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カテゴリー: テクノロジー

平成を振り返る

平成が終わろとしている中、個人的に平成を振り返る。

1989年
国内人口:1.231億人
中国人口:11億人
世界人口51.857億人
日本のGDP:421兆円

2018年
国内人口1.277億人
中国人口:15億人
世界人口74.547億人
日本のGDP:557兆円

日本のGDPは2割ほど増えているが、人口は横ばい。
一方、世界の人口は1.2倍に増えた。
この30年間で世界は少しずつ変化、改善してきた。
テクノロジーに関しては、コンピューター分野での成長が著しく、コンピューターとそれを結ぶネットワークが世界全体を覆っている。

インターネット
多少記憶が曖昧だが、日本だと、Windows 95あたりから、徐々に広まってきた印象がある。
未来予測として、空飛ぶ自動車や、テレビ電話はだいぶ前からイメージできても、インターネットは予測できなかった
という点でも、語りつがれるべきポイントだと思う。

ベルリンの壁崩壊(1991)
世の中の壁が徐々に取り壊されていく。そういう世界を、予感させる出来事だった。

バブル経済崩壊
バブルの崩壊というのは、後になってみないとわからないものだが、経済というのは、実態と、そうではない部分がある。
経済や資本主義などについて、考える上でも、外せない出来事だったと思う。

オウム 地下鉄サリン事件 (1995)
世界は世紀末を迎えようとしていた。
当時の日本にはテロという言葉がなかったので、当時はテロとは言われていないが、今で言えばテロである。
いまでも通り魔的な殺人事件は存在するが、複数人が金目当てではなく、社会への復讐としてテロを企て、
実行した事件として考えると、日本でもそういうことが起きるのかという驚きの一方で、なぜ日本で起きたのか、
という視点も必要だと思う。

アメリカ同時多発テロ(2001)
戦争からテロへ。今でも紛争は存在するが、国同士の武力衝突はリスクや損失が大きすぎる。
とはいえ、世界の不均衡は解消されてはいない。

愛知万博開催
子供のころ、つくば万博に行きたかったけど、行けなかったという思いがあり、
愛知万博でようやく夢が実現したというのが個人的な感想であった。
箱モノ 批判もあるなかでの開催ではあったが、万博というのは少年少女に未来の夢を提示するという意味では重要な企画だと思う。

2025年の大阪・関西万博では、どのような展示されるのかはわからないが、
「大阪万博 1970」の残像を残しつつも、2025年における「未来の夢」を提示し、
人類の未来について、多くの人が考えるものになれば良いと思う。

東日本大震災(2011)
文明と災害という意味で、東日本大震災の被害は印象深かった。

福島第一原子力発電所事故(2011)
東日本大震災が、津波をもたらし、その後原発の電力供給に問題があり、メルトダウンを起こした。
理論上制御可能なテクノロジーであっても、現実的には人間の制御ではコントロールできないという史実として記憶にとどめておく。

アラブの春(2010-2012)
アラブにおける大規模反政府デモであったが、結局これが失敗したのは、政府を転覆させても、代替となる組織を立ち上げられなかったことと
言われている。
デモクラシー的なムーブメントも、代替案を出してそれを実行する能力がないと、なにも変わらないという教訓なのかもしれない。

あとがき
ふりかえってみると、平成30年間で日本は、課題先進国に向かって着実に進んで来たように見える。
世界も少しずつ良くなってはいるが、気象変動による災害がやや現実のものとなりつつある。
世界人口の中心はアジアに移動し、経済も欧米から、アジアに拡大していいる。
理想と現実は、やや異なる部分もあるが、かといって荒廃とした世界が延々と広がっているわけでもない。

我々は正しいと思った事を、可能な限り、可能な範囲で続けるしかできないし、そうあるべきなんだと思う。

ロボット・人工知能

現在、ロボット関連で特に関心をもっているテーマは
・生活を豊かにするためのテクノロジー
・人類の進化として、人間自身のスペック(仕様)はどうあるべきか?
・人工知能、ハイブリッド人間、アンドロイド、拡張アニマルなど多様な知的存在が
登場し、そこで利害が対立した場合、どのように戦争を回避するか。
である。

1つめは普通なので解説は飛ばして
人間の仕様を今後どうするかというのは、大きな課題である。
・映画「チャッピー」のように機械に乗り換える
・映画 MATRIXのように、仮想空間で生活する
・現状維持
・ロボコップのように、脳以外を一部機械化する
・遺伝子操作などで、別の形態にする
これ以外にもいくつかの選択肢があり得る。

ほぼ確実なのは、ロボットは形が自由、ロボットの身体性はかなり多様な形に進化するだろうという事。
現在の住環境が維持されていれば、従来型の、人間を含めた動植物も生存し続けるだろうが、環境が変われば、我々も仕様変更を迫られることになる。
例えば月で生活するとしたら、防護服を着て、基地の外で活動するのは不便じゃないだろうか。
せめて遠隔操作でVR的に活動するか、頭脳主体の身体+ロボットで、サロゲート的に
生活したほうが、何かと都合が良いのではないか。
続いて、それぞれの種族の対立について考える。
ロボットが自我を持った時、人類のどのような点が不都合だろうか。
ロボットがどのような欲求や目的を持つかによるだろう。
自我を持つのはロボットだけとは限らない、既存の動物も遺伝子操作で脳を人間に近づければ、言語を習得し、人権のようなものを主張したり、国家を宣言するかもしれない。
自分の能力(CPU)を高めることに貪欲な人工知能であれば、自分自身の頭脳を改良し、それらを動かすための膨大な電力が必要になり、人々をその改良のために働かせようとする一方で、無駄な電力の使用を行う人々を排除しようとするかもしれない。
人間と同じような生活をしたいと思うロボットであれば、多くのロボット映画のように、
人権のようなものを獲得するために、対立する可能性がある。
目的の違うロボットが生まれる事で、ロボット同士にも利害関係が発生し対立する事もあり得る。

で、人間はロボットとどう戦うか。
おそらく味方になるロボットもいれば、敵になる人間もいるだろう。
やがて知的生命体にもカンブリア紀が訪れ、多種多様な、知的生命と、知的機械が登場する。
基本的には、ダイバーシティを尊重するが、利害のズレによっては、対立はさけて通れない。

ということで、まとめ
我々は新たなカンブリア紀を生き残るために、新たな進化が必要で、おそらく姿形も変更を迫られるだろう。
生物と、知的存在のダイバーシティを尊重しつつも、利害が対立した際、我々の種と哲学を
持続的に継続、繁栄できるようにする必要がある。
そのためには、良き人間と、良きロボットとは何かを問い続ける必要がある。

21世紀らしからぬ風景

選挙 電子投票が進んでいない
機械化といえば、せいぜい投票用紙を機械で読み取っているぐらい。
新幹線のチケットをネットから取るのが難しい、複雑
国内なのに、「東日本」「東海」「西日本」などサービスが分断されていてネットでの予約が面倒。
なんだったら窓口で買ったほうが楽なんじゃないかというぐらい、使いにくい。
電子機器、家電が連動しない
そろそろスマホ一つで、全家電を、操作・管理できてよいと思うのだが、メーカーの足並みはバラバラなので、
なかなかうまいように連動しない。
防災無線・広報 スピーカー
家によっては、よく聞こえない、場所によってはうるさい。地域の広報スピーカー。
地域によってはメールで通知してくれるサービスがあるようだ。
今後は、防災アプリ、LINEなどといった、幅広く利用できるように連携できると良いと思う。
自動運転
毎日多数の自動車事故が発生しているが、自動運転になったら、事故はだいぶ減らせると言われている。
パスワード
あらゆるサービスがパスワードをいちいち要求してくる。
認証端末と連動して、もう少し認証を簡易化すべき。
ポイントカード
無駄に増えるポイントカードこれはなんとかしがたい。
Tポイント・Pontaポイントあたりに多少は集約されてはいるものまだまだである。
モバイルSuica
さすがにそろそろ、iPhoneにモバイルSuica搭載搭載してくれよと思うのだが、
実現するには、iPhoneも改札側も今後も対応を進めない限りは実現できないわけで、
実現する頃にはiPhoneが下火になっていても不思議はない。
モバイルSuicaの何が便利かというと、オートチャージはカード型でもできるとして、家計簿連携ができて便利なのである。
クレジットカード
クレジットカードもいつまで16桁の数字にたよっているのだろう。
若干は進んでいるようだが、2段階認証あたりで、リアルもネットもセキュリティを強化してほしいものである。
SPAMメール
なんだかんだいって増える一方である。

ロボットが人間を越えるとき

Evernote Days 2014 で石井 先生と、茂木 健一郎の講演を聞いてきた。
石井教授は、タンジブルユーザインタフェースなど、フィジカルなGUIの実現を目指している部分に関心があり以前より何度か講演に行っている。
今回 特に興味深かったのが、茂木氏の人工知能の話で、今後人間は、人工知能とどう共存するかという問いである。
現在 「ロボットは東大に入れるか」というプロジェクトが進行している。
端的に言えば、学力の物差しとして最高水準とされる東大の入試をコンピューターがクリアできれば、
人間の能力と同等かそれ以上というレベルと言われるだろう。
ロボットでもできるのに、人間がそれ以下の生産性でもって同じ事をするのにどんな意味があるのだろうか?
チェスでコンピューターが勝ってもチェスをやる人がなくなる訳ではないが、コンピューターの進化は、人を越える所で新しい意味を持つことになる。
人間の補助的なものであったものがいずれ、人間の能力を上回り、人間がそれをやる事の意味が変化する。
ロボットと人間とでそれぞれ得意分野がある。だからこれからの人間はロボットが苦手な事を理解し、そこに新しい活動分野を広げる必要がでている。
「ロボットは人を助けるもの」という概念は徐々に新しい転換期に突入しつつあり、
「ロボットを人が助ける」という逆転現象も一部では起こりえる。
例えば自動改札や、自動販売機というのは、主体は人間だろうか、機械だろうか?
企業や人間社会を支えるという意味では、ロボットが人を手助けている事に違いは無いのだが、
作業の大半を機械が行っていて、人間が補助的に介在しているという部分では、人がロボットを
助けていると言えるのかもしれない。
もし今後自我を持ったロボットが登場し、彼らがロボットの繁栄を願ったとき、
それ以降のロボット開発は人類の為ではなく、彼らの繁栄の為になりうる行為となるだろう。
茂木氏の講演の後の質疑応答で、人口知能は必ずしも人間の脳のシュミレーションではなく、
別のアプローチからも成立しうる点に触れていたが、
そう考えると、ロボットの思考は、人間の考える、哲学や思考とはだいぶ異なる、部分がでてくるのかもしれない。
そう考えると、彼らの思想、哲学はヒトのそれとは大きく異なりそうだ。
人類はこれまで地球のあらゆる資源を自らの繁栄の為に独占して来た。
しかしロボットが人間を越えた時、その独占は終焉を迎える。
その後は、資源をロボットと共有する、あるいは争奪戦を繰り広げる事になるだろう。

家電で考える身の回りのあれこれ

・テレビ
大半は録画で、別のテレビの内蔵HDDから、DLNAを使って、別のテレビで見る事が多い。
HDD内蔵テレビが良いのは、リモコンひとつで録画番組を操作できる事である。
DLNAでの配信はうまく接続できない時や、録画した番組の最後が尻切れになったりと
いまいちな部分はあるのだが、冬はこたつでテレビがいい。
・冷蔵庫
省エネ的な観点だともっと大きな冷蔵庫にしたほうがよいらしい。
ただ大きくしても食べ物があまりそうだし、無駄に色々なものを冷やしてしまいそうなので、
現状小さめの冷蔵庫を使っている。
そもそも論としては単身向けの冷蔵庫もメーカーがちゃんと省エネにするべきかと思う。
・スキャナ
ハンディサイズのスキャナを使っている。
印刷物って後で読みたいかもと思うとなかなか捨てられない。
そこで、とりあえずスキャンして捨てる事にしている。その都度スキャンするのも大変なので。
「後でスキャン」という箱に入れておき、月一回ぐらいまとめてスキャンしている。
・掃除機
掃除にはルンバと、ハンディ掃除機、クイックルワイパーを合わせて使っている。
ルンバが良いのは、自動で掃除してくれる事意外に、部屋をある程度片付けないと使えないので、
“部屋を片付けよう”という気になる点が良い。
・こたつ
冬はこたつがいい。暖まるまでの時間が早いし、暖房のように部屋全体を暖めるなどという発想ではなく、冷えた足を冷やすという極めて合理的な思想に基づく設計である。
最近はフラットヒーターのこたつもあるようなので、来年少し余裕があればフラットタイプに換えたいものである。
・扇風機
少ない電力で涼を得る為の合理的な家電である。
扇風機を選ぶ時の私なりの基準は、寝るときにも使うので静かで、弱い送風モードがあるかという点である。
・パソコン
家で最後に買ったデスクトップはカラフルなiMacでそれ以降はずっとノートパソコンである。
旅行や実家に帰る時など以外で外に持ち出す事は少ないが、家の中では色々な所に移動させて使うので、
ノートパソコンは便利だなと思う。
・タブレット
机以外でネットをしたり電子書籍を読むのに、たまに使っている。
Xperia Tablet Z(Wifi版)が欲しいけれどちょっと高すぎるから我慢だなあ。
・スマートフォン
現在の利用の大半は、Twitter,Google+を読む事、Suica、LINE、道順・乗り換え検索、音楽、その他Webブラウジングである。
普段、鍵や財布やカード入れを持ち歩いているけれど、理論的にはスマフォに代替可能なのだからさっさそなってくれればいいのにと思う。
・目覚まし時計
アラームを使う事はほとんどないが、目覚まし時計には多少こだわりがある。
アラームがセットされている事が一目で分かる事と、アラームを一発で止められる事である。
・テプラ
ラベルを付けるのに便利である。モノに名前を付けたり、空間を定義するのは意外と面白かったりする。
・洗濯機
家に備え付けの洗濯機なので、選択の余地はなく、そのまま使っている。
普通に洗濯できるので問題はないけれど。
振動が下の階に響かないようにもう少し防音強化したいのだが、ビルトインでスペースが最小限に区切られてしまっていて、それもできないのも不満である。
・空気清浄機
今年は花粉が大量放出というわけで、一時稼働させているが、普段はあまり使っていない。
そもそも空気清浄機は本当に空気を清浄しているかどうか分かりにくい。
・シュレッダー
住所や、氏名が記載された書類の大半はシュレッダーにかけるようにしている。
ただ、これによりなにか効果が得られるわけではないので、空気清浄機以上になんのメリットが
あるのか分かりにくい電化製品の一つではある。

個人情報は誰のものか?

グーグルによる個人情報の収集に関してが分かりやすいと思うが、個人情報は誰のものかという
問題は、今後大きな課題になると思う。
既に個人の行動を特定できる情報は至る所に電子的に記録されている。
電話の通話や通信、購入履歴、預金、インターネットの通信履歴、防犯カメラ、駅の改札記録、電気・ガス・水道の使用履歴。
例えば、画像認識で購入者の年齢を推定しておすすめを表示する自動販売機がある。
これは誰が買ったかというものを特定するためのものではないが、推定年齢と購入した商品の関連付けが行われてそれが利用されているはずである。
他にも、防犯カメラ。
現在、あらゆる所に防犯カメラが設置されているが、それがどのように利用されているかも明確にされてないし、そもそもそこに存在するかどうか分かりにくいものもある。
最近では移動物、例えば自動車にもカメラが搭載されていたりする。
更にグーグルグラスのように動く人がとらえる映像を録画していくとどうだろう?
記録されるデーター全体も爆発的に増えるし、個人が利用する事でさらに広い用途に利用されるものと考えられる。
話は戻って、個人情報は誰のものか?
おそらく、他には誰もいない無人の島で一人で生きているなら個人情報はその人のものである。
以前にも書いたが、所有とは誰の邪魔もされずにコントロール可能な持ち物の事だと思う。
様々な制約があり、自由に扱えないものは所有ではなく借り物なのだと思う。
社会(コミュニティ)に参加するには、なんらかの個人情報を社会に提供する必要が生じる。
まず生まれたら、役所に出生を届け出て記録される。
要するに私の考えはこうだ。
個人の情報はある程度本人が所有しており、他人がその情報を使って良いかどうかは本人に決定権があると思う。
ただしコミュニティに参加する場合は、ある程度の個人情報を提供する事は必要だと思う。
コミュニティにより必要とする個人の情報やその程度は異なるだろうが、少なくともそのコミュニティが
秩序を保つためにはある程度の個人情報が必要だと思う。
一方、他人の個人情報を自由に収集したり使用して良いだろうか?
収集は自由と言えば自由だと思うが、それでもやはり収集されればそれは別の形で利用される可能性があるのだから、原則的には収集について本人が知る事ができる状態にする事が必要だと思う。
利用については、原則的には本人の同意を得て利用する事が望ましい。
それがある程度匿名化を行い個人を特定できなくしたデータとしてもである。

コンセンサス

昨年12月、TRONSHOW2013 の坂村教授の基調講演を聞きにいって来た。
今回の講演でもっとも印象的だったのは、「グーグルだけでなくみんなで考えよう」というものだ。
グーグルは、インターネット上のあらゆるホームページを収集しインデックス化を行い、様々なキーワードに応じてそれにあった検索結果を出すシステムを提供している。
現実空間を人力で撮影しながら、情報を収集し、グーグルマップとして提供している。
そして、Googleは無人自動車を開発中だが、これが実用化すれば、リアルの世界の自動情報収集が進むだろう。
しかし、これには様々な問題が付随する。
情報収集されたくない人はどうしたらよいのか、取得した情報はだれのものかなど、ルール作りの問題や、権利関連の問題などである。
例えば、防犯カメラは、一般的に個人情報と呼ばれる住所、氏名、電話番号を収集するものではないが、明らかに個人を特定できる情報を収集している。しかもそれがいつどのような形で使用されているか、収集される側は把握できていない。
防犯カメラについてあまり詳しい知識はないが、おそらく今後防犯カメラはネットワーク化されていくだろう。(例えば大手警備サービスに集約されるというように。)
そうすると一つの企業が広範囲で個人の動きを把握する事が可能になる。
(現状は知らないが、技術的には可能になりつつあるはずである。)
犯罪者を追跡にするのに使うのはよいとして、その仕組みを広告に使うとしたらどうか?
国がデータを管理するようになり、国民の行動把握に使うとしたらどうか?
グーグルなどの企業がデータを収集し、分析し、他の企業に商品の販売に貢献するデータとして売るのはどうか?
アマゾンやグーグルがネット上のユーザーの行動を分析し、それらが巨大な利益をもたらしているように、
リアルの世界でも、人々の動きを把握し分析する事は利益を生むし、使われ方によっては危険でもある。
ともかく、今グーグルで進行しているような、個人の持つモノや、自分自身の情報を、
吸い集めて、加工し、情報を利用するという動きに対して、
Tron projectのように、オープンな計画に市民が参加して、一緒に考えるという事が重要なんだと思う。

心地よいつながり、居心地の悪いSNS

先日散髪に行ったとき、床屋さんがFacbookで、昔の同級生から友達申請がきて、
許可したくないのに間違って許可しちゃって…。という話を聞いた。
その後ふと、居心地の良いSNSと居心地の悪いSNSについて思いついたので書いておく。
人間関係に基づく居心地の悪いSNS
既存のリアルな世界では、自分の選択に関わらず、親や兄弟親戚がいて、育てられる、
そのうち教師や、同級生、上司がいて、同僚がいる。
我々は人間関係に基づくつながりを運命的に受け入れていて、それに適応している。
だから、この人間関係に基づくつながりのすべてが不快なわけではない。
ただ、自分の関心に関係なく、一方的な結びつきというのは、窮屈なものである場合が多い。
関心や、共感に基づく心地良いつながり
年齢、性別、風貌、地域、など物理的な境界に閉じ込められたつながりではなく、
単に関心や共感にひもづけられたつながりは、そこで定義されたクラスタの中でコミュニケーション
している限り、およそ、ここちのよい場所だと思う。
逆にリアルの人間関係では、自然とつながりが消えるけどSNSでは特に関心もつながりもないのに、SNS上で友達としてつながり続けている事が少なくない。
時が経てば、人の関心は別のものに移ったりするものだ。
SNSは一つあれば良い、mixi一人勝ちとも言われていたのに、なぜ廃れたかといえば、時間の経過とともにその場所が、居心地の悪いものになっていったからだろう。
居心地の良いSNSからみると、リアルの世界は、何とも不条理で、居心地の悪いつながりに満ちている。
ネットは理想的な世界を構築する為に進化していて、多くの人に夢と希望をもたらすものだ。
そんなことを言うと、現実逃避のひきこもりみたいな感じなので、付け加えておくと、
インターネットやモバイルデバイスを通じて開かれてきた、新しいつながりは、まだまだ
はじまったばかり。これらが、これからの世界にどのような影響をおよぼすかは計り知れない。

いくつかの未来

・壁や床がディスプレイに
現在液晶の低価格化が進んでいる。
おそらくこのまま低価格化や、薄型、大型化が進めば、壁掛けテレビではなく、
壁や床自体がテレビ(ディスプレイ)になるのは時間の問題だと思う。

・どこでもオンライン
グーグルメガネのように、スマートフォンはさらに進化する。
手で操作するものから、手で操作せずに音声やその他の方法で操作したり、受動的に情報が提供されるようになる。
モバイルは持ち運ぶコンピューターというより、身につけるものとなるだろう。
場合によっては、環境の一部としてwebサービスが提供され、身につける必要すらない場合もあるだろう。

・ロボットと生活
ロボットの社会進出が進み、街で動くロボットを見かけるようになる。

・道路
自動運転の自動車が走行するようになる。

・物流
物流が自動運転ロボットによって自動化される。
つまり商品などの発送からはじまり、家のポストや宅配ボックスまでが、全自動化される。

・仕事
多くのロボット進出により、既存の仕事の多くが減少する。
ファーストフード店や、コンビニ、運送業などは特に大きく影響を受けるだろう。
これはほぼ決まった未来の事である、いまのうちに考慮しておく必要がある。

Google Glass(グーグルメガネ)が社会に与える影響

他でも書いたが、Google Glassは単に
・スマートフォンをハンズフリーで使うためのもの
・ARを使った表示
という表面的な機能の目新しさより、社会的な影響を及ぼすかもしれないという事を、ここに書き記しておきたいと思う。
・人々のGoogleロボット化
現在Googleはインターネット上のあらゆるサイトをクローリングし情報を集め、検索結果を提供している。
そしてネットだけでなくストリートビューのように、リアルの世界も撮影機材を使ってクロールしている。
現在この作業は人の手によって行われているが、いずれはロボットが自動的に巡回撮影を行うようになるだろう。
それに加え、グーグルメガネを普及させたらどうだろう?
そこから収集できるデータを活用できれば、広範囲に細かくリアルの世界をクロールできる。
最も、Androidケータイがそうであるように、当面Googleが端末から、情報を収集する事はないだろう。
ただ、それが技術的には可能で、それを行う事で巨大な、ビッグデータを得る事ができ、おそらくそれはなんらかの価値を生み出す事が推測できる。
・監視社会(歩く防犯カメラ)
カメラ付きケータイやTwitterの普及は、事件が起こると撮影機材を持って、記者やカメラマンが向かい、それをマスメディアを通じ多くの人が情報を得るという、従来の情報の流れを変えつつある。
情報は瞬時に個人がネットに流し、それをネットメディア、マスメディアが拡散する。
録画や録音は現在の多くの人々にとって一時的な行為であるが、グーグルメガネが普及すれば、
それは、継続的に行われる可能性もある。
これにより今まで、見過ごされていた小さな問題も含めて、記録され、突如公開される可能性もある。
・ライフログ
自分が見たものを継続的に記録し、自動的にタグ付けされ容易に検索できるようになると、
トータルリコール(完全記憶)のような事が実現するかもしれない。
これは良い点もあるが悪い点もある。良い点は忘れなくなる事である。
悪い点は忘れなくなる事である。自分にとって不要な記録は削除すればいいわけだが、
他人にも同様に記録が残っているわけで、そこに不都合な記録が残り続ける事もありうる。
既に街は防犯カメラで溢れており、電子化された世界で、人々の活動は電子的に記録されている。
ただこれはまだほんの入り口である。
人々が好まざるとも、社会はあらゆるものを記録する方向へ向かうだろう。
たしかに始めは息苦しさを感じるかもしれなが、そのうち慣れるだろう。
そんなもんである。
もしそれがどうしても耐えられないなら、名前を捨て、社会を捨て、誰とも会わずひっそり森の奥深くで暮らす以外にそこから逃れる方法はない。
重要なのは人々が大きな心で現実を受け止める事である。
大きなフレームワークを作れば、多くの人々にとっては、別段不自由を感じない住み良い社会になるはずだ。
逆に、もし小さな嫉妬や、細かな規律で他人を縛ろうとするならば、人々はさなぎのように生きなくてはならなくなるだろう。