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ロボットが人間を越えるとき

Evernote Days 2014 で石井 先生と、茂木 健一郎の講演を聞いてきた。
石井教授は、タンジブルユーザインタフェースなど、フィジカルなGUIの実現を目指している部分に関心があり以前より何度か講演に行っている。
今回 特に興味深かったのが、茂木氏の人工知能の話で、今後人間は、人工知能とどう共存するかという問いである。
現在 「ロボットは東大に入れるか」というプロジェクトが進行している。
端的に言えば、学力の物差しとして最高水準とされる東大の入試をコンピューターがクリアできれば、
人間の能力と同等かそれ以上というレベルと言われるだろう。
ロボットでもできるのに、人間がそれ以下の生産性でもって同じ事をするのにどんな意味があるのだろうか?
チェスでコンピューターが勝ってもチェスをやる人がなくなる訳ではないが、コンピューターの進化は、人を越える所で新しい意味を持つことになる。
人間の補助的なものであったものがいずれ、人間の能力を上回り、人間がそれをやる事の意味が変化する。
ロボットと人間とでそれぞれ得意分野がある。だからこれからの人間はロボットが苦手な事を理解し、そこに新しい活動分野を広げる必要がでている。
「ロボットは人を助けるもの」という概念は徐々に新しい転換期に突入しつつあり、
「ロボットを人が助ける」という逆転現象も一部では起こりえる。
例えば自動改札や、自動販売機というのは、主体は人間だろうか、機械だろうか?
企業や人間社会を支えるという意味では、ロボットが人を手助けている事に違いは無いのだが、
作業の大半を機械が行っていて、人間が補助的に介在しているという部分では、人がロボットを
助けていると言えるのかもしれない。
もし今後自我を持ったロボットが登場し、彼らがロボットの繁栄を願ったとき、
それ以降のロボット開発は人類の為ではなく、彼らの繁栄の為になりうる行為となるだろう。
茂木氏の講演の後の質疑応答で、人口知能は必ずしも人間の脳のシュミレーションではなく、
別のアプローチからも成立しうる点に触れていたが、
そう考えると、ロボットの思考は、人間の考える、哲学や思考とはだいぶ異なる、部分がでてくるのかもしれない。
そう考えると、彼らの思想、哲学はヒトのそれとは大きく異なりそうだ。
人類はこれまで地球のあらゆる資源を自らの繁栄の為に独占して来た。
しかしロボットが人間を越えた時、その独占は終焉を迎える。
その後は、資源をロボットと共有する、あるいは争奪戦を繰り広げる事になるだろう。

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