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5分前の世界

私の場合、平日、毎朝同じ時間に同じ電車にのり通勤している。
すれ違う人、電車で同乗する何人かは、見覚えのある人だ。
ちょっとした用事などで、少しだけ早く出社すると、電車の混雑具合や、
利用する人々の属性が変わってくる。

いつも乗る電車より5分前の世界。
例えば学生の通勤時間だったりすれば学生が多いだろう、
昼であれば、主婦とか同じ場所を通っていても時間帯によって人の層が変わってくる。
電車でいうと、乗ってくる駅、降りる駅、路線、時間色々な条件で利用者の層が異なる。
高齢者が多い地域もあれば、子供連れが多い地域もある。
そういう風に人は案外固定化された世界に留まっている。

もちろんそれが良い事もある。
ある程度価値観を共有できる人々の中でなければ、居心地が悪いし、疲れてしまう。
それでも世界は多様で、狭い範囲の閉じこもっていては、なかなか新しい発見も無いだろう。
電車でちょっと隣の駅で降りてみたり、いつもより5分だけ早い世界。
あるいはその反対に5分だけ遅い世界。
ちょっとだけの違いだが、意外とそんなところにも新たな発見があるのかもしれない。

富士登山

富士山を登って来た。
富士登山は過去に2回挑戦しているのだが、中学生時代に1回
登頂中、自分が高山病で断念。もう一回は家族が高山病で断念。
というわけで、3度目のチャレンジとなる。
今回は、吉田ルートで八合目に一泊、山頂でご来光というツアープランに参加した。
吉田ルートは比較的初心者向けとされており、尚かつ急いで登るより、ゆっくり登った方が、
高山病になりにくいとされているのがこのプランを選んだ理由である。
そもそもなんで富士山に登るのか。
かつて2度登れずに残念だった事。もっと年を取ってから登るのは大変だし、そのうち噴火でもしたら、
登れなくなるし、今のうちに登っておこうというのが主な理由である。
他にも、静岡で生まれて育ち、富士山というのが、比較的身近な存在だったのも理由かと思う。
早朝、新宿を出発、バスにのり、富士スバルライン五合目に到着。
いよいよ富士山を登る。
装備としては、
・リュックサック
・水2L
・アクエリアス 1L
・おやつ(チョコや、キノコの里)
・靴(登山用)
・ズボン(登山向けの半ズボンにもなるタイプ)
・長袖
・セーター
・日焼け止め
・雨具セット(レンタル)
・ヘッドライト(レンタル)
・ゴミ袋 3枚
・軍手
・トイレットペーパー
・ウエットティッシュ
・タオル(首に巻ける感じのもの)
・携帯酸素(あまり役にはたたないとされている)
ざっとこんな感じ。
妻は上記に加え
・サングラス
・登山ストック
・マスク
といった装備だった。
天気は良好、半袖で登る。
背の高い木々が生えているエリアはすぐ終わり、低木が生える景色へと移行する。
所々、上がるのが高い一段があり、勢い良く上がりたくなるのだが、
多少空気が薄い所では呼吸に影響を及ぼし高山病になりやすいといわれるので、呼吸を乱さないよう慎重に登る。
七合目 やや疲労感。
ゆっくり休憩を取りたくなるが、長く休みすぎても疲労感が増すそうで、ペースを保ちつつ登る。
宿泊する山小屋少し手前で渋滞。
かなりの行列。
近年の登山ブームもあり、かなり多くの人が富士山を登っている。
富士山は、高さこそ日本一ではあるが、道などはある程度確保されており、所々山小屋もあるので、もっと険しい山に比べれば、比較的簡単な装備で挑める山かと思う。
八合目山小屋到着。
だいぶ疲れて来たし、とにかく眠い。山小屋で夕飯を食べ、つかの間の就寝。
20時ぐらいに寝て23時ごろに起き、頂上に向け再び登山。
個人的には、一眠りしてからの登山はすこぶる快調。
ただし、暗いし、寒いし、岩場で足場も悪い上、風も出て来た。
頂上に近づくにつれ再び息苦しい登山となる。
ようやく山頂に到着、とにかく寒い。
山小屋がまだ開いてないので店の前で30分程並ぶ。
店があいて、ちょいかるく食事をとり、ご来光を見る。
風があって砂埃もつらいし、寒いし、とりあえずなんとか登れたので、あとは
早く帰りたい気分だ。
火口をちらっとみて、そそくさと下山開始。
大変なのはここからである。
半日ぐらいかけて登った山を、一気に降りるわけなのだが、滑りやすい砂利道で、砂埃が目に痛い。
日光という部分でサングラスは特に要らなかったが、土ぼこりよけという点では、眼鏡や、マスクが
あったほうが良かったなと思った。
ちなみに日焼けと防寒と言う意味では、首に巻いたタオルが結構重要で、これが無かったら
結構大変だったかなという気がした。
帰りはひたすら赤い砂地を、滑りそうになりながらひたすら下山。
富士登山のイメージは黒い岩地を登って行くイメージだったが、ふと火星に来たような気分になった。
登りよりはくだりの方が、運動量的には少ないと思うが、砂地の斜面を滑りそうになるのを気をつけながら
下るのはそれなりに足への負担は大きいし、なによりも既に疲労の蓄積により、じょじょに標高はさがってくるものの、まだ5合目までには付かず、こんなに降りたのにまだ半分かという感じで、
特に残り3kmぐらいがかなりしんどかった。
それに増して、アブやハチなどがまとわりついて来て、虫除け忘れた事に気づく。
無事下山し、バスの集合時間まで30分。
急いでソフトクリームを食べ、レンタルの雨具を返却。
帰りは、温泉によって帰るというプランで温泉によったが、
気分的にはさっさと帰りたい所ではあった。
とはいうものの、富士山では砂埃で顔や耳の中まで黒くなった。
ひとっ風呂浴びて帰るというのはまあよい選択肢なのかもしれない。
帰りのバスは途中渋滞にもはまりつつも予定通りの到着で、無事家路につく事ができた。
で富士登山はどうだったか。
山頂もしくは、7合目付近から雲海の様子。
下の方と上の方の気温差とか、それぞれに生きている植物。
ほぼ火星な帰り道。
一つの別世界を体験でき、尚かつ三度目にしてようやく頂上までいけたというのは、
とてもよかったと思う。

ロボットが人間を越えるとき

Evernote Days 2014 で石井 先生と、茂木 健一郎の講演を聞いてきた。
石井教授は、タンジブルユーザインタフェースなど、フィジカルなGUIの実現を目指している部分に関心があり以前より何度か講演に行っている。
今回 特に興味深かったのが、茂木氏の人工知能の話で、今後人間は、人工知能とどう共存するかという問いである。
現在 「ロボットは東大に入れるか」というプロジェクトが進行している。
端的に言えば、学力の物差しとして最高水準とされる東大の入試をコンピューターがクリアできれば、
人間の能力と同等かそれ以上というレベルと言われるだろう。
ロボットでもできるのに、人間がそれ以下の生産性でもって同じ事をするのにどんな意味があるのだろうか?
チェスでコンピューターが勝ってもチェスをやる人がなくなる訳ではないが、コンピューターの進化は、人を越える所で新しい意味を持つことになる。
人間の補助的なものであったものがいずれ、人間の能力を上回り、人間がそれをやる事の意味が変化する。
ロボットと人間とでそれぞれ得意分野がある。だからこれからの人間はロボットが苦手な事を理解し、そこに新しい活動分野を広げる必要がでている。
「ロボットは人を助けるもの」という概念は徐々に新しい転換期に突入しつつあり、
「ロボットを人が助ける」という逆転現象も一部では起こりえる。
例えば自動改札や、自動販売機というのは、主体は人間だろうか、機械だろうか?
企業や人間社会を支えるという意味では、ロボットが人を手助けている事に違いは無いのだが、
作業の大半を機械が行っていて、人間が補助的に介在しているという部分では、人がロボットを
助けていると言えるのかもしれない。
もし今後自我を持ったロボットが登場し、彼らがロボットの繁栄を願ったとき、
それ以降のロボット開発は人類の為ではなく、彼らの繁栄の為になりうる行為となるだろう。
茂木氏の講演の後の質疑応答で、人口知能は必ずしも人間の脳のシュミレーションではなく、
別のアプローチからも成立しうる点に触れていたが、
そう考えると、ロボットの思考は、人間の考える、哲学や思考とはだいぶ異なる、部分がでてくるのかもしれない。
そう考えると、彼らの思想、哲学はヒトのそれとは大きく異なりそうだ。
人類はこれまで地球のあらゆる資源を自らの繁栄の為に独占して来た。
しかしロボットが人間を越えた時、その独占は終焉を迎える。
その後は、資源をロボットと共有する、あるいは争奪戦を繰り広げる事になるだろう。

未来とは何か

このブログには、未来というカテゴリーがある。
なぜそんなカテゴリーがあるかというと、個人的に未来というテーマが好きだからである。
先日出かけた企画展「デザインバトンズ ~未来のデザインをおもしろくする人たち~」に出かけて、
ふと未来とは何かを考えたので、未来とは何かについて書いてみたい。
まず未来というと、どんなイメージか?
21世紀、SFのように空飛ぶ自動車(飛行機)とロボットそして自由な世界。
それが私の子供の頃の未来のイメージだった。
そして訪れた21世紀。
変化したのは、インターネットを通じて大量のデータが行き交い、それが社会に
影響をもたらしているという構図である。
フィジカルな変化より、データの流通変化が大きなインパクトをもたらした
という点で、これは予想外だった。
未来について語るとき、
未来は明るいか?という漠然とした質問がある。
いつの時代でも不安と希望がある。それはこれからも変わらないと思う。
だから未来を漠然と明るいか暗いかはあまり意味がない。
それでも未来というのは、可能性があり、変化があるという点で面白いと思える対象である。
未来とは何か
未来とは、その時生きている人たちのスペース

自然淘汰されない

都内の人通りの多い場所に立地している飲食店なのに、サービスの悪い店は多々ある。
都会の一等地に店を構えていると言う事は、一見すると、繁盛店→良い店のように思えるが、
実際にはそうでない事が多々ある。
簡単に言えば、人件費を削って、家賃の高さを補っているのと、サービスが悪かろうが、そこそこ人が入るという事なのだろう。
自然淘汰という言葉があるが、世の中には、悪くても自然淘汰されないものが、多からず存在する。
善し悪しというのは、繁栄とは必ずしも相関関係にない。
だから、自然淘汰されない悪いものは、淘汰しなければならないと思う。
そこで重要なのは、善し悪しを見極める個々の能力と、悪いものを排除する努力だと思う。
これを怠っていると、世の中は次第に悪い方向へ向かってしまう。
話は変わるが、東京オリンピックが決まった頃から
「おもてなし」とはなにか、親切とはなにかふと考える。困っていて助けてもらったら親切だ。
しかし困ってないけど、席を譲ってくれたり、頼んでいないのにティッシュをくれるのは親切だろうか?
これは時と場合による。助かるときもあれば、迷惑な事もある。
とかく海外から、来た人にとって、旅館や、ホテルのコンセプトは別として、
おもてなしのニーズって微妙だと思う。個人それぞれのニーズは色々なんだし、
困ったとき親切だったり、困らないよおうわかりやすい事は大事だけれど、
先に待ち構えていて、おもてなしというのはなんかちょっと違うよなあと思う。

インラインで失礼します

相手の内容の書いた文章を引用し、さらに文章の途中で返答などを書くときに、
この一文を入れる事がある。
別にインラインだから失礼という事はほとんどないのだが、
インラインにはイラっとくる文章に拍車をかける効果があるのではないかという例を
考えてみる。

今週も暑いですね。
いかがお過ごしでしたでしょうか 。
来週、淡路でスイカ割りを行うのですが、一緒にいかがでしょうか?
という文章に返信することを想定してみる。
【引用せず返信の例】
はい、今週も暑くて、扇風機が手放せなかったです。
来週は用事がありまして、またの機会にお願いします。
【インラインで返信の例】
>今週も暑いですね。
そうですね。
>いかがお過ごしでしたでしょうか 。
さあ何してたでしょうかね?
>来週、淡路でスイカ割りを行うのですが、
へえ
>一緒にいかがでしょうか?
やだ

まあ返信の内容がそもそも違うのだが、一言一言返信するとうざさが倍増と言えるのではないだろうか?
その他にもあくどいインラインメールの例をあげてみる。
・長いメールの内容を引用符をつけずに引用しなおかつ文章の途中に返信内容を書く。
・長いメールを全文引用して返信をその下に記載する。
・全文引用しての最後に一文字「で?」と書く。
・言葉尻をいちいち別の捉え方をして回答する。
・まとめて回答だけあればよい質問に、インラインで一問一答的に回答
次に、インライン返信を通常の会話におきかえてみる。
A.おはよう
B.今おはよっていったよね?おはよう
A.調子はどう?
B.今調子はどう?っていったよね?うーんどうだろう、いいのかなあ、
ちょっと悪い気もするし、でも昨日よりは良い気もするし、あーでも朝揚げ物食べすぎちゃって、
胃がもたれ気味だし…..。
というわけで、Aからしてみれば自分が言った事なのだからオウム返しされなくても、
分かってるって話だし、一文ごとに返信されても困る。
「インラインで失礼します」というのは、別にインラインが失礼だという事ではないのだが、
単純に、そこから下の内容はインライン形式で回答しますよという事を、先に示す為の
宣言であるというのが、私の見解です。

大掃除Tips

【電子レンジ】
意外と苦労したのが、電子レンジ、「激落ち」のようなメラミンスポンジで焦げを取ってなんとか掃除。
【風呂のドア】
あまり気にしてなかったのだが、風呂のドアに水垢のうろこが。
鏡もそうだが風呂場のうろこは一度できてしまうと取るのは至難の技。
普段から水滴後を残さないようにする事が大事だなと思った。
【窓ガラス】
窓ガラスの汚れは、明るくないと見えにくい。掃除は天気のよい日の朝からやるのが良さそう。
中性洗剤などで水拭き、水のふき取り、からぶきという行程でやるわけだが、
一番重要なのは乾拭き。ガラス用のクロスなども試してみたが、乾拭きは結局乾いたタオル地の
ぞうきんが一番良かった。
【レンジフード】
食器用洗剤で洗えばすぐとれるだろうと思ってたが意外と手強かった。
洗濯用洗剤で2回程つけおき洗い。
最後に食器用洗剤で洗って完了。
いままでは、アルミのレンジフードカバーを使っていたが今回は袋状でかぶせるタイプのに変更。
かぶせるタイプのはごわごわするので次回は貼るタイプにしようと思う。
【ガスレンジ】
メラミンスポンジと、食器用洗剤、シールはがしのような感じのクリーナーを使って掃除。
シールはがしのようなのは体に悪そうなので、使用した後、食器用洗剤と、水拭きでよく掃除して完了。
【排水溝】
排水溝関連はブラシが肝心。歯ブラシだとちょっと小さく時間がかかるので、
歯ブラシを大きくしたような感じのブラシが使いやすい。
まとめると、
ガラスや鏡の掃除は明るさ(天気のよい日中が良い)が肝心。
一度水垢が付くとどうにもならないので、水滴の跡は日頃から注意。
電子レンジもこげ跡になる前に、汚れたらすぐ掃除しておくのが大事。

2014年予想

昨年の予想から振り返るのが恒例だが、前回の予想はあまりにもさえなかったので、
今回はなしにしておこう。
【経済】
2020年のオリンピックという、短期の目標ができた事、円安、株価の回復、など日本経済にも明るい兆しが見えて来た。
政治問題、増税、など不安要素も少なくないが、去年に引き続き2014年も楽観的に見ている。
ただし経済の回復というのは多かれ少なかれ、バブルを生み、いずれはじける。
中国バブルの崩壊が迫る現在、それがいつ起きどんな影響を及ぼすかは分からない。
確実に経済が一直線で上向くとは考えにくく、注意は必要だと思う。
【テクノロジー】
いま目前に迫っている問題。
生活を取り巻くセンサーや電子機器。
例えば、パソコン、スマートフォン、Google Glass、監視カメラ、家電、あらゆるものがクラウドにデータを送信し、蓄積されたデーターをビッグデーター活用する流れが起きている。
プライベートな情報も含むそれらのビッグデーターは今後活用ニーズが高まってくるだろう。
匿名化などによりそれらの情報は、プライバシーを侵害しないような配慮が必要だが、実際問題、完全な匿名化は難しい。
例えば20人の村で、村民の年齢と体重の公表したとする。
20人それぞれ年齢がかぶってなければ、誰の体重か簡単に分かってしまう。
例え年齢がかぶっていても2人の体格が大きく異なれば、見た目で判断がつく。
個人情報をどこまで個人のものとすべきか?
企業はどのような手順を踏めばどこまで使用していよいか?
公共情報として個人の情報はどこまで収集してよいのか?
このあたりの課題は、テクノロジーの進化により改めて考えなければならない問題だと思う。
もっとも来年に限定した問題ではないが。
ビッグデーター活用は大きな問題でもある。
【WIndows XPサポート終了】
直ちにどうということはないのだろうが、サポートが切れたOSがインターネットに繋がっているという事は、社会的な問題かと思う。
プロバイダーで遮断、法律による禁止、サービス提供側(Webサービス)レベル、マイクロソフトのアップデートによりインターネットへの接続機能を廃止するとかいくつかの方法が考えられるが、比較的ゆるく手軽に実行しやすいのはWebサービスレベルによる制限かと思う。
【セキュリティ】
現在パスワードの使い回しにより、多くのサービスが標的になっている。フリーソフトによるアドウェア感染や、Webサイト閲覧からのウイルス感染も含め、ネットをとりまくセキュリティ問題は、解決に向かうどころかむしろ状況が悪化しているように思う。
生体認証を含む複数を組み合わせた認証により、単純なパスワードやパスワードの使い回しを許可しない仕組みが必要なんだろうなと思う。
今年に限った事でもないが、ハッキング被害が社会に与えるインパクトは今年も少なくなさそうだ。
【冷凍餃子事件】
2008年。それほど古くない事件だが、それから食品流通をとりまく環境は改善されたのだろうか?
食品物流に対する脆弱性はまだ残っており、対応が進まない限りまた繰り返される問題のように思う。

シリア内戦

シリア内戦、子どもの死者1万1000人超 英報告書
http://www.cnn.co.jp/world/35040414.html
終わりの見えないシリア内戦、何が正義で、誰が悪者なのか見えない複雑な構図の戦い。
国内の民族・宗派間の対立にとどまらず、支援国 アメリカ vs ロシアがあって 泥沼の戦いに拍車をかけているようだ。
私は世界がもっとフラット化し、混ざり合えば紛争は減るだろうと思っていたが、
シリア内戦やテロとの戦いを考えると、エリア分けできない戦いというのは泥沼の戦いになりやすいとも言える。
貧困、宗教上の対立や、思想の違いなど、大小色々な問題があるだろうが、人間同士で殺し合う事に価値は見いだせない。

風邪

過労なのか老化なのか体調不良でダウン。
そんなとき思うのは、健康に生活できている時間が、いかに重要かという事である。
QOLという意味でも健康でいる時とそうでない時の差はかなり激しい。
普通に生きていると、健康に生活できている事があたりまえで、そのありがたさを
感じる事はなかなか難しいが、体調をを崩すとそれを実感する。