個人的にではあるが
以前からタブレット型のMacを望んでいた理由は、
マウスを使うより画面で直接操作できるほうが直感的で自然だと思っているからである。
AppleのNetbookを望んでいた理由は、
最近のMacのノートパソコンは大きすぎるからである。
そして値段的にもNetbook的な価格の商品がでたらいいなあと思っている。
そういう意味で考えると、iPadはある意味待ち望んできたものではあった。
しかしその一方で、パソコンとしてはいくつか物足らない部分がある。
OSがMacOS Xじゃない、CPUがインテルじゃない、USBポートがない、といった点がそれだ。
それでもiPadが日本で発売されたらすぐ買うつもりだ。
今後iPadは一人1台持っておく事をおすすめできるような端末に進化していくだろう。
現在のノートパソコンは使い方が難しすぎる。
みんなが使えるパソコンでなんだろう?
多くの人にとって家で使うパソコンは、ネットができ、ネットを通じたサービスが利用できれば、それでいいのではないだろうか。
iPadはだれでも使えるパソコンというものに少し近づきつつあるパソコンだと思う。
学校なども含め、この端末がどんどん活用され普及するといいなあと思う。
ある問題に対して答えを出すのにしばしば多数決という方法が用いられるが、多数決が有効なのは、
その問題に対して投票する側がある程度の知識を持ち合わせている事と、正しい判断ができる状況にあるかが、
重要である。
たとえば、赤と白どちらかがあたりで、それをどっちにするか多数決で決めても、だれも答えをしらなければ、意味がない。
選挙にしてもそうだが、何人投票に参加しようが、解決しようとしている問題に対し何の知識もない人が参加しても、正しい解は得られない。
特に専門知識を多く必要とする問題を、知識を持たない人の集団で多数決をとると間違った方向へ進む可能性が強いと思う。
答えが深いところにあるのに、表面的な部分でしか捉えられないからである。
厄介だと思うのは、このような専門知識を必要とする問題が、浅いところで議論され、答えが出され、それが既成事実として広く浸透してしまう事である。
いったん根付いてしまった結論というのはそれが誤りだとしても覆しにくいものである。
問題の全体が見えているようなものは、みんなで議論すれば正しい答えにつながると思うが、
内容をよく知らないで表面的な所でみんなが勝手に答えをだして、それがあたかも正しい判断だと思うのは危険だと思う。
ポピュリズムが有効な場合と、誤ったポピュリズムの差はその違いなんだろうな。
読んである程度気に入った本は、メモとしてmixiのレビューとして残すようにしている。
そこで、ふと同じ本のレビューを書いている人の他のレビューから面白そうな本を探してみることにした。
同じ本に関心を持っている人は、他の本に関しても自分が関心をもちやすい本を読んでいる傾向にある。
ただし、レビュー数が多いものは単に流行った本なので、あまり役には立たない。
レビュー数がそれほど多くなく、ある程度同じような感想を持ったユーザーのレビューを見て、気に入ったものをひとまずクリップに移動させる。
作業が一段落したら、もう一度クリップした本のリストを見て、特に読みたいものをピックアップ。
Amazonの評価なども少し参考にしながら、カートに追加していき、予算の範囲で購入。
結局やっていることは、これを買った人はこんな本も買っていますという事なのだろうが、
この方法だと、関連性の枠を越えやすい所に面白味がある。
レコメンドの場合関連性が高いものをレコメンドしてくるはずだが、この場合一人の人の中の多様性の中から面白そうなものを見つける事ができる。
ただやってみてわかったのだが、多くの人は、かなり傾向が存在していて、意外と狭いカテゴリーの中で生きているという事である。
自分としても、特定のカテゴリーにとどまらず、もうちょっと広い範囲に目を向けないといけないなあとちょっと反省。