最近思うのは景気が良くならない事ではなく、まだ底に達してない事である。
未来を悲観しなければならないのは、これが下り坂だからであって、なぜ下り坂なのかというと底に到達していないからである。
山にはどこか頂上があり、谷にはどこかに底がある。
人間の心理というのは不思議なもので、相対的な判断が前にくるので、すごい貧困でも以前よりよくなっていればそれで希望が持てるのである。
そう考えると、どの程度景気が悪くなるかより、いかに早く底に到達するかが重要なのかもしれない。
逆に底まで行ったらあとは上がるしかないんだから、気が楽だろう。
無理に小手先の努力でその場しのぎを続けて疲弊するよりは、あきらめる部分はあきらめていったん底に足をつけてそこから着実に上昇していくことが必要なんじゃないかと最近思う。
投稿者: tsubute
社会が豊かになると、一極集中から多様化が進む、多様化に答えるべく、様々な製品が登場する。
しかしその一方で多様化はミスマッチを招く。ターゲットが狭いという事は最小公約数的な製品である場合が多く、マッチしなければ、最大公約数的に作られたものより不便だと思う。
音楽で言うと、特定のミュージシャンに人気が集中していたものが、多くのミュージシャンに広がり、さらにインディーズまで広がった。
しかし、広がりすぎた多様化は多くのミスマッチを招く。
その結果、昔ヒットした音楽の焼き直しだったり、アレンジが流行るのだろう。
景気がよくないというのもあるのだろうが、消費者はより失敗しない商品を求めている。
昔の様に一極集中はないものの、以前に比べると冒険をしない無難な商品に集中しやすいようだ。
なるほど。
自分も含め、株で痛い目にあった人たちが、新興市場、FXに流れた。
サブプライム問題で打撃をうけた人はさらに新たな市場を求めて、商品、先物とかに移りつつあるのだろう。これで食品などが一気に上がる。ただ一段落して急落、急落はするが元の値段には戻らない。
急落して損をした人は、また再び先進国の株式に戻ってきそうである。
ただ、一連の流れはお金を分散させることに繋がる。いずれ、日本の株も上がる日が来るだろう。
ただし規模は下がると考えられるので昔程上がらないか、もしくは比較的リスクが低いと考えられる優良株に集するのだろう。
個人的にサブプライムで教訓だと思ったのは、リスクを分散しすぎると、リスクの規模が把握できなくなり、その結果実体の損失以上の損失を出す場合があるという事。
リスクを小さくして見えなくなるのは、リスクがなくなるというわけではなく、単にリスクを見失っているだけにすぎない。
リスクを分散させる場合は、損失が把握できる範囲で分散しなければいけないという事。
内閣支持率なんてのがあるが、その調査方法はブラックボックスである。
そんななんだか分からん数字がメディアを踊っている事自体が不可解だが、元々根拠も無い支持率が下がったのでどうこういうのもおかしい。
日本は、支持率85%とかいうロシアのような社会を望んでいるのかというと全然そんな事はない。
国民一人一人の意見を聞いてそれらを明らかにした上で政策を進めるべきであって、数字に誰かが勝手に理由をつけて解とするなどちゃんちゃらおかしい。
それはさておき、テレビの視聴率。
今や、テレビはHDレコーダーなどで録画しておきみたりみなかったり、ワンセグや、家以外で観てたりする事もあるだろうがそれらはどうやって測定しているのだろうか?
これまたテレビがそんな視聴率に依存してるのも変な話である。
まあ所詮そんなもんだ、と言えばそれまでなのかもしれないが、政治も、メディアもあるべき姿を見直すべきだと思う。
最近食品を含め様々なものの値段が上がっている。
一方、原材料の高騰を販売価格に実際転嫁できないという話もきく。
この原価の上昇を価格に反映できないというのは問題だと思う。
企業努力でカバーできるなら、そもそももっと値段が安くていい訳でそいういう問題ではないだろう。
結局価格のひずみを価格に転嫁できないと会社の経営破綻、不正行為につながるわけで、それは社会に不の連鎖を招く事になる。
勿論安定した供給と価格は重要だが、原料が上がっているのに価格が上げないというのは変である。
崩壊を招く前にひずみに対処すべきだと思う。
「まずは2008年予想」
年末に今年の予想を書いたが、もうちょっと具体的に予想したことを残しておく事にする。
年明け、早速株安だが、今年後半までは下がる傾向だと思う。
もちろん、オリンピックや、オリンピック後の中国ショックの影響で、一時的に日本に
目が向けら株価に反映されることもあると思うが今年後半まで株安は続くと思う。
原油高は何回かの上下を繰り返し少なくとも年内は上昇傾向へ進むと思う。
それにつられ、金やプラチナの価値も上がると見込んでるが、そのあたりは私欲も絡むので分からない。
トウモロコシ需要が加熱しているので、そういう視点からすると、なんらかの穀物が急に脚光を浴びて、
高騰するものが現れそうな気がする。とくに根拠は無いけど芋とかどうかな。
洞爺湖サミットもあるし環境熱は昨年以上にあがりそうである。
あとは、アメリカの選挙もあるし、日本も民主党が勝っても負けても政党としては大きな動きになる。
ただその変化が具体的な実社会にどの程度の影響を与えるかはわからない・・・。
ともかく不景気&インフレの年になるだろうが、個人的にはそんな社会情勢にふりまわされる事無く生活できるようにしたいと思っている。
「これから10年」
次にこれから10年をあるべき姿を元に予想する。
・物流、交通
物流のキーワードは無人化、高速化だと思う。
究極的には、物流パイプによって無人化・高速化を実現してほしい所だがさすがにあと10年では無理だろう。
ただせめて、都市部の道路を自動走行できる自動車やロボットを作り、物流を自動化して欲しいものである。列車、自動車、など交通に関しても、無人化を進めるべきである。
・食品
お隣の中国では、日本以上の農地がありマーケットが存在し、そうするとそこに食品は吸い込まれて行ってしまい、日本へ届かないという現象がおきる。
地産地消が見直されるべきである。そして国内で低コスト、安全、高速、な生産が行える体制を整えるべき。
・家庭用ロボット
従来の産業用ロボットとは異なり、生活の中で活躍するロボットの需要が高まる。
一家に一台のパソコンが一人一台になったように、一家に一台のロボットが訪れると思う。
当面ロボットの役割は、防犯、家電を管理すること、複数のパソコンや複数の携帯電話(家族など)の情報を管理する事だと思う。
とりあえずは、「家庭用ロボット=歩くホームサーバー」といったものになるのではないだろうか。
・メディア
さすがにそろそろ放送と通信の融合があってもいいと思う。
過去の放送をネット経由でいつでも購入できるようにするとか、テレビ内で気になったアイテムをテレビでそのまま注文できるとか、本は紙のものではなく、専用端末にダウンロードして利用できるようにするとか、一方的に情報を垂れ流すニュースとかどうにかしてほしい。
・政治
IT化の遅れている政治の世界だが、いいかげん選挙結果を民意と呼ばずに、それぞれの案件に対し国民全体にアンケートを行い、その結果を考慮の上、民主主義を実現して欲しいものである。
すくなくとも10年後には、それぞれの立候補者がどのような公約を掲げているのかネットで比較でき、投票も電子化されているべきである。
「Macが挨拶を発行しました。許可しますか?」
Appleの少し前のCMだが、実際Vistaを使ってみるとあーこれこれ。
と実感する。
何かをするごとに、「○○を許可しますか?」というアラートがでてくるのである。
そういえば、「金融商品取引法」も「保護」という名の「免責」をいちいち取るようになって。
そんなんだったら、いっそのことインターネットも、金融商品の購入も免許制にしたほうがいいと思う。
いやこれは、あらゆるものを免許制にする為の罠か?
世の中の大多数が、自分はちゃんと勉強してオウンリスクで利用するから・・・。という状態ならそんな規制、必要ないのだろうが。勉強しないで、勝手に損して、会社のせいだ、お上のせいだ。と言うから規制がどんどん増えていくんだろな。
KY(空気よめ、空気読めない)というのは、
言葉を発せず相手が自分の意志を察してくれる事を期待し、そうでない事に不満を持つ。
という事だが、思ってるなら言葉にしたらいいじゃんと思う。
勿論、状況や場面に応じた行動を求める事は悪い事じゃないんだろうが、それが「空気」という色も形も無いもので要求されるのは、村社会的でキモい。
人間関係というのは暗黙の了解によって築くのではなく、コミュニケーションによって構築していくものだと思う。
先日たまたま募金したので、一言。
新潟県中越沖地震は2004年新潟県中越地震から3年経つ2007に起こった地震である。
2度も被災した事はかわいそうだが、一度被災したのにも関わらず、補強などを行わず被害を受けたケースに関しては、どうなのかと思う部分はある。
あと柏崎刈羽原子力発電所の反対に関しても、原発の恩恵を受けている状態での反対には同意できない。
もし本当に反対なら、自家発電を導入するとか、代替エネルギーの利用に取り組んだ上で主張すべきだと思う。
被災者を自業自得だというつもりは無いが、自分の安全問題を他人にまかせっぱなしだと、いざ被害にあったときは自己責任と言われかねない。
個人のレベルではどうしようもないレベルの問題は社会や国家での助けが必要だが、個人で対応できる部分は個人で備えておくべきである。
–2016 追記–
東日本大震災前、それでも原発を日本で管理可能なテクノロジーだと思っていた。
今考えると、この時点で、もう少し原発の対策を見直していれば、福島原発の事故は大惨事には至らなかった可能性もあったかもしれない。
すでにその方向で進んでいるとはおもうが、原発の安全対策の見直しはもちろん、代替エネルギーの利用に国家も個人も動いていく必要があると思う。
当エントリーの趣旨としては、地震対策への備えを社会も個人も怠らないようにという教訓だが、
日時が不確定な事象に対する対策というのは、なかなか難しいという面もある。
とはいえ、地震とともに形成された日本列島に住むからには、相応の地震準備があってしかるべきだと思う。
最近、食べ物を燃料として使うのは違和感を感じるという意見を聞くが、私はむしろ「食べ物を燃料として使うのは違和感を感じる」という意見に違和感を感じる。
例えば、我々は毎日飲み水を風呂や、トイレなどで使用している。
木や植物にしたってそうである。人間が直接木を丸かじりする事はないにしても、それを餌とする虫や、動物、その他の食物連鎖を通して、生態系が成り立っているが、ヒトはそれを燃やして燃料にしたり、更地にしてビルを建設してきた。
石油にしたって、直接口に入れないにしても、現代の生命を支えてている要素である。
食べ物を燃料に使うのはもったいないと考えるなら、むしろこれまでのエネルギーをためらいもなく使用してきた事が誤りだったことに気がつくべきだと思う。
それともう一つ、我慢しないエコロジー、楽してエコロジーというのがあるが、それもちょっと違うと思う。
確かに、我慢するばっかりのエコロジーだと全体に広まるのは困難だし、そういうのも必要だと思う。
これはダイエットと同じで、我慢しないダイエット、楽してダイエットというのが間違っているというのと同じである。
もしかしたら、この先の未来、そんなダイエットが実現するかもしれない。
でも今はまだそうじゃないというのは、周りを見渡せばわかる事だ。
・環境を破壊しない生活習慣を身につける事
・環境を破壊した分を補う事
が、個人と社会に求められている。