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日: 2018年12月9日

平成ノスタルジー

平成が終わろうとしている。
史実的な振り返りは別の機会にするとして、個人的に平成ノスタルジーというと、椎名林檎を彷彿させるワードである。

少し以前、近年の椎名林檎は右傾化が気持ち悪いという記事を読んで、それって右傾化なのか?と、モヤっとしたのでそれについて考えてみた。

 

NIPPON

右傾化イメージに影響を与えた要因の一つがこの曲だと思う。
まずこの曲は”NHKのサッカー関連番組のテーマ曲として書き下ろされた楽曲”である。
歌詞の言葉尻を捉えて、それを右だの左だのいいだしたら、キリがないと思うので、一旦それはおいておく。

そもそもオリンピックやW杯は、なぜ多くの人が自国の選手を応援するのだろう? 自国の選手が、金メダルをとったら自分も頑張れば同様の能力があると思うからだろうか。 多分違う。 自国の選手が金メダルととると、自分の収益がアップするからだろうか。 多分ない。 仲間意識と考えるとどうだろう。 これは結構近いと思う。 じゃあ同じ国民というのは何仲間なのだろうか?

 

国籍仲間
まあこれは定義そのものなので、当然同じである。

 

同郷仲間
これは時々違うだろうが、似たような生活環境で育ってきたという事は多々あるだろう。

 

宗教
これは、まちまちだが、自分の血液型が言えれば、あなたは日本人である可能性が高い。

 

納税地仲間
国籍=納税地とは限らないが、自国の選手は自国に納税しているというケースはまあまあ多いと思う。
戦争で国同士が国力を競う時代は一旦終了した。
核兵器やその他の大量破壊兵器により、利益より被害が大きくなると考えらるようになったためである。

そしてスポーツという分野で国別対抗で競う事により、ある程度の国力を世界に示すというのがオリンピックなのだと思う。

だから、自国がたくさんメダルをもらえるという事は、まあまあその国が潤っている事を示している。よって自国の選手がメダルを多くとると嬉しいのだ。

これを事を声にしていうと、おそらく偏屈なやつだなと言われるだろう。だが国別対抗なのだから、これは少なからずあるだろう。

 

遺伝子
遺伝子の類似を、我々の本能がどこまで追求しているのかどうか、私は知らない。 しかし多くの人種問題や、動物の行動を鑑みると、視覚的類似は、仲間意識としての影響を与えているに違いない。

 

物語の共有
これはいい表現だと思う。我々はメディアを通じ、選手の情報やエピソードなどを見聞きする。 知っている人を応援する。ごく単純な行動だが、これ以外の理由や動機に比べれば、純粋な気がする。

おそらく他国の選手にも様々な過去だったり、国の歴史背景が存在し、それを知れば応援したくなる選手も多くいるだろう。 しかし多くの場合は、自国の選手をメインに物語が共有される。 だから、多くの人が自国の選手を応援する。

 

戦争

こんどは話を戦争にうつす。 太平洋戦争 なぜ我が日本は戦わなければならなかったのだろうか。 大雑把言えば、国境、仲間を守ったり増やすのに戦争というシステムが世界展開されていて、 日本もそれに参加したという事なんだろう。

 

右と左

右と左というのは実はあまり意味がない、赤組と、白組のように2つのグループにきれいに別れているものでもなければ、○○主義のように、定義された思想でもない。
ただ強いていうと、右と左という仮想敵を作る事で、お互いの戦いを業務として成立させるだけの存在である。

よく政党に対してあれは右だ、左だという場合がある。そういうレッテル貼りは、国益か、国損かを示しているに過ぎない。

しかも、多くの場合その定義があやふやのまま使用される故、使う側も、受け取る側も右派、左派ときいて、それを正確に理解することが難しい用語である。だから右派、左派なんて言葉はつかわず、国益を重視する思想か、国益を重視しない思想・団体と区別したほうが良いと思う。

 

日本的アイデンティティと戦争

日本的アイデンティティと、戦争との間には特に関連性はないと思う。
それでも、昭和の歴史や文化の中で、いくつかの日本的なものは、昭和の戦争の記憶とと関連づけられて封印されている。

 

椎名林檎の右傾化

私が思うに、椎名林檎の右傾化は、右か左かという意味のない線引きにより生まれた副産物なのだと思う。

要は、右とか左とかに過敏になりすぎて、単純に昭和的、日本的なものがやりだまにあげられた結果なのかと思う。

 

昭和が終わり、この平成もまもなく終わりを迎えようとしている。

次の時代に昭和の何を残し、平成の何を残すべきか。

単に日本的な物を排除する事では、ピースフルな社会は実現しない。