長崎の平和公園にて平和とは何か、原爆とは何かを考える。
人もまばらな平和公園。
平和公園で一番衝撃的だったのは、中央の噴水(平和の泉)である。
原爆の熱線によってやけどを負った多くの被爆者が水を求めて死んでいった。
こうして今はとうとうと水が流れている。
1945年8月9日11時02分 長崎に原爆が投下。
長崎市の人口24万人(推定)のうち約14万9千人が死没とされる。
(Wikipedia参照)
たしかにその後太平洋戦争は終った。
だが戦争の終結に2発もの原爆が必要だったかは、大いなる疑問だ。
100歩譲っても、長崎への原爆投下は人体実験という要素が大きかっただろう。
その後原発は、今に至るまで数多く生産され、
現在も、米国、ロシアを中心に数千発の核弾頭が存在する。
原爆とは短時間に大量無差別に人々を焼き殺す為の兵器である。
それがこれだけの数必要とされているというのは、異常だと思う。
核兵器が減ればそれで解決という事でもなく、根本的には、戦争の問題だが、
それでも核の拡散は防ぐべきだ。
それとともに一段階掘り下げ、戦争に至るまでの環境、社会の問題を考えていく必要があるだろう。
世界には数多くの戦争の火種が存在し、一度(ひとたび)始まれば、終結は容易ではなく、
そしてまた多くの犠牲を伴う。
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