いずれ人工知能は発達してロボットも自我を持つだろう。
そのとき知能の部分がハードウェアと一体化してなかったらどうだろうか?
思考する部分とフィジカルな部分が分離していた場合。もしくは、思考する部分が、
分散型だった場合。自分というものをどの範囲で捉えるのだろうか?
もうひとつのパターン。
いずれ人間は、拡張した身体や、脳を使うようになるかもしれない。
その時、どこからどこまでを1人としてカウントするのだろうか?
定義の問題ではなく、感覚の問題としてどうなのだろうか?
自分という範囲は、比較的自由のきく身体と、それを掌る脳がセットで自分が成立する。
極論を言えば脳だけでも自己なのだが、例えば、私の脳だけの状態を見てそれが
私であると認識する他人(ひと)がいるだろうか?
逆に身体だけならどうだろう?人々は、ぱっと見それが私だと認識するだろう。
ただし脳がなければ、私らしい振る舞いをしないので、結果、それは私ではないということになる。
自己の最小単位は、脳だが、それを出力するインターフェースがないと、外部からその中身を
窺い知る事はできない、その一方で表面的な部分もその人間の一部として認識されている。
自分のクローン。例えば双子がいたらどうだろう?
身体は似ているが、脳と繋がっているわけではないので、それは他人である。
私の考えはこうだ。
脳と脳が直接的に支配している身体。脳と脳が所有している体。それが私の範囲である。
だから、もし私の脳が直接的に支配しているハードウェアがあればそれは私の一部だと思う。
脳が物理的に複数の場所にあったらどうだろうか?
クラスタ型の脳、クラウド型の脳。
いずれにせよ、それがある程度の一貫性を持ちアイデンティティを示すものならば、
例え分散しようと、仮想化しようともそれらが含めて私という存在になるだろう。
まあ個人的にそれは大きな関心事ではない。
それより気になるのは、自我を持ったコンピューターは、自己の範囲を拡張し拡大し続けるのか?
それとも、ある程度まとまった単位で自己を完結させようとするのか、という疑問。
身体の範囲を広げれば、多くの体験をできる。例えば体が2体あるとか。
ただ現状の人間にはそれは無理である。
2つの体験を脳は処理できないだろう。
一つの体は東京、もうひとつはNY。なんとか同時に歩けたとして、二つの感情を同時に処理する事は
到底無理な気がする。
今だってテレビを見ながらネットをしていると、どちらかに注意がいってしまい片方が抜け落ちてしまうほどなのだから。
じゃあロボットはどうなのだろうか?
並列での感情処理ができるだろうか?
まあ処理としては問題ないような気がする。
例えば3日間の自分の行動が24HR*3本で同時進行しているイメージだ。
ただし問題もある。
脳が限られている限り、すべての体に同じ配分の能力を配分することは難しい。
なにか「ながら作業」をしていたとして、思いがけない事があると意識がそっちに集中してしまい、
動作を止めてしまうことがある。
そんな風に、身体を別々に動作させる事は、可能と言えば可能だろうが、体験の質を低下させることに繋がるだろう。
じゃあロボットはどうするだろうか?
思考領域を拡大させようとする者と、身体領域を拡大させようとする者と、別の種が生まれるだろう。
恐竜の巨大化のように身体の巨大化というのは一つの進化の方向性としてありだと思う。
脳の巨大化や集合化も一つの進化の方向性としてはありだと思う。
ただし通常の生命のように脳と身体がワンセットになっているほうが、種の多様性としては有利だと思う。
つまり、コンピューター脳を巨大化させる事で進化する種は少数で、
自分という範囲をそれぞれ脳と体ワンセットで存在させる種が多数派になるのではないだろうか。
再び、人間でおきかえて考えてみると、
脳みそ10倍人間がいたとして、様々な事を普通の人より懸命な判断をできるとする。
では周りの人があらゆる判断をその人にゆだねるだろうか?
もしその10倍人間が、周りの人々を、管理したり支配しようとしたらそれらの人々はどうするだろうか?
たぶん反乱を起こす。
エージェントの反乱から、巨大クラウド脳は自分の身をどう守るか?
ある程度の大きさで脳を分けるか、脳を隠す、あるいは有益・無害な存在として巨大化させるしかないのではないだろうか?
カテゴリー: 未来
ヨルゲン・ランダースの2052を読んで、40年後の世界を考えてみる。
まず本書に書かれているのは、世界は気候変動の影響を受け、
・人口が頭打ちに
・都市集中
・飢えはしないものの生活の質が低下する
・お金や物質的な豊かさに頼らない幸福を求める必要がある
・脱成長の考え方が必要
・これまでのように生産性は向上しなくなる
・民主主義、資本主義的な構造は環境対策を遅らせる事になる
というような事が書かれている。
続いて私の予想。
以前の記事に、世界人口は21世紀後半には100億人としている。
本書では、2040年 前後に80億に達しそこから減少にとある。
都市化が進むと少子化が進む。
いままで都市化と少子化はあまり結びつけて考えた事がなかったが、
広範囲で考えると、そういう事なんだなと思う。
世界各地でが都市化が進めば、急速に少子化が進むだろう。
しかし、人口はそこで減少に転じるかというと、私はそうは思わない。
人類は宇宙を目指し、太陽系における人類の人口はさらに拡大すると思っている。
とはいうものの2040年前後の人口は80億人、都市化の影響で人口の増加速度はだいぶ下がるが、21世紀末には、90億人という事で予想を修正しておこう。
生活の質が低下するというのは、資源へのアクセスが悪くなるので、
今まで食べれていたものが食べれなくなったり、その他の資源に不自由する可能性があるという事だが、
その中で幸福に暮らすには、発想の転換が必要になりそうだ。
脱成長
地球のキャパシティとは何かというと、
宇宙船地球号につまれた食料は毎日5人分だとする。
5人で分ければよいが、一人が5つ食べてしまうと、残りの4人は飢えてしまう。
あるいはそこにもう一人加わったらどうだろうか?
なにか工夫をしてもっと食料を増やせればよいが、資源は限られている。
地球を大きくする事はできないが、人間一人あたりの環境負荷(フットプリント)を減らせばもっと多く住めるし、石油の枯渇問題も、代替エネルギーや別の資源を使う事で対応してきた。
とはいうものの、ゆっくりとした需要の増加であればある程度工夫などでカバーできるが、
急速な進化にテクノロジーはついて行けない。
イナゴの大群のように、増えすぎた群れは供給の限界によって調整されることになる。
これまでのように生産性は向上しなくなる
というのは、サービス業は機械化が難しい事がその理由となっているので、
個人的にはサービス業も含めてまだまだ生産性が向上する余地はあるのではないかと思っている。
環境問題が、民主主義や、資本主義に影を落とすというのは、これもひとつ重要なキーワードだと思う。
民主主義が環境問題にとってやっかいなのは、未来に予測される問題に対し民衆全体に同意を求めるのは、なかなか難しい。
例えば、中国が一人っ子政策ができたのは、民主主義ではないという要因が大きい。
じゃあ中国や、ソビエトのような社会主義がよいかというとそうでもない。
しかし、実感をあまり伴わず、予測される未来の問題、しかも迅速な判断が求められる
問題に関して、民主的なプロセスは不向きと言えるだろう。
本書を読んで改めて思ったのは
気候変動が世界に及ぼす影響を考える事、
オーバーシュートを見越して、いまのうちにやっておいたほうがよい事をやっておくという事。
40年後というのはだいぶ先の事かと思うかもしれないが、40年後というのは既に始まっていて、
その積み重ねが40年後の変化をもたらす。
40年前の今、当時の40年後が今をもたらしているように。
【ロボット 戦争】
映画ターミネーターなどのように、いずれロボットは進化し、人間vsロボットのような事が起こりうるだろうなと思う。
なぜロボットが人間を襲うのか?それは人間同士の戦争があるように、ロボットが本当に人間のように進化すれば、
そうなるだろうと考える方が自然だ。
そうならない為にはどうしたらよいだろうか?
・ロボットの開発をやめる
・人がロボットを越えた存在でありつづける
・共存の道を探る
ロボットの開発をやめるのは、難しい事である。
原子力エネルギーをみつけた人類が、原爆や原発を作り続けるように、パンドラの箱はひとたび開いてしまったら、
元には戻せないものなのだと思う。
人類が突然文明を捨てて、森での生活に戻れば、これらは避けられる。
私が思うには、これからの人類は、これからもより多くのロボットを生産する。
そしていずれロボットは人類から派生した知的非生命体として進化すればよいと思っている。
それに伴い、いずれ人類とロボットは何度か戦わなくてはならない。
今だってロボットは人の仕事を奪っているし、戦争ではロボットと人間が戦っている。
ロボットvs 人間の戦争。
我々は今、それがおこるであろう未来を、選択している。
【世界人口は2倍に・日本人人口は半分に】
21世紀末までに世界人口は100億人に到達するだろう。
日本はどうか。移民を受け入れなければ4000万人ぐいらいになっているだろうが、おそらく移民を受け入れる事になると思う。
このとき国内総生産を維持する為に政府の選択肢をいくつか考えると
・移民を受け入れる
・ロボットにより一人あたりGDPを飛躍的に向上させる
・三人子政策を行う(多産優遇)
・子育てのシステムを変える(一夫多妻や、家庭システムなど根本的な所を変える。)
などがあげられるが、現実的な所だと、移民と、ロボットだと思う。
個人的予想として、21世紀の後半には、日本人口の1/3から半分は外国から来た人となっているだろう。
主な言語、英語、中国語、日本語。
人口の減少に反して、社会で存在感を増すのがロボットの存在である。
そんな未来を選択している我々が今すべき事はなんだろうか?
異なる文化、宗教、人種とともに共存できる能力を身につける事、異なる価値観を持つ人々が平和に暮らせる
社会を構築する事。
その上で、日本という「アプリケーション」「コンテンツ」「ハードウェア」を次世代に継承しつつ
世界に広める事である。
【人類は宇宙へ向かう】
日本人口が減少し、日本の存在感は相対的に小さくなり、ロボットがいずれ人間を越える。
人類の役目はいずれロボットに継承される事になるかも知れない。
それはそれで大きな問題だが、もっと重要なのは、人類が宇宙を目指す事だと思う。
なぜこれだけ大きな空間が存在するのに、人は争い、過去に固執するのか。
何も無い土地を耕し、種をまき、文明を構築する。
我々の祖先がそうしてきたように、宇宙を耕すことが人類の役目だと思っている。
まずは昨年予想をふりかえり
—–2012年の予想より—–
【災害・事故】
中央自動車道笹子トンネル天井板落下事故は、老朽化が進むインフラ問題を彷彿させる出来事だった。
【経済】
年末には政権が変わり、円安、株価の回復へと動いたが、1年間としては円高と株価低迷に苦しめられる1年だったと思う。
【デジタル製品】
NFC対応は、本体内蔵の形式で対応が進んでいるようだ。
ただしiPhoneがいまだ非対応なのが残念。
予想に反して対応が進まなかったのは「非接触充電」
スマフォのバッテリー問題は当面解決しそうもないのだから、早い所非接触充電に対応してくれればよいのにと思う。
ケータイ回線容量の問題は、予想に近かったと言ってもよいだろう。
特に3G回線の容量不足は顕著で、もうしばらくiPhoneを使ってよいと始めは思っていたが、まるで3G回線では役に
立たないので解約することにした。
予想はさておき、
今年はアメリカ、フランス、韓国では大統領が変わり、中国の主席。日本でも年末に自民党による政権奪還が行われ、第二次安倍内閣が発足した。
ある意味、世界は権力争いによって翻弄される1年だったのかもしれない。
—-2013年予想—-
【国際政治】
今年は各国のトップが変わる年で、政治的な思惑より多くの摩擦が発生した。
来年は各国トップともに不用意な衝突は避けるだろうし、そうある事を願いたい。
もっとも日本の場合は、ここ数年の政権で失ったものを調整しなければならないだろうから、
隣国との多少の衝突は避けられないだろう。
特に中国の場合、国内の格差問題などが、国内のストレスとして蓄積され、そのアウトプットの形態として、
反日デモが行われている面がある。
これは中国政府が国内の格差問題や、不公平とどう向き合うかにかかっている。
【国内政治】
なにはともあれ、ようやく自民に戻った。
首相が変わる事なく、TPPへの参加交渉と農業政策の見直し、必要な原発再稼働とエネルギー政策の見直しを進めて欲しいものである。
【経済】
ひとまず日本は、船長を取り戻した船のように、円安へ調整を行い、株価の低迷から抜け出せると信じたい。
経済成長のビジョンを描いた所で、それが軌道に乗るには、1年や2年でどうこうなるものではないので、まずは基本に戻るところからだと思う。
【2013年の歩き方】
インフレが進むとするならば、物価が上昇する。
消費者としては安くていいものが欲しい。でもインフレ下においては、逆に価格を上げられない店は淘汰されていくと私は思う。
デフレの時は、海外旅行、輸入がよいが、インフレの時は輸出が有利だ。
インフレが進むならそれをぜひ機に、輸出や、海外から日本への観光客への販売などをのばして欲しい。
多くのネットサービスを利用し、それぞれ依存度も高まっている。
ネットサービスの多くには、システムトラブル、規約変更、サービス閉鎖の危険に満ちている。
ネット系のサービスであっても、クラウドを過信せず、バックアップとなるデータの保存や、代替サービスとの二重かを
日頃から行っている事が重要だと思う。
【花粉飛散】
・2013といっても限定的な話だが来年は花粉がすごいらしいという噂。
・分かってるんだったら伐採するとか、なにか散布するとかでどうにかならんのかと思うのだが…。
※ちなみに筆者は今の所花粉症ではないが、たまに、「花粉の少ない森づくり」に募金している。
【インターネット】
今年はLINEが飛躍的に利用者を増やした。
・2013年は、DeNAがLINEをパクって投入したcommの躍進に期待したい。
・Google+が実名制を廃止し、いくつかの既存SNSを買収、統合を経て、Facebookの地位を脅かす存在になることに期待したい。
・先にもあげたように、ネット上の1つのサービスに依存する事は好ましくないと最近思っている、
Facebook & Twitter 、 LINE & comm などのように使い分けと二重化が望ましいと思う。
Dropbox & GoogleDrive , Instagram & 何か , Evernote & 何か などなどのように、
来年の注目キーワードとして、利用サービスの二重化(代替)と使い分けをあげたいと思う。
できればGoogleの代替も登場すると良いのだが国家予算でも使わないとそれはなかなか難しそうだ。
【自分】
個人的な話で言うと、今年はやや体調を崩す事が多く大変な年だった。
来年は穏やかに平和な年にしたいものである。あと去年はいくつもりだったけど海外旅行に行けなかったので来年は行きたいな。
トヨタのCMだがここのところ、社会的メッセージを含んだCMシリーズが続いていると思う。
例えば「ReBORN」シリーズは、トヨタの復活と震災復興からの日本の再起をかけた、「がんばろう日本」的なCMという見方もできるだろうが、同時に日本の社会構造に対し「ReBORN」せよという意味にもとれると思う。
他にも、「免許を取ろう」シリーズは、自動車買って欲しいけど、とりあえずその前に免許とってよという、表向きのメッセージとは別に、
「大人 になったが免許は持ってない のび太」を今の日本の若者と重ね合わせ、批判している部分もあるのかもしれない。
今、トヨタのような日本発のグローバル企業には、「1.日本を捨てて生き残る」「2.日本を変えて復活する」「3.日本と運命をともにする・日本の中で生きられるだけ生きる」という選択が時々脳裏をよるのではないだろうか?
「1.日本を捨てて生き残る」は考えにくい事だが、グローバル企業としては必要な覚悟だと思う。
「2.日本を変えて復活する」一企業が日本を変えるなどは、困難だろうが、駄目元でも試してみるのはありだと思う。
「3.日本と運命をともにする・日本の中で生きられるだけ生きる」は、多かれ少なかれ日本企業や日本初の企業の宿命だと思う。
「これから俺、どんどん世界に出て行っちゃうし、日本なんて知らないぜ」という楽天的?なのりの企業も複数あれども、現状うまくいっている例はあまり聞かない。
話を、ReBORNに戻して。
なぜ今生まれ変わる事が必要なのだろうか?
これまでの延長じゃ駄目なのだろうか?
ケース1:40歳定年制
最近どこから出て来たのかは知らないが「40歳定年制」という話がある。
40年も経過すると企業も、世界も変わっている(40年前の社会はどうだったか、40年後の世界はどんなだろう?)、「今のレールに40年後がないとしたら?脱線してから困るより、はじめらから40年後新しい線路で走る事を考えたほうがいいのではないか?」という一つの考え方としてありだと思う。
実際の所それは単純ではないが、かといって今の世界を見て40年後に今の延長にレールがあるとは思えない。
ケース2:この星の生き物について
この星では、ネズミのように、短期間で増殖する生き物と、樹木のようにいったん芽を出した所に根を張って長年生き延びるという異なる生存戦略が存在する。
それは、いいかえると、変化に耐える生き方と、変化に応じて生きるという事なのかもしれない。
ケース3:デフォルト(債務不履行)・破綻
JALは破綻し、株券を紙切れにすることで、復活を遂げた。
国のデフォルトも回避すべき事ではあるが、その一方でいったんリセットをすることで、
健全化を図るという考え方も、時として必要なのかもしれないと思う。
駄目な企業やサービスを、税金ずぶずぶで延命するのと、破綻させ資本主義的に、
リセットさせるのとどちらが健全だろうか?
まとめると、ReBORNすべきなのか否かに答えはない。
ケースバイケースの場合もあれば、同じケースでも手法の違いであってどちらの方法でも
同じ結果がもたらされる場合すらある。
私自身の検討事項として、今あるのは、第二の人生(セカンドライフ)や、第三の人生をどうとらえるかという課題がある。
自分の中では、すでに第二の人生であるつもりなので、次は第三の人生、
何を継続して何を捨てるべきか、目下の課題である。
お金とはなにか。
そもそもは、価値を、仮想化、モバイル化することによって、商品や労働を、
物々交換ではなく、数字で解決させる手段としてできたものだと思う。
様々な商品やサービスがお金に変換できるようになり、様々な商品やサービスを、
得られるようにするにはお金をたくさん持っていればいいという、単純な構図ができた。
そして、資本主義はこれを一気に加速させた。
お金を得る為にすることの代表的な事として、仕事というのがある。
現状、この世界では、生きていくのにはお金が必要で、お金を得る為には働く必要がある。
というのがありふれた事柄である。
私が思うに、生きる為に、「お金が必要」「働く事が必要」というのは、すべてそうだと思わないし、
特に未来を考える上ではむしろそうでないケースが増える事が望ましと思う。
生存するために必要最低限な衣食住に関しては、お金がなくても提供されるべきだし、
働かなくても提供されるべきだと思う。
人は皆産まれながらにして働ける訳でもないし、老いれば労働生産性が下がる場合も多々ある。
現状、地球上で権利を主張できるのは人間だけなので、少なくとも人間であれば、できるだけ平等に地球の
資源を利用する権利が得られるべきだし、それとともに地球上の資源をできるかぎり次世代に残す義務があると思う。
理想を言えば、「生きる権利保障機構」を世界中につくり、人が生まれてから死ぬまで、生きる為に
最低限必要なモノはその機構が提供する。
これにより、「お金」という要素から「生きる為に必要なもの」という要素を排除する。
また、お金に色が無いのも問題だと思う。
よい事をして得た1万円も、悪い事をして得た1万円も同じ。
社会で考えたら、よい事をして得たお金が増えれば増えるほど世の中はよくなるはずだが、
逆に悪い事ををして得たお金が増えたら世の中は悪くなる。
お金は何にでも使えるという事が便利ではあるが、
よい事に使われるべきであって、お金の未来としてそこは検討すべき課題だと思う。
おまけ:通貨統合
基本的には共通通貨を導入すべきだと思う。
理由は単純に、地域によって通貨が異なると不便なのと、通貨が日々変動すると、国をまたいだ商業に不要なリスクがかかるからである。
もっとも、通貨統合をいいことに、不健全な財政を放置するような国に、共通通貨による支援を与える
必要はないと思うが、基本的には各国協力して、不要な障壁は取り除くべきだと思う。
・壁や床がディスプレイに
現在液晶の低価格化が進んでいる。
おそらくこのまま低価格化や、薄型、大型化が進めば、壁掛けテレビではなく、
壁や床自体がテレビ(ディスプレイ)になるのは時間の問題だと思う。
・どこでもオンライン
グーグルメガネのように、スマートフォンはさらに進化する。
手で操作するものから、手で操作せずに音声やその他の方法で操作したり、受動的に情報が提供されるようになる。
モバイルは持ち運ぶコンピューターというより、身につけるものとなるだろう。
場合によっては、環境の一部としてwebサービスが提供され、身につける必要すらない場合もあるだろう。
・ロボットと生活
ロボットの社会進出が進み、街で動くロボットを見かけるようになる。
・道路
自動運転の自動車が走行するようになる。
・物流
物流が自動運転ロボットによって自動化される。
つまり商品などの発送からはじまり、家のポストや宅配ボックスまでが、全自動化される。
・仕事
多くのロボット進出により、既存の仕事の多くが減少する。
ファーストフード店や、コンビニ、運送業などは特に大きく影響を受けるだろう。
これはほぼ決まった未来の事である、いまのうちに考慮しておく必要がある。
「働かないアリに意義がある」という本をよみ、そこでクローンを作るアリの話を読み、
人類や、生命体、知的非生命体の未来を考える。
我々や多くの生命がこれまで完全複製ではなく、遺伝子的に揺らぎのある交配によって進化してきた。
なぜクローンではだめだったのか。
多様性が、環境への適応をもたらし、結果として系列の種の保存や、同種の拡大につながってきたのだと思う。
つまり、逆に言えばクローンでは環境の変化に適応できず、生き残るのが難しいという事である。
そこで思うのが、では重要なのは、
1.自身を長生きさせる事
2.自己の複製をより多く、より長期にわたって存在させる事
3.自己+αな存在をより多く、より長期にわたって存在させる事
なのだろうか?
もしそうだとするなら、遺伝子的に近い存在を優先的に大事にする事になるだろう。
実際に生き物や、動物の本能として、その傾向はある。
だがしかし、人間というのは単に分子の集まり、細胞の固まりではなく、思想や哲学を持って生きている。
だから単純に遺伝的に近ければなんでもOKというわけにはいかない。
1.自己の思想を長く生きさせる事
2.自己の思想をより多く、より長期にわたって存在させる事
3.自己の思想+αな思想をより多く、より長期にわたって存在させる事
こういう考え方もできるかと思う。
このように我々は、自己の複製を理想としつつも、環境の変化の中でそれを行うために、
多様性という犠牲によって、自己を保存しようとしている。
でも、そもそも自己というのは複製すべき存在なのであろうか?
これは難しい問題だ。
生命の進化の過程でそれ(種の保存)を選ぶのは他者であり、環境であり
偶然性でもある。
種に正解はない。
個人的に自己のクローンは必要なのかと考えると、可能ならあってもいいと思う。
自己+α これは必ずしも子孫ではなく、家族などを含む系統という事になるが、
自分の場合は遺伝子的類似度より、思想的な共通性が重要だと思う。
もちろん、思想的な観点でも、共通点が多ければよい訳ではなく、
自己の思想+αな思想をより多く、より長期にわたって存在させるためには、
別の種の思想との交配も必要なのかもしれない。
そこで話は一気に飛躍して、冒頭の「知的非生命体」に戻る訳だが、
いずれロボットは、ロボット自体が複製を行うという、人工でも生命でもない、
人工生命のような存在が登場するだろう。
ハードウェア的に人類とは異なるそれらが、どのような発想や、倫理観を持つかは全くわからないが、
いずれ、宇宙の隅まで知的な存在が進出するだろう。
そして、「この宇宙がなくなるまでにはあたらしい宇宙を作りそこへ新しい知的存在を送り届ける」という役割は、いずれ彼らに受け継がれるだろう。
一方で、人類が存在する以降の生命が、現在でも不要ではないように、人類の存在はしばらく持続するだろうし、そうでなければならないと思う。
それは物質的な面からもある程度はそうだろうし、思想的にも彼らに受け継がれるべきだと思う。
何いっているかよくわからないと思うので簡単にまとめると
・人類はいずれロボットに次の知的存在の進化を引き継ぐ時がやってくる
・人類の思想は、彼らに受け継ぐべき
・この宇宙に誕生した知的存在の使命はこの宇宙がなくなるまえに新しい宇宙を作る事
という話でした。
他でも書いたが、Google Glassは単に
・スマートフォンをハンズフリーで使うためのもの
・ARを使った表示
という表面的な機能の目新しさより、社会的な影響を及ぼすかもしれないという事を、ここに書き記しておきたいと思う。
・人々のGoogleロボット化
現在Googleはインターネット上のあらゆるサイトをクローリングし情報を集め、検索結果を提供している。
そしてネットだけでなくストリートビューのように、リアルの世界も撮影機材を使ってクロールしている。
現在この作業は人の手によって行われているが、いずれはロボットが自動的に巡回撮影を行うようになるだろう。
それに加え、グーグルメガネを普及させたらどうだろう?
そこから収集できるデータを活用できれば、広範囲に細かくリアルの世界をクロールできる。
最も、Androidケータイがそうであるように、当面Googleが端末から、情報を収集する事はないだろう。
ただ、それが技術的には可能で、それを行う事で巨大な、ビッグデータを得る事ができ、おそらくそれはなんらかの価値を生み出す事が推測できる。
・監視社会(歩く防犯カメラ)
カメラ付きケータイやTwitterの普及は、事件が起こると撮影機材を持って、記者やカメラマンが向かい、それをマスメディアを通じ多くの人が情報を得るという、従来の情報の流れを変えつつある。
情報は瞬時に個人がネットに流し、それをネットメディア、マスメディアが拡散する。
録画や録音は現在の多くの人々にとって一時的な行為であるが、グーグルメガネが普及すれば、
それは、継続的に行われる可能性もある。
これにより今まで、見過ごされていた小さな問題も含めて、記録され、突如公開される可能性もある。
・ライフログ
自分が見たものを継続的に記録し、自動的にタグ付けされ容易に検索できるようになると、
トータルリコール(完全記憶)のような事が実現するかもしれない。
これは良い点もあるが悪い点もある。良い点は忘れなくなる事である。
悪い点は忘れなくなる事である。自分にとって不要な記録は削除すればいいわけだが、
他人にも同様に記録が残っているわけで、そこに不都合な記録が残り続ける事もありうる。
既に街は防犯カメラで溢れており、電子化された世界で、人々の活動は電子的に記録されている。
ただこれはまだほんの入り口である。
人々が好まざるとも、社会はあらゆるものを記録する方向へ向かうだろう。
たしかに始めは息苦しさを感じるかもしれなが、そのうち慣れるだろう。
そんなもんである。
もしそれがどうしても耐えられないなら、名前を捨て、社会を捨て、誰とも会わずひっそり森の奥深くで暮らす以外にそこから逃れる方法はない。
重要なのは人々が大きな心で現実を受け止める事である。
大きなフレームワークを作れば、多くの人々にとっては、別段不自由を感じない住み良い社会になるはずだ。
逆に、もし小さな嫉妬や、細かな規律で他人を縛ろうとするならば、人々はさなぎのように生きなくてはならなくなるだろう。
未だに安売り競争を続けている牛丼チェーンについて、ふと思う。
まず現在の背景として、
・牛丼3社、そろって売上高マイナス
・マクドナルド、12年12月期は経常2.9%増益へ [JQ]
・松屋、豪州産米を試験導入へ…原料費を圧縮
という事がある。
一言で言えば、安売り合戦をしている牛丼3社はもう限界だ。
本来であれば、マクドのように、新メニューを続々と投入し、高価格化、店舗整理をしなければならないが、牛丼チェーンは未だにその悪循環からぬけだせないでいる。
値下げをしないと、お店に人が集まらない。しかし一旦値下げをすると、再び値段をあげると客が減る。
そこでまた値下げをする。人件費を削り、強盗に入られたりもする。しかも出てくるのが遅いとクレーム。原料のコストを下げ、まずいと言われる。なんという悪循環。
これまで、牛丼各社、新メニューを投入して来たがそれでもなぜ単価を維持できないのか?
なぜ価格をあげられないのだろうか?
思うに、安価に空腹を満たすだけのニーズが多く存在しそこが固定化してしまったのではないだろうか?
新メニューとか、より良質なものを提供しても、それらを求めていないお客によって固定化されてしまい、いくらそういったものを出しても、収益アップに結びつかないのだ。
良い表現ではないが、端的に言えば、安価なエサが、ここの客の主たるニーズなのだ。
では安価なエサを供給し続ける為にはどうすればいいのか?
そこでひとつ提案したいのが自動牛丼販売店である。
まず販売機のボタンを押したら、紙カップのジュース販売機のような感じで、どんぶりがセットされて、ごはんがごぼっと落ちてくる。続いて具材、最後に汁がじょぼっとでて完成。
セルフで席に持って行き食べ終わったら、返却口へ。
もっとも、1日1、2回清掃や、具材の補給に人が作業を行う必要はあるだろうが、
基本的には無人店舗というコンセプトだ。
人件費削減、強盗対策を行い、材料も現状かそれ以下に安く押さえて200円てところでどうでしょうかね。
このままデフレがすすめば、更に安価なエサが求められる。
逆にインフレが進めば、牛丼は一杯500円1000円になるだろう。
明日の牛丼チェーンに求められているものは、無人牛丼販売店だと私は思う。
少し大げさに言えばこの国が、今後貧しくなっても、あちこちで暴動が起きない程度の社会を継続するには、
安価なエサを提供する事が非常に重要であり、それが牛丼チェーンのこれからの使命なのだ。