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日: 2013年3月13日

個人情報は誰のものか?

グーグルによる個人情報の収集に関してが分かりやすいと思うが、個人情報は誰のものかという
問題は、今後大きな課題になると思う。
既に個人の行動を特定できる情報は至る所に電子的に記録されている。
電話の通話や通信、購入履歴、預金、インターネットの通信履歴、防犯カメラ、駅の改札記録、電気・ガス・水道の使用履歴。
例えば、画像認識で購入者の年齢を推定しておすすめを表示する自動販売機がある。
これは誰が買ったかというものを特定するためのものではないが、推定年齢と購入した商品の関連付けが行われてそれが利用されているはずである。
他にも、防犯カメラ。
現在、あらゆる所に防犯カメラが設置されているが、それがどのように利用されているかも明確にされてないし、そもそもそこに存在するかどうか分かりにくいものもある。
最近では移動物、例えば自動車にもカメラが搭載されていたりする。
更にグーグルグラスのように動く人がとらえる映像を録画していくとどうだろう?
記録されるデーター全体も爆発的に増えるし、個人が利用する事でさらに広い用途に利用されるものと考えられる。
話は戻って、個人情報は誰のものか?
おそらく、他には誰もいない無人の島で一人で生きているなら個人情報はその人のものである。
以前にも書いたが、所有とは誰の邪魔もされずにコントロール可能な持ち物の事だと思う。
様々な制約があり、自由に扱えないものは所有ではなく借り物なのだと思う。
社会(コミュニティ)に参加するには、なんらかの個人情報を社会に提供する必要が生じる。
まず生まれたら、役所に出生を届け出て記録される。
要するに私の考えはこうだ。
個人の情報はある程度本人が所有しており、他人がその情報を使って良いかどうかは本人に決定権があると思う。
ただしコミュニティに参加する場合は、ある程度の個人情報を提供する事は必要だと思う。
コミュニティにより必要とする個人の情報やその程度は異なるだろうが、少なくともそのコミュニティが
秩序を保つためにはある程度の個人情報が必要だと思う。
一方、他人の個人情報を自由に収集したり使用して良いだろうか?
収集は自由と言えば自由だと思うが、それでもやはり収集されればそれは別の形で利用される可能性があるのだから、原則的には収集について本人が知る事ができる状態にする事が必要だと思う。
利用については、原則的には本人の同意を得て利用する事が望ましい。
それがある程度匿名化を行い個人を特定できなくしたデータとしてもである。