10年後Appleの最大の失敗は、iPod iPhone iPadの成功により、さらに大きな市場に気がつかなかった事。と言われるかもしれない。
Androidケータイは、現状、iPhone以上のユーザーエクスペリエンスをもたらす事は難しい。
ハードウェアが、サードパーティーによって提供されているので、端末によって差がある。
自由度が大きい反面、統一化されていないので、Androoidで動くアプリケーションに不便さや、
Androidは、いまいち使いにくいという感想をユーザーが持ってしまう可能性がある。
それでもAndroidの可能性は、ケータイにとどまらない。
むしろその可能性は家電や家庭用ロボットなどに広がっていくだろう。
今後あらゆる電化製品にAndroidが搭載されていくだろう。
しかしなぜWindowsでもMacでもなく、Androidなのか。
それは、オープンだからである。
TRONもあらゆる組み込み系の電子機器で利用されていると言われているが、
オープンだからである。
しかし、ただオープン、フリーというだけではだめである。
デベロッパー支援、ブランド力、信頼も必要である。
まだAndroidは、ブランド力も信頼度も確立されていないが、
今後多くのデベロッパーやユーザーの支持を獲得していけば、その普及は急速に進むだろう。
iPhoneアプリや、mixiアプリを見て思うのは、これからの電化製品に必要なのは、
・ネットワークに繋がる事
・ユーザーが好きなアプリケーションを追加できる事。
しかも有名な企業のものから、一般のユーザーが作成したような様々なアプリケーションから
好きなものを検索、選択できる事。
だと思う。
投稿者: tsubute
久々に酒鬼薔薇事件の話題がニュースにあがっていたので、この事件について考えてみた。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=神戸連続児童殺傷事件&oldid=31088118
>1997年に兵庫県神戸市須磨区で発生した当時14歳の中学生(以下「少年」と称す)による連続殺傷事件
当時思ったのは
・通り魔的な殺人事件は捕まりにくい(時間がかかる)
・中学生でも連続殺人事件を起こせるという事
・本当に全部一人でやったのだろうかという疑問
といった事で、これらは今でもそう思う。
実際、この事件の前と後とで変わったのは、
「なんでもないような中学生が連続殺人をおこす事がありえる。」
というのが、定説となったという点だろう。
それ以外は以前となんら変わりがない、
たしかに少年法は改正されたが、同様の事件が起こらないようになったわけではない。
最も重要なのは、そのような事件を未然に防ぐ事だと思うが、
現状決定的な対策は見つかっていない。
ただそういった現状で、ひとつ言えるのは、
なんでもないような中学生が連続殺人をおこす事がありえる。
という事を覚えておく事かもしれない。
同じく過去の事件で覚えておきたいのは、地下鉄サリン事件
これにより日本でもテロは起こるという事が確かになった。
事件当時はテロという言葉すらなかったような平和な日本だったので、
日本でテロといってもあまりピンと来ない人もいるだろう。
しかも、もっと言えば、
数年前におきた、秋葉原無差別殺傷事件もある意味自爆テロだろう。
思うのは、誰でも殺人を犯す可能性はあるし、被害者になる可能性もあるという事。
ただ多くの場合は、殺人に至るまでの過程というものがありその過程のどこかでストップを
かける事ができれば、事件は減らせるかもしれない。
そういう点からすると、重要なのは犯罪の成長を察知して途中で犯罪の芽を摘む事なんだと思う。
世間に無関心でいながら、犯罪が起きてから、被害者に同情して、加害者を非難するだけという
現代の犯罪と大衆との関わり方は、問題だと思う。
まだ買ってないけど、iPhone派なので、ケータイとしてのAndroidには、実はあまり興味がない。
ただ、Androidは今後、ケータイだけじゃなく様々な家電や専用端末に搭載されると思っている。
家電アプリの開発には興味があって、いずれ何かアプリを作ってみたいと思っていて、
とりあえず安く使えるAndroid端末、Smart Q5を買ってみた。
Covia SmartQ5 (Android 日本語版)
amazonで19,800円
まず電源を入れてみる。
アプリが全然入ってないし、肝心の、Android Marketが入ってないのでこれじゃなにもできない。
なるほど、Coviaのサイトからファームウェアをダウンロードしてアップデートしたらいいのか。
というわけで、SDカードを買ってきて、アップグレード。
まだ使いこなせてないが、感想
・タッチパネルの性能が悪いのかペンでないと使いにくい。
・しかもペンを使っても、誤操作が発生する。
・サイドキーを使う操作とタッチパネル上で操作しないといけない場合があり、
両方の指での操作を必要とするので大変。
・SDカードが深くて、出し入れしにくい。
とはいうものの値段も値段だしまあしょうがない。
Androidの部分については制限の無さが、使いにくさに繋がっているという感じがする。
追記:
その後、Android marketも使えなくなってしまい、ほとんど使い道がなくなってしまった。
開発用とはいえ、もう少しちゃんとした端末を買ったほうがよいかなと最近思っています。
テレビは、次は3Dだとか言ってるが本当は、電波による放送なんかさっさとやめて、インターネットテレビにシフトさせるべきなんだと思う。
テレビは見たいときに見れるようにすべきだ。
でも現在それを実現しようとすると、チューナーを複数搭載して力技で全チャンネル録画をしようという事になってしまう。これは馬鹿げている。
そもそも生じゃない番組をなんで全国同時に放送してみんなリアルタイムで見るのか意味不明だ。
見たい時間に見れればいいじゃないか。
それに映像にもっと付加情報がついててもいいはずだ。ニコニコ動画じゃないが、コメント欄があったり、関連情報から直接amazonに行って商品が買えてもいいはずだ。
CS放送にしても録画機とテレビ両方で視聴ライセンスが必要なんておかしい。
家電メーカーは今でもテレビを作ろうとしているが、パソコンメーカーは、パソコンでテレビを作ろうとしている。
そうするとケータイ電話と同じような事がおこる。
パソコンメーカーは家電メーカーが苦労して追加してきた機能を、パソコン文化の発想でそれを意図も簡単に実装してしまうのだ。
その結果家電メーカの製品が淘汰されてしまう。
音楽業界に起こった変化はテレビにもやってくる。
CDが売れなくなり、少数のアーティストが爆発的に売れる時代ではなくなり、レーベルの収益が減るという流れ。
いままで音楽を独占し、その利権で潤ってきた音楽レーベルに、インターネットが変化をもたらしたのだ。
出版も、テレビ業界もいずれはそうなる。
テレビ局は今すぐネット時代のテレビ番組のあり方をすぐに考え直すべきだ。
(たぶんソニーはわかっているのだろうが。)
家電メーカーは、パソコンベースでテレビを作るべきだ。パソコンベースでテレビの再定義が必要だ。
生活者は、テレビ利権による社会のゆがみを理解し、テレビの見方を変えるべきだ。
過去に囚われ続ける、テレビ局、家電メーカー、消費者は淘汰されるべき対象なのである。
日本がITで、遅れてしまった理由は一言で言えば殻に閉じこもってしまったからに他ならないだろう。
いいものを作れば売れた時代もあったが、その過去の栄光に囚われてしまったのだろう。
成功体験は捨て、次の時代に向けてやらなければならないことをやらなければいけない。
確かに、15年前、インターネットというものがどれほど重要な意味を持つものになるか理解できていた人は少ないだろう。私もそうだった。
しかし、10年前には、現在のような音楽や、映像がネットで提供されるような時代が来ることが想定できていた人はそれなりに多くいたはずだ。
しかし、今でもCDに関しては今でも数多くのレーベルがネットは嫌々よーといっている。
テレビも、書籍も、選挙や、公的サービスにしてもそうだ。
著作権、セキュリティー、プライバシー。
結局日本人は、先頭に立つことを拒んだ。
他の人がやるのを見ていて、先を行く人が現れても、あれは違反だ!あんなのだめだと言い、認めようとしなかった。
そんな日本を変えるのに一番実現性が高いのは、日本人が変わり、マスコミが変わり、そこで天才が登場して変わるという事。
日本人がいまのままで、保守的であるかぎり、いくら天才が現れても変わらないし、マスコミは日本人が変わらない限り変わらないだろう。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベーシックインカム(basic income)とは最低限所得保障の一種で、政府が全ての国民に対して毎月最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金(5万円-8万円程度)を無条件で支給するという構想
所得制限がないのは、単にシステムを簡素化するためである。
私としてはもちろん賛成。
ただし、これは最低限所得保障の一種であって、これであらゆる問題が解決するかというとまったくそんな事はないだろう。過大な期待は禁物だ。
私の考えはこうだ。
既に、食料を含め、大量生産、効率化により、働かなくても、楽しく暮らせる社会が実現可能な時代にある。
だから、今、ベーシックインカムを導入することで、以下の2つが実現に向かう事を望む
・低所得層でも飢えずに生きていける事
・不要な労働から人々を解放し、もっとやりがいのある仕事や趣味に時間を使えるように、ちょっとだけ社会が変わること
それだけである。
ベーシックインカムの実現は日本にとって必要なものだと思うが、それだけでなにもかもうまくいくというものではない。
東京に住んでいてこれは問題だなと思うのは、コンビニが多すぎる事である。
しかも今でもその数は増えている。
都市部の駅はどこを降りても同じ風景。
同じようなファーストフード店が並んでいる。
決ったメニューに想定内の味。
石田徹也 燃料補給のような食事
http://www.tetsuyaishida.jp/gallery/displayimage.php?album=2&pos=11
豊かさってなんなんだろう?
別に一人一人が個性的に生きるべきだとは全然思わないが、
あまりにも画一的だ。
とてもフラットな世界。
それについてはあまり不満はないが、すべて同じ型にはめるだけの社会が進行し続けるのなら、
我々はそれらと戦う必要がある。
人間が人間であるために。
現在生産工場は人件費がより安い地域へと流れている。
でもそれも一巡してしまえば終わりだ。
次に必要なのは、安く作る技術という事になっていくだろう。
安く作る技術を持った場所に再び、優秀な技術者が集まるようになり
新しい技術が生まれるようになるんだと思う。
今や、工業製品だけでなく自分で食べるものすら自分では作れなくなってしまっている。
人件費の安いところで作ればいいという考えは現在であって未来ではない。
これからは安く作る技術だと思う。
最近ゲーム内での有料アイテムが増えてきたような気がする。
ゲーム自体は無料だけれど、有料のアイテムがあるというパターンだ。
ある意味えげつないとも言えるが、無料でゲームに参加できるという点ではよい。
バーチャルな部分とリアルな部分の境界があいまいになってきているという部分でも興味深い。
一つ問題なのは、子供がよくわからずゲーム内の有料アイテムを購入してしまう事は問題だと思う。
これには、なんらかのガイドラインも必要だと思う。
少し前だとセカンドライフか、最近ではmixiのサンシャイン牧場など。
リアルを巻き込んだゲームが広まりつつある。
あまりゲームには詳しくないしいわゆるオンラインゲームもほとんどやったことないので、
いまさらなのかもしれないが、ゲームとリアルの連携って面白いなと最近思う。
仕様だけで見ると、iPadは、よく肥えたiPod touchにすぎない。
しかしiBooksや、今後登場するであろうこの端末に向けたアプリケーションやサービスを含めて考えると、新たな潮流につながっていくだろう。
個人的にではあるが
以前からタブレット型のMacを望んでいた理由は、
マウスを使うより画面で直接操作できるほうが直感的で自然だと思っているからである。
AppleのNetbookを望んでいた理由は、
最近のMacのノートパソコンは大きすぎるからである。
そして値段的にもNetbook的な価格の商品がでたらいいなあと思っている。
そういう意味で考えると、iPadはある意味待ち望んできたものではあった。
しかしその一方で、パソコンとしてはいくつか物足らない部分がある。
OSがMacOS Xじゃない、CPUがインテルじゃない、USBポートがない、といった点がそれだ。
それでもiPadが日本で発売されたらすぐ買うつもりだ。
今後iPadは一人1台持っておく事をおすすめできるような端末に進化していくだろう。
現在のノートパソコンは使い方が難しすぎる。
みんなが使えるパソコンでなんだろう?
多くの人にとって家で使うパソコンは、ネットができ、ネットを通じたサービスが利用できれば、それでいいのではないだろうか。
iPadはだれでも使えるパソコンというものに少し近づきつつあるパソコンだと思う。
学校なども含め、この端末がどんどん活用され普及するといいなあと思う。