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日: 2012年9月30日

所有と共有

モノを買ったりもらったりしてそれを、好きに扱う事ができる状態。
それを所有と言う。
自分の手元にあるけれど、誰かに返すものを借り物と言う。
一つのモノを借りたり貸したりすることを共有と言う。
買ったりもらったりしたものを、自らが使う事で失う事を消費という。
便利なものや、面白い商品は好きだけども、「物を持たない」という事にはなんだか憧れる。
それは、「ベンリなモノ」に囲まれる事に対する罪悪感なのかもしれないし、
便利そうでいて、実際には大して便利でもないものが、身の回りに増える事に対する
いらだちなのかもしれない。
世界に資源が有り余っていて、高価なものもいくらでも買えるとしたら、色々なモノに囲まれた
生活を選ぶのだろうか?
たしかに良いと思ったものは欲しい。
じゃあたくさん欲しいかというと疑問である。
同じものがたくさん欲しい。
んーなんだろう?
札束とかかな。

世界に染まらず世界とつながる事

世界は海と、空と、通信回線でつながっていて、物流、経済、文化など、様々なものが国境を越えて勢いよく流れ込んでくる。
多様性や、変化を受け入れた先に新しい未来があると信じている。
ただ、地球上のあらゆるものが、均質化されてしまうのは問題だ。
もっともそんなことは、普通おこらないと思うが、ある部分では進行している問題ではあると思う。
地域性、独自性の消失は、変化への適応力の低下を招く。
グローバル経済によって、ギリシャ問題が世界経済に波紋を広げたように、
世界が、広く結びついていることは、強さでもあり弱さでもある。
そこで必要なのが、独立性である。
世界で大きな津波が発生しても、そこは影響を受けない独立したエリアが必要である。
単純に鎖国していれば、世界の影響は受けない。
でもそれはちいさな水たまりのようなもので、放っておくと自然と蒸発して消えてしまったり、
いったん大きな波がおしよせれば、飲み込まれてしまう事さえある。
世界と常に繋がりながらも、すべてをそこに依存させずに、
独自性を守る事や、地域での独立体制を維持する事。
これは、実際の所どうすれば良いのかは難しい問題だが、
あるべき論としてメモしておく。